ログインという名の倫理
2026年01月05日 245日目
アンリ・ベルクソンは、時間を「持続」と呼んだ。
時計の針が刻むような均質な区切りではなく、意識の中で伸び縮みし、分かちがたく繋がった濃密な流れのことだ。
しかし、現代のビジネスという戦場において、僕たちは時間を「持続」として捉えることを許されない。
僕たちは常に、成果という名の「点」を打つことでしか、自らの存在を証明できないから。
KPI、四半期、月次。これらは世界を認識するための便利なツールだが、同時に、人間の輪郭を細かく切り刻む「刃物」でもある。
点が出ない日は、自分の存在そのものが透けて消えてしまうような錯覚に陥る。
仕事始めの朝、僕は玄関で靴ひもを結び直した。
取るに足らない数秒の儀式。
けれど、その指先の感触だけが、今日の僕をこの世界に繋ぎ止める「唯一の確定作業」のように思えた。
今日のニュースは、僕たちが生きる「管理社会」の冷徹なバックエンドを露わにしている。
路上に散乱した茶葉が、多重事故を引き起こし命を奪った。
マーケターの視点で見れば、これは「ノイズによるシステムの崩壊」。
一枚の葉っぱは無力なデータに過ぎないが、そこに速度と偶然が重なると、道路というインフラの意味を根底から書き換えてしまう。
「存在」とは、常に連関の中で増幅されるリスクそのものだ。
一方で、安住紳一郎アナウンサーは「仕事始めは“行くだけでいい”」と説いた。
これは、システムに対する極めて慈悲深い「ユーザーインターフェース」の提案。
成果という高いハードルを課す前に、まずは「ログイン」という最小のアクションを肯定する。
人間という不安定なハードウェアを再起動させるための、高度な設計思想といえる。
しかし、その「やさしさ」の裏側で、WSJは2026年の税制・給付変更が「得する人/損する人」を冷酷に分かつと報じている。
努力や意志という物語が始まる前に、制度というアルゴリズムが僕たちの座標を決定し、セグメントを切り分ける。
僕たちは「何をしたか(Do)」よりも先に、「どこに属しているか(Be)」によって規定される世界を生きている。
僕たちが成果を“短いタイムライン”で切り刻むとき、見落としてしまうものがある。
それは、組織や市場を形作っている「面」の存在。
点は瞬間的なコンバージョンを生むが、面は「そこに居続けること」でしか構築できない。
安住さんの「行くだけでいい」という言葉は、単なる気休めではない。
それは「成果を出せる強者」の話ではなく、「消えずに戻ってこられる存在」へのリスペクト。
たとえその日に「点」が打てなくても、一人の人間が組織という面の中に存在し続けることで、誰かの不安が1ミリだけ中和される。
エマニュエル・レヴィナスは、倫理は「他者の顔」から始まると言った。
正しさや効率よりも先に、目の前にその人が「いる」という事実が、僕たちを縛り、支える。
存在の意味は、成果という評価軸の外側、すなわち「他者の生活との連関」の中に置かれているのかもしれない。
茶葉の事故は、いわば「逆方向のレヴィナス」。
目の前にある小さな存在を「ないもの」として無視した結果、社会という連関が牙を剥いた。
存在を「評価できないから無視する」という速度こそが、現代社会において最も危険な不吉さを孕んでいる。
仕事始めの今日は、成果を急げば急ぐほど、自分という存在が薄く、記号的になっていく日でもある。
だからこそ、僕はあえて「行くだけでいい」という低速の倫理に一票を投じたい。
点が出ない日を、敗北と呼ばない。
長いタイムラインにだけ効く「持続」という名の仕事が、間違いなく存在するから。
あなたは誰の道路の上に、どんな「茶葉(ノイズ)」を落としているだろう。
そして逆に、誰のために、ただ「そこにいる」ことで、その人の面を支えているだろう。
成果が出ない日のあなたに、それでも価値が残るとしたら。
それはきっと、あなたが今日「ログイン」したことで維持された、誰かとの淡い繋がりのことなのだと思う。
出典:
・路上に茶葉が散乱し多重事故、死亡も(毎日新聞)/2026年01月05日
・安住紳一郎アナ「仕事始めは“行くだけでいい”」(スポニチ)/2026年01月05日
・2026年の税制・給付変更「得する人/損する人」(WSJ)/2026年01月05日
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