「信じる」と「期待する」の境目
左肩と左太ももが痛い。
昨夜のナイター練習でバッティングピッチャーを務め、ピッチャーライナーが当たったからだ。
いや、全然大したケガではないので、ご心配なく。
アザにはなってるけど(笑)。
娘が所属している女子チーム。
バッティングピッチャーといっても軽く投げ、気持ち良く打ってもらうことが目的だ。
しかしバッターまでの距離が近く(遠いとストライクが入らない)、正面から投げるので、小5~6女子でも怖い。
県大会3位のチームだ。
昨夜はキャプテンの子に、ピッチャーライナーを4球くらい食らった(笑)。
キャプテンの子はそのたびに「すいません」と謝ってくれる。
バッティングの基本はピッチャー返し。
だから謝る必要はない。
俺が捕るかよけるかしなければいけない。
それでも謝ってくれるのは嬉しい。
その子は監督である父親にはメチャクチャ反抗してるが(笑)。
でもまあ、父親のことも信頼しているのがよく分かる。
「信頼」とは何だろうか。
昨日、のらさんの記事にコメントした。
「信じる」ことについて。
のらさんの記事の抜粋。
丸投げは、投げたら終わり。
でも信じることは、
投げる
↓
受け取ってもらう
↓
返ってくる
↓
自分も受け取る
↓
もう一度投げる
という繰り返しなのかもしれません。
返ってきたものを受け取って、
「それでももう一度投げたい」
と思えば投げる。
「もう投げるのをやめよう」
と思えばやめる。
それも自分で決める。
信じることは、相手に全部を預けることではなくて、相手とのやり取りを続けることなのかもしれません。
(中略)
私が思う「楽」は、わからないことを誰かに預けることではない。
結果がどうなるかわからなくても、
「私はこっちを応援したい」
「私はこの人を信じたい」
と、自分で決めること。
そして、返ってきたものを受け取って、また自分で決めること。
信じるって、答えを決めることではなくて、
わからないままでも、自分がどうしたいかを決めること
なのかもしれません。
それに対する私のコメント。
私は、
・根拠がないもの→信じる
・根拠があるもの→確かめる
だと思っています。
キャッチボールの場合、相手がボールを放つ前は、捕りやすいボールが来る根拠がないので、信じるしかない。
相手がボールを放った後は、ボールの軌道という捕りやすいボールが来る根拠があるので、捕るまで確かめる。
のらさんの文章を読んで、信頼関係とは、信じる→確かめる→信じる…の連続性なのかなと思いました。
そうすると、信じる→確かめるのサイクルがうまく行き過ぎると要求がエスカレートし、信じる→確かめるのサイクルがうまくいかないと相手に失望することも説明できるのかなと。
それに対する、のらさんの返信。
私が書いた「投げる→受け取る→返ってくる」という話に、「確かめる」という視点が加わったことで、信頼関係って本当に一方通行じゃないんだなと改めて思いました。
そして、
「信じる→確かめる」のサイクルがうまくいきすぎても要求がエスカレートする、というところも興味深いです。
信じることと期待することの境目って、意外と難しいのかもしれませんね。
信じることと期待することの境目!?
そうか、「信じる」が少しエスカレートすると、「期待する」になるのか。
キャプテンの子に対しても、もし次の練習でまたピッチャーライナーを当てられたら、俺は「謝ってくれるのかな」と期待してしまう。
謝らなかったら、俺は勝手に失望する。
本来謝る必要はなくてもだ。
もし昨夜、キャプテンの子が謝らなかったら、俺は次の練習で謝ることを期待しない。
「信じる」も「期待」もない代わりに、「謝ってくれた嬉しさ」も「謝らないことへの失望」もない。
感情は平板。
どっちがいいんだ?
境目は相手の行動に対する感情?
「期待」がさらにエスカレートすると「強制」?
これは…。
明日に続きます。
ちなみに左肩。
昨夜は約30球×6人=約180球。
こんなもん全力で投げたら、肩ぶっ壊れるわな(笑)。
