「多様性を認めないのも多様性」なのか?
ソーシャルワークの視点から考える、寛容と差別の境界線
「多様性を認めない考え方も、一つの多様性ではないか」
多様性について話していると、ときどきこのような意見を耳にします。
たしかに、多様性を大切にすると言いながら、多様性に反対する人を一方的に排除すれば、「自分と違う考えを認めていないではないか」という矛盾が生まれます。
では、多様性を認めない考え方も、私たちは受け入れなければならないのでしょうか。
今回はこの問題を、ソーシャルワークの視点から考えてみたいと思います。
「考えを持つこと」と「他者を排除すること」は違う
まず分けて考えたいのは、次の二つです。
一つは、「自分は多様性という考え方に賛成できない」「社会の変化に戸惑いを感じる」という個人の感情や価値観です。
もう一つは、特定の人を差別したり、社会から排除したり、その人の権利を制限したりすることです。
この二つは同じではありません。
人が何を感じ、どのような価値観を持つかは、その人の育った環境や時代、文化、宗教、経験などの影響を受けます。
例えば、これまで当たり前だと思ってきた家族観や性別に対する考え方が変化したとき、その変化にすぐ対応できない人もいます。「よく分からない」「受け入れにくい」と感じること自体を、ただちに差別と決めつけることはできません。
しかし、その違和感を理由にして、
「そのような人は社会に出てくるべきではない」
「自分たちと同じ権利を与える必要はない」
「支援の対象にしなくてよい」
と主張するなら、話は変わります。
それは個人の感情にとどまらず、他者の生活や権利に具体的な影響を与えるからです。
多様性とは「何でも認めること」ではない
多様性を尊重するというと、「どのような意見や行動でも認めなければならない」と考える人がいるかもしれません。
しかし、ソーシャルワークにおける多様性の尊重は、何でも無条件に受け入れることではありません。
人種、国籍、性別、障害、性的指向、宗教、文化、家庭環境などが違っていても、その違いを理由に人間としての尊厳や権利を奪われないことを大切にする考え方です。
言い換えれば、意見の違いを認めることと、人権侵害を許すことは別です。
例えば、「私は同性婚についてまだよく理解できない」という言葉は、対話の出発点になり得ます。
一方で、「同性カップルには法的な権利を与えるべきではない」という主張は、当事者の生活や自己決定を制限する可能性があります。
表面的にはどちらも一つの「意見」に見えます。しかし、その意見が誰かの安全や尊厳、社会参加の機会を奪うのであれば、単なる意見の違いとして扱うことはできません。
多数派と少数派では、同じ言葉でも影響が違う
ソーシャルワークでは、発言の内容だけでなく、その背景にある力関係にも注目します。
例えば、社会の多数派に属する人が少数派に対して「あなたたちの存在を認めない」と言う場合と、差別を受けてきた少数派が「自分を否定する考えを受け入れられない」と言う場合では、同じ「認めない」という言葉でも意味が違います。
多数派の考え方は、法律、制度、教育、就職、住居、家族関係などに反映されやすく、少数派の生活を実際に制限する力を持つことがあります。
一方、少数派が差別的な考え方を拒否することは、自分の尊厳や安全を守るための行動である場合があります。
両者を単純に「どちらも相手を認めていない」と扱うと、すでに存在している社会的な力の差を見落としてしまいます。
不寛容を無制限に認めると、多様性が失われる
ここには、「寛容のパラドックス」と呼ばれる問題があります。
多様な意見を尊重しようとして、不寛容な言動まで無制限に認めてしまうと、やがて力の強い人たちによって、弱い立場に置かれた人たちが社会から排除される可能性があります。
その結果、多様性を守るための寛容が、多様性そのものを失わせてしまうのです。
例えば、大学の中で「どのような意見も自由だから」という理由で、特定の国籍や障害、性的指向を持つ学生への侮辱を放置したらどうなるでしょうか。
侮辱する側には発言の自由が保障されるかもしれません。しかし、攻撃される側は安心して授業を受けたり、意見を述べたりすることが難しくなります。
誰か一人の自由を無制限に認めることによって、別の誰かの自由や社会参加が奪われることがあるのです。
そのため、多様性を守るには一定の境界線が必要です。
ソーシャルワーカーは相手を切り捨てるのか
では、多様性を認めない人を、社会から排除すればよいのでしょうか。
ソーシャルワークは、そのようには考えません。
ソーシャルワーカーは、差別的な言動を肯定することはできません。しかし、その考えを持つ人間の存在まで否定するわけでもありません。
「なぜ、そのように感じるのか」
「何に不安を感じているのか」
「これまで、どのような経験をしてきたのか」
その背景を理解しようとします。
多様性への反発の背景には、自分が大切にしてきた価値観を否定される不安や、急激な社会の変化についていけない感覚、知らないものへの恐れ、自分だけが我慢を求められているという不公平感があるかもしれません。
こうした背景を理解することは、差別を容認することではありません。
相手をすぐに「差別主義者」と決めつけて対話を終わらせれば、その人が自分の考えを見直す機会も失われます。だからこそ、可能な限り対話の扉を開いておくことが大切です。
ただし、対話している間にも傷つけられている人がいるなら、被害を受ける人の安全を後回しにしてはいけません。
対話を続けることと、差別的な行為に明確な境界線を引くことは、同時に行う必要があります。
人は排除しない。しかし、排除する行為には線を引く
「多様性を認めないのも多様性だ」という言葉には、考えるべき問題が含まれています。
多様性に違和感を持つ人や、すぐには理解できない人の存在まで否定してしまえば、それもまた一つの排除になるでしょう。
そのため、その人が何を感じ、なぜその考えを持つようになったのかを理解しようとする姿勢は必要です。
しかし、その考えによって他者の尊厳を傷つけたり、権利を奪ったり、社会から排除したりすることまで、「これも多様性だから」と認めることはできません。
ソーシャルワークが目指す多様性とは、あらゆる意見を無条件に並べることではありません。
異なる背景や価値観を持つ人たちが、それぞれの人間としての尊厳と権利を守られながら、同じ社会で生きていける条件を整えることです。
だからこそ、私たちに必要なのは、相手の存在そのものを否定することではなく、次のような姿勢ではないでしょうか。
多様性を受け入れられないという感情や、その背景を持つ人の存在までは否定しない。しかし、その考えによって他者の尊厳や権利を奪うことは認めない。人は排除しないが、人を排除する行為には明確な境界線を引く。
多様性とは、何もかも受け入れることではありません。
分かり合えない可能性を抱えながらも、対話を諦めず、同時に誰かの尊厳が傷つけられないための線を引くこと。
その難しい両立を考え続けることが、多様な人々と共に生きる社会への第一歩なのだと思います。
自己紹介
筆者は、福岡市で障がい者就労支援に携わるソーシャルワーカーです。障害福祉・児童福祉・生活困窮者支援といった複数領域にまたがる実践を行ってきました。
職業指導員、放課後等デイサービス、居宅介護、自立援助ホーム、生活困窮者支援に加え、プライベートにおいても約10年間、障害児の支援に継続的に関わってきました。
制度内外の両方で支援に関わってきた経験から、発達・心理・生活・就労といった課題が相互に影響し合う構造を実感しています。
現在は就労継続支援B型事業所の生活支援員として、こうした複合的な視点をもとにアセスメントを行い、支援の再構築に取り組んでいます。
<気軽に友達申請・フォローください>
FACEBOOK(井手口誠)
https://www.facebook.com/makoto.ideguti
Instagram(井手口誠)
https://www.instagram.com/kiramakoto0515/
NewtypeSocialworks 代表
理論と実践をつなぐ視点から、
福祉・教育・地域づくりについて発信しています。
このnoteは、学びと実践の途中経過を記録する場所でもあります。
同じ現場に立つ方や、福祉に関心のある方と、
ゆるやかにつながれたら嬉しいです。
一般社団法人翔明会
就労継続支援B型事業所 つなぐコミュニティーズ県庁前店にて、
生活支援員として、相談援助・就労支援・地域連携を行っています。
なお、つなぐコミュニティーズは福岡市西区・北九州市西区黒崎にあり、
関心のあるテーマは、
・感情に寄り添う支援
・地域の中で人が役割を持って生きること
・生成AIやDXを福祉の現場でどう活かすか
<つなぐコミュニティーズ豊浜店>
<つなぐコミュニティーズ県庁前店>
つなぐコミュニティーズでは、PCスキルを身に付けるために企業と連携して、スキルアップトレーニングを行っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 もしこの記事が少しでも「気づき」になったら、ぜひ「スキ」や「フォロー」をしていただけると励みになります。

