日々俳句鑑賞312 「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」 寺山修司
この句には、若き日の寺山修司の精神的緊張が、鋭く刻み込まれている。
「目つむりて」。
作者は空を見上げてはいない。しかし、目を閉じてなお、「五月の鷹」は作者を「統ぶ」しているのである。
この「統ぶ(すぶ)」という語が印象深い。ただ感動しているのではない。もっと峻烈な、精神への規律の感覚がある。鷹は単なる自然の景として現れているのではないのだろう。
鷹は、高空を旋回しながら獲物を狙う鳥である。その鋭い眼差しは、地上のものを決して見逃さない。作者自身は目を閉じていても、五月の鷹だけは覚醒し続けている。その感覚が、「吾を統ぶ」という言葉に結びついているように思われる。
しかも舞台は「五月」である。
重苦しい曇天ではない。抜けるような青空と、乾いた風と、上昇気流の季節である。だからこの鷹には、閉塞や孤絶よりも、むしろ飛翔への衝動が宿っている。
寺山修司にとって故郷・青森は、単なる懐郷の地ではなかった。そこには土着的な血縁や閉塞感、内向へ沈み込みやすい風土があった。その鬱屈した地上性に対して、この「五月の鷹」は、もっと高く、もっと遠くへ向かえと命じる存在として現れているのではないか。
つまりこの句の鷹は、自由の象徴であると同時に、作者自身を鞭打つ存在でもある。
もっと自由であれ。
もっと遠くへ行け。
お前の文学的野心を成就せよ。
そんな苛烈な声が、この一句の奥には響いている。
だからこの句は、単なる自然詠では終わらない。若き寺山修司が、地方の閉塞を振り切り、自らの内部にある「飛翔の命令」に従おうとする瞬間を捉えた一句として読めるのである。
肉体はまだ地上にある。
しかし精神はすでに、五月の空を旋回している。
『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)より
