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『箱の中の羊』で気づいた。伝わる話には必ず「ズレ」がある

映画を観ている最中に、自分の仕事の失敗を思い出すことがある。

映画『箱の中の羊』を観た時がそうだった。

亡くなった息子の姿をしたヒューマノイドが、家にやってくる。妻はすぐに息子として迎え入れる。夫は、同じ姿を見ているはずなのに受け入れられないまま、そっと距離を取る。

同じものを前にして、二人の温度がまるで違う。

この「ズレ」が映画の最初に置かれていると気づいた瞬間、私は映画館の暗闘の中で、自分のスタジオの光景を思い出していた。

「正しい話」は、なぜ人を動かさないのか

放送作家を長くやっていると、一つだけ確信に近いものができてくる。

人の心が動く瞬間は、正しい情報がきれいに並んだ時ではない。「え、どういうこと?」と、受け手の頭に小さなズレが生まれた瞬間だ。

たとえば番組の構成を組む時。情報を整理して、筋道を立てて、誤解なく順番通りに並べる。それは「わかりやすい台本」ではあるが、「見たくなる番組」にはならない。

番組になるのは、二つの違う視点がぶつかる瞬間だ。

Aの立場で話を聞いた直後に、真逆のBの言い分が出てくる。見ている人は「あれ、どっちなんだ?」と前のめりになる。

その前のめりを作ることが、構成の仕事の核心だ。

映画『箱の中の羊』は、冒頭でこの仕掛けを徹底している。夫婦の温度の「ズレ」を最初に提示することで、観客は二時間ずっと「この二人はどこに着地するんだろう」と引き込まれ続ける。

正解は提示されない。ズレだけが、ずっと目の前にある。

だから観客は考える。考えるから、感情が動く。

全部正しい台本で、現場が凍った日のこと

一つ、自分の失敗の話をする。

ある番組で、私はとにかく「わかりやすさ」を追求した台本を書いたことがある。情報を整理し、筋を通し、無駄を削り、誰が読んでも一発で内容が入るように仕上げた。

我ながら完璧だと思った。

ところが、収録が始まるとスタジオの空気が重い。出演者のリアクションが妙に短い。合間の雑談も弾まない。

収録後にスタッフの一人がぽつりと言った。「台本は間違ってないんですけど、なんか引っかからないんですよね」。

帰りの電車で反省しながら台本を読み直して、気づいた。

あの台本には「ズレ」が一つもなかった。

全部が正しく、全部がきれいに並んでいた。だから出演者も視聴者も、「自分の頭で考える隙間」がどこにもなかった。

翌週、私は冒頭を変えた。矛盾する二つの事実をわざと並べた。「〇〇は△△と言われているが、現場では逆のことが起きている」と。

結果、出演者の空気がまるで変わった。「え、それどういうことですか?」と前のめりになった。そこからの展開は、前の週とは別物のように転がった。

情報量は同じ。尺も同じ。出演者も同じ。

変えたのは、「ズレ」を一か所仕込んだかどうか、それだけだった。

あなたのプレゼンが「通らない」本当の理由

映画の話から、あなたの仕事の話に移る。

会議やプレゼンで、自分の提案が通らなかった経験はないだろうか。データは揃えた。論理も破綻していない。なのに、聞いている人の表情が動かなかった。

原因はたいてい、「正しいことを正しい順番で言いすぎている」ことにある。

「結論→理由→根拠」の順番は間違っていない。ビジネスの基本だ。でも、その順番が正しすぎるがゆえに、聞き手は「受け取る側」に固定されてしまう。

受け取る側に回った人は、判断はするが、心は動かない。

ここで放送作家的な発想が使える。

「これが正解です」と始めるのではなく、「AとBという真逆の見方がある。あなたはどちらだと思うか?」と始める。

聞き手の頭に「ズレ」が生まれた瞬間、その人は受け取る側から「考える側」に移る。

考える側に回った人は、その後に提示される情報を、自分ごととして聞く。

自分ごととして聞いた人は、動く。

映画『箱の中の羊』が冒頭でやっていることは、この原理そのものだ。

答えを出す前に、問いを開く。ズレを見せる。そして、そのズレを急いで埋めない。

「埋めない」という勇気

この映画を観て、もう一つ思い出したことがある。

私が駆け出しの頃、先輩の放送作家にこう言われた。

「面白い番組はな、問いかけるまでが仕事で、答えるのは視聴者の仕事なんだよ」

当時はよくわからなかった。台本を書いて、情報を並べて、オチをつけて、きれいに閉じる。それが作家の仕事じゃないのか、と思っていた。

でも現場を重ねるうちに、先輩の言葉の意味が少しずつわかってきた。

台本が全部を語り切ると、見ている人は「ふーん」で終わる。でも、台本があえて語りきらない余白を残すと、見ている人はそこに自分の経験や感情を重ねてくる。

映画『箱の中の羊』のタイトルは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくるエピソードから来ている。箱の絵を描いて「この中に羊がいるんだ」と言うと、子どもはそれを信じて、自分だけの羊を想像する。

見えないものを、見る側が勝手に描く。

これは番組でもプレゼンでも同じだ。

伝え手が全部を埋めると、受け手の想像する余地がなくなる。でも「ズレ」を一つだけ残しておくと、受け手はその隙間に自分の解釈を入れてくる。

自分で解釈を入れた人は、もうその話を「他人ごと」には戻せない。

正しさは人を黙らせるが、ズレは人を動かす

映画『箱の中の羊』は、最後まで明快な正解を出さない。夫婦の温度のズレは、物語が進んでもきれいには埋まらない。

だから観客は、映画館を出たあとも考え続ける。「あの夫婦は、あの後どうなったんだろう」「自分があの立場だったら、どうしただろう」と。

正しい情報をきれいに並べた話は、聞いた瞬間に完結する。でも、ズレが残った話は、聞き手の中で続く。

あなたの次の会議やプレゼンで、冒頭にたった一つだけ「ズレ」を仕込んでみてほしい。

「AとBという、真逆の見方がある」と切り出すだけでいい。

聞き手の目の色が変わる瞬間を、きっと見ることになる。

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