治安庁介入編|エピソード椎(Shii) Vol.3 ~参謀司監の部屋~
velvetの本部を訪れていた椎と橅は、セントラル治安庁の拠点へ戻っていた。
セントラル治安庁・参謀司監の部屋―
ここは、いつ来ても少しだけ空気が違う。
壁に刻まれた治安庁のエンブレム、重厚な木製の扉、磨き上げられた床に反射する淡い照明。
さすがの椎と橅であっても、この部屋に足を踏み入れる時だけは自然と背筋が伸びる。

「お疲れ様です。先ほどvelvetの本部へ行って参りました」
珍しく、橅の声はハキハキとしていた。
橅は特殊事案捜査室の室長であり、椎の上司でもある。報告の口火を切るのは、当然、橅の役目だ。
「ご苦労だったわね、二人とも」
部屋の奥から、静かな声が返ってくる。
その声には怒気も威圧もない。それなのに妙な圧があった。
デスクに軽く腰を預けるようにして、一人の人物が二人の前に立つ。

セントラル治安庁・参謀司監、乙
セントラル治安庁の頂点に立つ人物であり、治安庁全体で見ても三、四番目の地位にいる上位者である。
橅《ぶな》も治安庁の中でもS級のエリートで、若くして特殊事案捜査室の室長である。
その橅でさえ、乙の前では部下に過ぎない。
階級だけで見ても、乙は橅より三つ上に位置する。
白を基調とした制服、赤い腕章、整った顔立ちと静かな眼差し。
その姿だけ見れば、冷静で上品な上官に見える。
だが――
「それで?」
乙は、手元の資料から視線を上げずに尋ねた。
「当然、velvetの誰か一人くらいは引っ張ってきたのよね?」
あまりにも当然のような口調だった。
橅は、ほんのわずかに間を置く。
「…いえ。これといった決め手がなくて…今回は―」
「は?えっ?何言っているの?」
乙の指が資料の端で止まった。
「冗談でしょう?」
声は荒くない。むしろ、驚くほど静かだ。
「うちでも優秀なアンタたち二人が、わざわざvelvetの拠点まで出向いて手ぶらで帰ってきたってこと?」
乙は、ゆっくりと顔を上げる。
「何しに行ったのよ」
その言葉に、椎が口を開いた。
「司監、お言葉ですが、あれでは簡単には踏み込めません」
「相手は誰?楔か?」
乙の目が椎を見た。
椎は短く頷く。
「はい…」
その瞬間、乙の表情から温度が消えた。
「…あのアバズレが!」
乙の吐き捨てるような言葉。
だが、その声に怒鳴るような熱はない。ただ冷たく、低い。
「ほんと相変わらず胸糞悪い女ね、楔のヤツ…」
こうして、乙による楔への悪態は、しばらく続いた。
それは単なる苛立ちではない。
乙が、まだ現在の地位に就く前―
乙の役職が室長だった頃から続く、何かしらの因縁があるらしい。
だが、その詳細を椎も橅も知らない。
いや、正確には。知ろうとしない方が良いと、二人とも思っていた。
「…早く終わらないかな。あー、タバコ吸いたい」橅は、表情ひとつ変えずにそんなことを考えていた。
「この人、楔の話になるとスイッチ入るんだよな……」椎もまた、表情を変えることなく内心で小さく息を吐く。
参謀司監・乙、治安庁全体でも若くして不動の上位者でありながら、velvetの楔の話になると、普段より更に口が悪くなる。
椎と橅にできることは、ただひとつ。
黙って聞いていることだけだった。
椎と橅が退出したあと、乙はしばらく目の前の扉の方向を見ていた。

やがて、手元の資料へ視線を落とす。
秘密結社velvetの幹部の一人であり、velvet特務局の局長・彩
乙の指が一瞬だけ止まった。
乙は聞こえるか聞こえないくらいの声で何かを呟くと、資料を閉じた——
つづく—
~Fragment Log~
セントラル治安庁・参謀司監・乙とは
治安庁において、参謀と司監は本来、別の役職である。
だが—
治安庁には、その二つを同時に持つ人物が一人だけ存在する。
それが、参謀司監・乙である。
セントラル治安庁の実質的な頂点に立ち、特殊事案捜査室にも強い影響力を持つ。
その判断は冷静で指示は的確。
部下の能力も正しく評価する。
だが、乙は治安庁内でも扱いにくい上官として知られている。
そして、そのビジュアルからは想像できないほど口が悪い。
声を荒げることは無いが、もともと言葉遣いが悪い。言葉を選ばない。
特に、相手がvelvetの楔となれば、その傾向はさらに強くなる。
楔の話題になると、普段よりも更に言葉が汚くなる。
そして、話が長くなる…

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