東京事変「閃光少女」の探求
J-POPでナンバーワンの曲は?と言われたらこの曲を上げたいと思います。作曲亀田先生と作詞椎名林檎の相乗効果の頂点。
椎名林檎考察シリーズ第7弾になります。
この閃光少女においては聴けばわかる!
全くその限りなので、語ることは避けて居たのですが。
でも言わせてもらいたい…この曲の構造的美しさを。
今回はこの曲のテーマでもある"いま"に着目します。歌詞の中に7回も出てきます。
ただ、一言で"いま"と言っても、具体的にそれはいつなのかと考えを深めることができます。
最初にネタバレしておくとこの曲は最上級のプロポーズの曲なのです。結婚式ソングとしても閃くのでおすすめです!
では、どうしてそのような解釈ができるのか?
"いま"を多面的に考える事で、この名曲を隅々まで味わい尽くしたいと思います。
"いま"という時間には客観と主観がある
今日現在(いま)が確かなら万事快調よ
明日には全く憶えて居なくたっていいの
昨日の予想が感度を奪うわ
先回りしないで
今日現在(いま)を最高値で通過して行こうよ
明日まで電池を残す考えなんてないの
昨日の誤解で歪んだ焦点(ピント)は
新しく合わせて
切り取ってよ、一瞬の光を
写真機は要らないわ
五感を持ってお出で
私は今しか知らない
貴方の今に閃きたい
今日現在(いま)がどんな昨日よりも好調よ
明日からはそうは思えなくなったっていいの
呼吸が鼓動が大きく聴こえる
生きている内に
焼き付いてよ、一瞬の光で
またとないいのちを
使い切っていくから
私は今しか知らない
貴方の今を閃きたい
これが最期だって光って居たい
もう、歌詞が眩しい!
アップテンポなメロディに、シンプルでポップなギターのみで始まるこの曲は、開始数秒で名曲と分かってしまいます。
青春。
それは閃光の様に輝く力強さの狭間にある、センチメンタル。
その青春を表現する方法はまさにこの曲しかないんじゃないかと思うほどに完璧。
曲作りのことなんて一切わからない自分でも嫉妬が生まれるほどの強力な表現力。
…と、今回は褒め讃えるのではなく、曲の構造分析をするのでした。
歌詞をざっと見ていくと、今日、現在、昨日、明日、一瞬、今、と言った様に、時間に関する単語が頻出しているのがわかります。
このような直接的に時間に関する単語だけでなく、呼吸、鼓動、光、命といったようなリズムや波から時間を想起する単語もたくさん使われています。
なぜこんなにも時間表現にこだわっているのでしょうか?
ここで、まず時間を二種類で分けて考えてみます。
時間には、時計で一定の速さで刻まれるような、みんなに等しい客観的な時間と、自分の体感である主観的な時間があると言われています。
客観的には同じ1時間でも楽しい時は早く過ぎてしまうと感じるのが主観的な時間です。青春だって振り返ればあっという間。
生き急ぐような青春の閃きは必然的にアップテンポなリズムに乗って表出するのです。
このように早いか遅いかは主観的なものです。
そして、歌詞の中に頻出する、今日、昨日、明日というのは誰にとっても24時間であり客観的な時間と捉えていいでしょう。
では曲中にある"いま"はどちらでしょうか?
主観的な"いま"には時間の厚みがある
歌詞の漢字をみてください。現在(いま)と今の2つを使い分けているのに気がつきます。
歌詞の流れを解釈してみると、"現在(いま)"は客観的な時間を表しているのに対して、"今"と書かれている場合は主観的な時間を表していると捉えることが出来ます。
客観的な現在(いま)は、時計を読んだ値が今です。数値的な時間には厚みがなく、過去と未来の間が現在となり、まさに今ここに感じている世界自体が現在となります。写真で切り取ったその瞬時を現在(いま)とイメージしてもいいと思います。
それに対して、主観的な今とは何か?
主観的な今には時間に厚みが必要です。人間は厚みのない0秒は感知できません。
耳で言うと0.002秒間、目で言うと0.02秒間を下回るとその差がわからなくなると言われている通り、感覚刺激には時間的な間隔があります。
例えば、1秒間に50〜60回点滅している蛍光灯が、人間にはただ常時点灯しているように見えます。しかし、1秒を150回に分解して知覚できるハエにとっては、それは鬱陶しいほどの明滅の連続のはずです。
皮肉なことに、人間よりもハエのほうが、世界の"今"を遥かに細かく、濃厚に生きてるわけです。このように、生物の数だけ固有の"主観的な今の厚み"が存在します。
さて、ここまでは"わずかな一瞬"を切り取る感覚刺激の話ですが、次に、私たちの日常で使われる"もっと長いスパンを持った今"の例をあげてみましょう。
「え、今なんて言った?」
「えっと、人間よりもハエのほうが、世界を濃厚に生きてるって話」
といった会話例を想像してみてください。
"今"というのは更に長い期間を指すこともあるのです。この今は、先ほどの感覚刺激による今とは少し異なるのがわかります。
"今なんて言った"と問われて、一文字の"音"を返す人はいないでしょう。そんなの答えになりませんよね。
これは感覚的ではなく、今を体験的に捉えていると言えます。感覚的な瞬間瞬間が積み重なる事で体験が産まれ、それは意味の様なものを持ちはじめます。
例えば、今私は"閃光少女"を聴きながらこのnoteを書いています。つまりそこからみたら曲の長さとなる約3分間が今です。
ここで面白いのが今を体験的に捉える時、曲が終わってなくても、その曲を聴き終えるまでが今と括れます。つまり聴き始めた過去と、聴いている現在と、聴き終わるであろう未来まで含めて今となります。
体験的な今は過去も未来も含めてしまう厚みを持っているのです。
(実は脳科学的には感覚刺激的な今も過去と未来を含んでいることがわかっています。)
"いま"の厚みはどこまで広がるのか?
ここまで出てきた"いま"をまとめてみましょう。
現在(いま)を客観的に捉えると、写真で切り取った様なものになります。0秒、そこに時間の厚みはありません。
だから椎名林檎は「五感をもっておいで」と言うのです。
そして…
視覚や聴覚といった五感により感覚刺激的に捉えると0.002秒から1秒未満の感覚刺激的な今が見えます。
さらに…
感覚刺激を積み上げて体験的に捉えるとそれは数秒〜数分に及ぶ体験的な今となるわけです。
そしてそれらの今は過去現在未来を含んでいる。
普段よく使う今とは、この体験的な今の事を指す場合が多いのではないでしょうか?
さて、ここでもう一つの可能性を打ち出したいと思います。
実は"いま"はもう1段階拡張できるのです!
(クウラ&フリーザ的な驚きを込めて)
その拡張された今は閃光少女の最後に使われている"今"です。
貴方の今を閃きたい
これが最期だって光って居たい
結論からいうと、客観的"今"、感覚刺激的"今"、体験的"今"に続くそれは…人生的"今"です。
体験を連ねて人生に刻む"今"を考えることができます。
これまで考えてきた通り、今というのは一つの流れであり、一つの固まりと捉えられます。
"またとない いのち"つまり一度きりの人生全体を生きている事自体を今と呼ぶこともできるというわけです。
客観的時間で言えば、今を数ヶ月、数年のスケールへ拡張する事になります。
この様に今を人生のフェーズで考えることも、私たちのコミュニケーションの中ではたまにあります。
例えば"昔はソロだったが、今はバンドボーカルである"とか。そうやって使いますよね。
この様に脳の中には、感覚刺激的、体験的、人生的の3階層の今が折り畳まれているのがわかったでしょうか。
さて、前置きがとても長くなりましたが歌詞の解釈に入ります。
"私は今しかしらない"の今は体験的な今です。
今日現在の貴方と私の関係、それは明日にはどうなるかわからない。そのくらい体験の一つ一つが強く輝いている。こんな輝きがずっと続くことなんてあるのだろうか。
普通なら続くわけがないと思ってしまうから、青春の終わりを迎えるわけです。青春としての今は終わるだろう。だからせめて今だけは輝きたい。貴方の今"に"閃きたい。
1回目のサビラストが"今に"という"に"となっているのがポイントです。ここも体験的今です。
しかし、最後の歌詞を見てください。
貴方の今"を"閃きたいとなっています。
2回繰り返しに見えますが"に"と"を"で違います。
2回目は人生的今なのです。つまり、貴方の人生を閃きたいと言い換えることができます。
焼き付いてよ、一瞬の光で
またとないいのちを
使い切っていくから
私は今しか知らない
貴方の今を閃きたい
これが最期だって光って居たい
ラストのサビでこの閃光少女はめちゃくちゃ欲張ったわけです。今日、今この瞬間が1番だと言ってみたけれど、やっぱり青春の体験として終わっちゃうなんて嫌だと願ったのです。
私は今日という今しか知らないけれど、貴方の人生が欲しい。貴方の未来が欲しい。
そのために、私も人生の全てを賭ける。いのちの限り「これが最期だって光って居たい」と宣言したのです。
貴方と死ぬ瞬間まで閃き続けたい、つまりは永遠の今を誓うプロポーズなのです。
その永遠の今への拡張をたった"に"と"を"という一文字のギミックで表現して、アウトロという未来に繋げて繰り返し、繰り返し閃いていく。
そして、アウトロの最終小節でテンポがスローダウンするのは、青春の終点を表しているのだと捉えられます。いや、2人がいのちを使い切るまで添い遂げるとしたのなら…それは人生の終点であるのでしょう。
【まとめ】なぜ閃光少女はナンバーワンなのか
この多層的な今の構造は、哲学者アンリ・ベルクソンが提唱した時間論「純粋持続」の概念です。ベルクソンは、人間が生きる時間とは時計の針のように細切れに区切られた「点」の連続ではなく、過去が現在へと絶え間なく流れ込み、融け合いながら重なっていく「厚みを持ったグラデーション(持続)」であると説きました。
この哲学を補助線にすると、数年から十数年続くあの「青春時代」さえも、一つのパッケージに圧縮された「人生的今」として捉え直すことができるわけです。
もちろん40歳になる私の青春は今ではなく過去の事ですが、そのパッケージにされたままに私の人生に刻まれています。
閃光少女を聴くと言う3分間の体験の中に、圧縮されていた10年スケールの青春時代が一気に拡張するわけですから、センチメンタルとして溢れ出てしまうのは必然な事だとも言えるでしょう。
(我が青春なんて取るに足らないものですが10年を瞬間に圧縮したらそれなりに溢れてくるものがあるのです。)
瞬間的な感覚刺激として連なって、私の中に入ってきた閃光少女を奏でる音たち。
たくさんの音が連なったとしても、それはたった3分間の体験でしかありませんが、その3分間を優に飛び越えて、私の青春時代を何度でも何度でもリフレインさせてくれます。
リリースから15年。辛い日も、幸せな日も、閃光少女を聴きながら歩んできたことで、私の人生の一部として刻み込まれ、15年たった今も、私の中で閃き続けています。
そして閃光少女という曲が、私の最後となる日まで閃き続ける事も間違い無いでしょう。
"今"の自分にとっての名曲とはそういうものだと直観するからです。
<椎名林檎と東京事変の探求シリーズ>
