図書館本119冊目『朝鮮漂流』町田康 646P 2026年 漢字ってすごいな
町田康さんの史実・史料原作もの。
今回は漂流譚。
薩摩武士、安田義方『朝鮮漂流日記』を原史料として創作したもの。
江戸時代史実漂流小説は見逃せない!
私が読んだ江戸時代の漂流ものは、ジョン万次郎関連、大黒屋光太夫、noteを始めてからの『アメリカ彦蔵』(著・吉村 昭)、『バタン島漂流記』(著・西條 奈加)など、どれもとても面白かった。
漂流する船は、漁船や、江戸と往き来する回船で、
漂流の末、米国船に救出されたり、ロシア、フィリピンにたどり着いたり。
日本に帰って来るまで、たいてい何年もかかっている。
ジョン万次郎や彦蔵は、救出された後、いくつもの場所での滞在を経て帰国。
光太夫は、ロシアの女帝エカチェリーナ2世に願い出て帰国。
バタン島に流れ着いた面々は、島民の力も借りて船を作って脱出。
最終的には、米国船であったり、ロシア船であったり、唐船であったり、外国船の助けで帰国できている。
ビジネスも絡んでいただろうけれど、面倒を見て無事に送り届けてくれる外国船に「優しいなぁ」と思った。
この『朝鮮漂流』では、薩摩武士を乗せた船が漂流の末に朝鮮国にたどり着くという…
こういうパターンは初めて読む。
ワクワクするしかない!
薩摩の藩船の名は「亀寿丸」。
沖永良部島で2年、代官としての任期を終えた3人の薩摩藩士と従者、船長、水夫の総勢25名が乗り込んでいる。
だいたい漂流ものは、出発時は穏やかな好天。
亀寿丸も例に漏れず、順風を受けて港を出た。(西暦1819年、文政2年6月14日)
予定では、奄美大島に寄港した後、トカラ列島に沿って薩摩に向う。
けれど、目的地に着く前に、必ずや大嵐に遭遇することが約束されている。
だって、「漂流もの」なのだから…
私のドキドキがすでに始まっている。
案の定――
亀寿丸は嵐に遭い、何日もの暴風雨、大波に翻弄される。
他の漂流譚でも読んできたように、
逆風を受けながら、間切り走りでジグザグに進んでみたり、
積荷を海に投げ捨てていったり、
船底に穴が開いたり、
たらいで水を掻き出したり、
浸水箇所を修理したり、
舵が壊れて流されたり、
護符を海に浮かべたり、
死も覚悟して、全員髻を切って念仏を唱えたり…
いよいよ転覆の危機が迫ってくると、最後の手段、
帆柱を切り倒すことになる。
(漂流もの慣れした私も、それしかないなと思っている。)
これはこれでかなり危険を伴う作業…
船は完全に坊主となる…
――そしてようやく嵐が去ったところで、
帆も柱も舵もない船は、風任せ、波任せで大海を彷徨うのみ…
少しでも風を受けようと、あるだけの布で帆を拵え、
あるだけの板きれで舵も急拵え、
飲み水が不足すると、海水を沸かしてわずかな真水を得る――
危機に面したときの船乗りたちの知恵と働きには、いつも尊敬の念が沸く。
嵐が静まって約一週間、風任せに進んだ頃、島影が見えてきた。
朝鮮国であった。
日本国と朝鮮国の間には、漂着した船と人をそれぞれ送り返すという取り決めがあるので、船内には安堵の空気。
そうか、この漂流は、いろいろとサバイバルなことをせずに済むんだな。
割とラッキーな漂流だな。
あとは、薩摩藩士の安田義方が代表となって、朝鮮国側の役人たちといろいろ交渉し、いい感じに帰国の手はずが整えられるのだな。
すべて筆談による、漢文のやりとりで・・・
このあと、本書は漢文、漢詩だらけになっていく・・・
(まぁ、もれなく町田訳が付いてはくる…)
安田は、武士階級のたしなみとして、多少、漢文の素養は身に付けていた。
本書をちょっと読み返すと、亀寿丸の積荷の中には薩摩から持って来た大量の漢籍もあり、沖永良部島に赴任中、学習を続けていたことがわかる。
武士は漢字がわかるのだ。
そして、当時の朝鮮国も同様に、中国の制度や文化の影響が濃く、役人などはバリバリ漢文OKだった。
漢文は、東アジアの共通語?!
漢字学習をしてきた安田とは言え、漢文での文章表現が達者だったというわけでもない。
それでも、漢文という共通言語を持っていたからこそ、書面でのやりとりが可能になっている。
もどかしいことこの上ない筆談でのやりとり。
安田は日本国の代表として、薩摩の藩士として、
へりくだり過ぎてもいけないし、威厳を保ち、武士としての礼節を保ちながら慎重に交渉にあたる。
時には、「きえぇぇぇぇぇぇいっ!」
と、刀を抜きたくなることもある… (耐える。)
安田たちは漂流民。
水、食料など、生活に必要な物資を提供してもらう側。
帰国への便宜を図ってもらう側。
朝鮮国側の役人たちも、いろいろ必要物資を船に届けてはくれる。
安田たちの身を案じてはくれる。
心から同情し、書面で励ましてはくれる…
ただ――
断固として上陸はさせてくれないんです・・・
一地方の役人たちは、
「国法に背くことはできない」
の一点張りで、漂流民の上陸を断じて認めない。
そして、
亀寿丸は日々崩壊が進んでいるんです・・・
そういや、本書の帯にも書いてあった ↓↓
「吾が船は倍速で崩壊中である。」
私ヤモリリーは、通勤電車に本書を持ち込んでいたのだけれど、
駅に向って歩きながら、
(今日こそは、陸に上げてやってくれ…)
と祈り、帰りの電車を下りながら、
(今日も上げてもらえんかったな…)
と肩を落とす日々だった。
その崩壊が続く船に、毎日のように役人たちがやって来ては事情聴取――
・亀寿丸がどのように漂流に至り、朝鮮国にたどり着いたのか、
・船の積荷のすべてを正確に書き記せ、
・乗員の名前、年齢、役職をすべて記せ、
挙げ句には、
・作ってきた漢詩を評してちょ――
以上のことを、何度も何度も入れ替わり立ち替わり、繰り返し問うてくる…
私でも、
「何遍言わせ――、いや、書かせんねんっ!」
「何度も、書類で出しとるやろがいっ!」
「安田に漢詩のセンスは無いねんっ!!」
(「ほっとけやっ!」BY 安田)
と、刀を振り回したくなった。
いや、私が安田に切られるな。薩摩の示現流で…
役人も、上司へきちんと報告しなければ自分の身が危ない、という事情があるわけで…
上司がアホだったりもするけれど…
安田の偉いところは、
イラッとはするけれど、「こういう事情があるのではないか」と相手の立場、状況を想像して、反省できるところ。
こんな極限の状況の中で。
そして、崩壊、浸水が進む船では、事情聴取だけではなく、宴会も度々開かれる。
互いの国の酒や煙草を褒め合ったり、互いに凡庸な漢詩を見せて褒め合ったり、ちょっとずつ打ち解けてきて楽しそうにやっている。
そういうやりとり、交流を重ねるうち、本当に心が通じ合うようになってきた官吏たちもいる。
(何があっても上陸はさせてくれないけど、いろいろ心配して手は打ってくれたりはする。)
亀寿丸が漂着した場所は、現韓国でいうと朝鮮半島の南東部、忠清南道(チュンチョンナムド)あたりの海岸になるだろうか。
湾内をちょこちょこ移動させられながら、倍速崩壊中の船で船上生活を強いられていたところ、ようやく帰国への手はずが整えられた。
安田の記録では、漂流後、7月3日に忠清南道の入り江にたどり着き、7月27日に入り江を出発したようだ。
筆談のやりとりで慣れ親しんだ役人たちの中で、安田が特に友情を感じていた尹 永圭との別れは寂しかった。
他にも、漢詩を通じて心を通わせた韓人たちが、安田との別れを惜しんで挨拶に訪れた。
現在なら
「インスタ見てね」
「今度週末に、私が薩摩に行くから案内してね」
「そっちこそ。今度は上陸しちゃうから、観光案内頼むわよ」
と、なるところ、ここでは永遠の別れとなってしまう。
私もちょっと、涙してしまった。
苦楽を共にした亀寿丸は廃船となり、安田たちは用意された韓船に乗り移り、護衛船と共に、ぐるりと朝鮮半島近辺の島々を伝いながら釜山を目指す。(なんでか2ヶ月ほどかかっている)
釜山は對馬(現在の対馬)との行き来があり、對馬役人が通訳をしてくれるので安田の筆談は役目を終えた。
私も、中学、高校の授業で漢文を学習したことはある。
苦手だったけれど、まったく漢字だらけの文にレ点などの記号をつければ、まるで日本語の文章のように読み下せてしまうのは凄いと思った。
日本語、朝鮮語でのやりとりができなくても、漢文を介すれば、いや、漢字を見れば、とりあえずの意思の疎通ができたとは…
ま、帰国や水・食料など、命がかかっている要求は必死であったし、相手も一生懸命読み取ってくれ、互いに礼を尽くした漢文を作成し合っていた。
まさかの漢詩の知識まで交流に一役買っている。
そして、わからない言葉はちゃんと「ここわからない、教えて」と尋ねていた。
発音が違うので漢文を口に出してもなんのこっちゃなんだけど、
それはそれで、互いに漢字名を書いて見せ合っては、
「これ、そっちの発音で何て言うの」
などとやってるのは楽しそうだった。
本文で漢文が多くなってくると、私は適当に読み飛ばしてどんどん先を読み進んでいった。
漢詩の部分はほとんど読んでない。
訳を読んでもピンとこない。
けれど、生真面目な安田の薩摩武士らしさ、船の運航は怪しいけれど頼りになる(?)船長の松元、病人などを心底心配してくれる韓吏、どこにでもいる嫌な役人たち、安田のことを「勝手に漢詩マスター」にして慕ってくる韓吏たち、のお陰で楽しく読み終えられた。
今は、漢文から解放されてちょっと嬉しい…
私は、漢文は諦めて、もうちょっと韓国語を学習していこう。
