スタバのソファに座ってみて
知人とスターバックスに行ったときのことです。
僕はよく独りでカフェに行って読書なんかをしたりするのですが、スターバックスもその選択肢のうちの一つで、まあまあそこそこあちこちのに行っております。
あちこちのに行ってるのですが、しかし、あのソファみたいな席にはどこでも座ったことがありませんでした。
ご存知です?
あのソファみたいな席に小さなテーブルがちょこんと備えられているあの席です。
あれには座ったことがない。
何故なら、意味がわからないから。
こんなのは作業だってできないし、読書だってしづらいし、メモしたくなったら書きづらいし、一体全体これは誰のなんの為の場所なのかと理解ができなかったのです。
でも彼が先にコーヒーを注文して席に座ったのが、例のソファでした。
ははん、なるほど、君はそっち側の人間か。
などと思いながらコーヒー片手に彼の座る向かいの席に座ってみると、なんだこれ、めちゃくちゃ気持ちいい。
気持ちが良くて眠たくなる。
それで、ああそうか、これは純粋なくつろぎ場所だったのかと、ようやく気が付いたのでした。
僕みたいに、例えばパソコンをしたかったり、テーブルに腕を置いて読書をしたかったり、メモを取ったりするのが目的な人がターゲットなのではなく、純粋にやわらかいソファに座って心も身体もゆっくりと落ち着けたい人の為の憩いの場所だったのか、と。
それには小さなテーブルで確かに事足りるわけで、なにも何かをしたい人だけがスタバに来るのではない、ここはおしゃべりスペースにだってなりうる、もとより喫茶店なのでありました。
ははん。
〇
それで、ある一つの考え方を思い出しました。
チェスタトンという批評家がこんなことを唱えたそうです。
なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない
この考え方は「チェスタトンのフェンス」なんて言われたりもするそうですが、要するに設けられているそれは必ず設けられた経緯があるはずで、その経緯を理解する前にどうのこうのするべきではない、きっとそこには理由があるはずだ、というわけです。
スタバの話で言えば、僕がスタバのソファに座る前にスタバの店長とかになった日には、うっかりソファを撤去してしまうところだったかもしれない。
「意味わからん」の一言で撤去し、テーブルの数を増やし、ソファ勢をないがしろにした経営スタイルを取っていたかもしれない(それはそれで需要があるかもしれないが)。
これはなにも物理的な話にとどまらず、いわゆるルールや決まり事なんかも同じようなことが言えるものではないでしょうか。
どうでもいいような、一見くだらなく見えるそのルールにも、そのルールが設けられた経緯がある。
それがわかるまで変えるべきではないであろう、と。
映画とかの作品の理解にも通じます。
一見よくわからない演出にも、きっと作り手の意図がある。
どうして無駄に見えるそのシーンをあえて入れたのか、制作者の気持ちになって考えると見えてくるものがある(なお全然見えないこともある)。
絵にだって、音楽にだってきっとある。
そうやってみると意外と面白い発見があるかもしれない。
「チェスタトンのフェンス」、是非生活に取り入れてみては。
おしまい
