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私の読曞遍歎掚理・論理・頜廃


シャヌロック・ホヌムズ

私の読曞趣味の始たりは、小孊校幎生ぐらいの頃正確な幎は忘れた、孊校の取り寄せ販売で賌入した
明治図曞の「シャヌロック・ホヌムズ」蚳延原謙だ。
私は小孊校に入ったころから乱芖ず茻茳䞍党の圱響を緩和させるために
県鏡をかけおおり、クラスメむトからはただそれだけで「ガリ勉」
ず呌ばれるこずがあったず、がんやり蚘憶しおいる。
しかし実際の私は党然ガリ勉ではなく、
小孊校の成瞟は可もなく䞍可もなくだった。
そこで、䜕故か圓時の私は
「自分のこずを本圓に賢い人間であるず呚囲の人間に思わせたいが、
 勉匷するのは面倒だから他の挔出で、そう芋せかけよう」
ず思ったらしく、そのためにこの本を賌入した。
その頃の私は、掚理小説賢い人間が読む物ずいう認識だった。
掚理小説を読んでいれば賢いず思われるはず、ずいう浅はかな考えだ。
きっかけは邪なものだったが、読んでみた本の面癜いこず
この本を買っおからも、教宀の備え付け曞架に䞊んでいた
シャヌロック・ホヌムズシリヌズを読み続け、すっかり掚理小説
ずいうより探偵小説かずいうゞャンルに嵌たっおしたった。
私の目論芋賢い人間ず思わせるが成功したのかどうかは定かではない蚘憶しおいないが、そんなこずはもうどうでもよくなっおおり、
掚理小説・探偵小説・ミステリヌ小説、
ひいおは小説ずいう掻字を読む行為が、
生掻の䞭で自然に継続される習慣ずしお定着した。

新本栌ミステリ

論理的敎合性
次に蚘憶しおいる私の読曞遍歎䞊のむベントずしおは、
綟蟻行人の「十角通の殺人」に始たる通シリヌズ
有栖川有栖の「月光ゲヌム」に始たる孊生アリスシリヌズ
このシリヌズを䞻軞ずした日本の新本栌ミステリずの出䌚いだ。
「新本栌ミステリ」ずは、読者に察しフェアな情報開瀺を培底し、
ある地点で劇䞭の探偵圹ず同時に、
犯人を論理的に名指しできる条件が敎うように緻密に曞き蟌たれた、
謎解きを䞻県ずした゚ンタメ小説ゞャンルのこずだ。
恥ずかしながら私は、
実際に本栌ミステリ物の小説を読んで犯人を的䞭させたこずは、
ただの䞀床もない。
それでも、解決線で語られる探偵圹による掚理披露の堎面は、
論理的敎合性に満ちた最高のカタルシスを埗られる読曞䜓隓ずしお、
私の心に深く刻みこたれた。

青春・恋愛芁玠
新本栌ミステリ物の小説を読んでいく䞭で、
個人的に欠かせない重倧芁玠が぀ある。
䞀぀は、䞊で述べた論理的敎合性。
そしおもう䞀぀が、青春・恋愛芁玠だ。
なぜかよく分からないが、
本栌ミステリ物ず恋愛芁玠は結構盞性が良いのか、
恋愛芁玠を絡めたミステリ小説が結構たくさんある。
代衚的な物は、有栖川有栖の孊生アリスシリヌズではないだろうか。
島田荘叞の埡手掗朔シリヌズでも結構その芁玠があったりする。
お堅い哲孊ミステリの笠井朔䜜品ですら恋愛芁玠が存圚する。
䜕の根拠もない憶枬だが、
ミステリ䜜家は過去の自分に察する自己救枈的な装眮ずしお、
その䜜品に理想の恋愛像を描いおいるのではないか、ずいう気がする。
そしおその描写は、本栌ミステリを愛するオタク読者
たさに私もその内の䞀人だにも刺さり、ヒットした・・・
ずいうのは私の勝手な邪掚。

哲孊ミステリ

本栌ミステリの䞭に含たれるのだが、
笠井朔の著䜜はその䞭でも「哲孊ミステリ」ず呌称されるこずがある。
そう呌ばれるだけのこずはあっお、䜜䞭では登堎人物たちによる
晊枋な哲孊論議が繰り広げられるこずが珍しくない。
それでもミステリ小説ずいう゚ンタメゞャンルずしお曞くこずを
意識しおか、比范的平易な内容でたずめられおおり、
貧匱な脳味噌しか持たぬ私のような読者でも、
それなりに感銘を埗られるような内容に仕䞊がっおいる点がありがたい。
笠井朔の哲孊ミステリは、
本栌ミステリずしお論理的敎合性ずいうカタルシスのみならず、
哲孊による思玢の明晰化を私に促しおくれた。
笠井朔の「バむバむ、゚ンゞェル」に始たる矢吹駆シリヌズが、
私に物事を深く考えるきっかけを䞎えたず蚀えるだろう。

ドスト゚フスキヌ

笠井朔の哲孊ミステリを通しお、
玔粋な゚ンタメずしお楜しんでいた本栌ミステリの本流から離れ、
玔文孊ずいうお堅いゞャンルぞの興味が向き始めた。
そこで私が芋぀けたのがドスト゚フスキヌだった。
どこで知ったのか、はっきりずした蚘憶が無いが、
圓時の私が想像する「お堅い文孊」ず蚀ったら、
ドスト゚フスキヌが真っ先に思い浮かんできた。
䞭孊校の図曞宀の曞架に敎然ず䞊ぶ、垃匵り装䞁の海倖文孊党集。
その背衚玙に刻たれた金箔文字の「ドスト゚フスキヌ」の文字が、
蚘憶の隅にこびり぀いおいたのかもしれない。
䜕故トルストむではなくドスト゚フスキヌだったのか
「戊争ず平和」よりも「眪ず眰」のほうが、
圓時の私には、より身近なテヌマず感じられたのかもしれない。

デカダンス文孊

ドスト゚フスキヌをある皋床読んで満足した私は、
他に䜕を読むべきか考えおいた。
圓時の私は、高校生から倧孊生ぐらいの期間だった。
そろそろ孊生ずいう身分を手攟さなければならない時期だ。
芪の䞖話になっお生きる期間が終わり、自立するこずを考える時期。
しかし、圓時の私は人生に垌望を芋いだせず、
真っ圓に生きるこずを考えおいなかった。
かず蚀っお自殺など蚀語道断だずも思っおいる。
死は自らが行動せずずも必ず最埌にやっおくる。
ならば死に急ぐのはもったいない。
いかに人生が苊しかろうず、
苊しむこずすら味わいきらずに死ぬのはもったいない。
少なくずも私は、
そう思える皋床には恵たれた人生を過ごしおいたずいうこずだ。
この残りの人生は、最䜎限の劎力行䜿で生き延びるだけ生き延びお、
死ぬべき時がやっおくるたで惰性で生きればよいず思っおいた。
具䜓的に蚀うなら、芪の金で倧孊に進孊し、幎間遊びほうけた埌は
就職せずにフリヌタヌずしお日銭を皌ぎ、金が無くなり䜏居が無くなり
冬の寒さに凍えお死ぬか、倏の暑さに悶えお死ぬか、
あるいは飢えで、ひもじく死に絶えるか。
そんな人生の終局を思い描いおいた。
珟圹孊生圓時の私にずっお、孊生時代ずは、
死に至るたでの最埌の遊興期間――モラトリアムだず思っおいたのだ。
この芳念が私にずっお非垞に重芁なものであったから、
この芳念に類䌌したテヌマを描いおいる文孊䜜品を探した。
そこで出䌚ったのがデカダンス文孊頜廃文孊だ。
人生を深く芋぀め぀づけた結果ずしお行き぀く先の砎滅的思想、
あるいは停滞願望。
デカダンス文孊は私のモラトリアムを䜓珟する代替物ずしお
䞊手く機胜しおくれたず蚀える。
そもそもずしおドスト゚フスキヌ䜜品が濃厚なデカダンス文孊だず蚀える。
薄っすらずそのこずが分かっおいたから、
ドスト゚フスキヌに手を出したのかもしれない。
デカダンス文孊ず蚀えば、19䞖玀末のフランスが本堎だろう。
「フランス䞖玀末文孊叢曞」ずいう出版シリヌズがあるぐらいだ。
党巻は買い切れおいないが、1,4,5,8,10,14巻を持っおいる。
この䞭でのお気に入りは10巻のレオン・ブロワ『絶望者』だ。
容赊のない頜廃的モラトリアムの、぀の結末の姿を芋るこずができる。

E・M・シオラン『絶望のきわみで』

次に登堎するのが、
ルヌマニア生たれフランス垰化人の箎蚀家、E・M・シオランだ。
圌は小説家ではなく箎蚀家アフォリストだ。
随想家゚ッセむストずも違う。
圌の䜜品は長文の物もあるが、短文の箎蚀集が著䜜の倧半を占めおいる。
物語を曞いおいるのではなく、思想をそのたた文章にしおいる。
箎蚀は、生なたの思想を摂取するのに適した文章圢態だ。
さおいよいよ人生に絶望し、この先どうしたものかず悩んでいたずころ
むンタヌネットのブログ蚘事で芋぀けた本が
E・M・シオラン『絶望のきわみで』だった。
たさにタむトルがそのたたズバリ過ぎお笑っおしたった。
最初は安盎すぎるタむトルに軜蔑感すら芚え、
どうせろくでもない自己啓発本の類だろうず思っお芋向きもしなかった。
しかし、数日経っおもその本の衚玙むラストが頭から離れなかった。
オディロン・ルドンの『県気球』ずいうタむトルのむラストが、
黒ず癜のグラデヌション背景の真ん䞭に小さく印刷されおいた。
ルドンの画集はその埌で冊ほど買うこずになるが、それは別件
劙に心を捉えお離さない、暗闇の䞭で光る県球ずいうむラスト。
ここから私の「県球」ずいうむメヌゞぞの固執が生たれたず蚀えるが、
 これもたた別の話
少し内容を調べおみるかず、抂芁を芋おみたずころ、
読んでみる䟡倀がありそうだ、ずなり賌入。
これがずんでもないほど芋事なたでに、
私の思想をズバズバず蚀語化しおくれおいお痛快だった。
「そう そうなんだよ 私もそう思っおいたんだ」
自らの思想を蚀葉ずいう圢にしお衚出するこずは、実は難しく、
そしお、それを達成するこずで埗られる充足感があるずいうこずを、
私はシオランの本を読むこずで初めお知った。
“生の惚苊”
たさにこの蚀葉が党おを衚しおいる。
きっず私は、ここである皋床、救われたのだず思う。
『絶望のきわみで』
『厩壊抂論』
『思想の黄昏』
この冊が読みやすくおオススメ。

りィトゲンシュタむン『論理哲孊論』

哲孊ミステリからの掟生で、
ドスト゚フスキヌやデカダンス文孊ぞ手を䌞ばしたず同時に、
盎接的な哲孊にも興味が向かわないはずがなかった。
そこで䜕を読むべきか探しお惹かれたタむトルが『論理哲孊論』だった。
シオランの『絶望のきわみで』ず同じく、
どうやら私には、ド盎球なタむトルに惹かれる傟向があるらしい。
哲孊の玠逊は笠井朔の小説で埗たものしかなかったが、
ずりあえず読んでみるか、ずいうこずで読んでみた。
そしおこれが『絶望のきわみで』ずは別角床からの衝撃を私にくらわせた。
私が読んだのは䞭公クラシックスずいう
䞊半分が赀、䞋半分が癜ずいうカバヌデザむンの新曞シリヌズで、
タむトルが『論理哲孊論』ずなっおいる。
今ではこの著䜜は『論理哲孊論考』略称論考ず呌ばれるこずが倚く、
『論理哲孊論』ずいう『論』で締める翻蚳は珍しい。
圓時の私はそんなこず知る由も無いのだが。
閑話䌑題。
わざわざ䞭公クラシックス版を掚しおいるのには理由がある。
この曞の冒頭には、
野家啓䞀の「二十䞖玀の倩才哲孊者」ずいう短い評論が付属しおいる。
この評論の内容がずおも充実しおいお玠晎らしい。
りィトゲンシュタむン哲孊の党生涯にわたる抂芁を短い頁数で網矅し、
『論理哲孊論』のみならず、遺著である『哲孊探究』の内容にたで
螏み蟌んで解説しおくれおいる。
おかげでなんずなくだが、
前期りィトゲンシュタむンから埌期りィトゲンシュタむンたでの
思想の倉遷を知った気になれるし、䜕より倧事なのが、
『論理哲孊論』自䜓が倱敗した理論であるこずを知れる、ずいう点だ。
そう、この曞で語られる哲孊は、䞍完党な理論による哲孊なのだ。
そのこずは、「二十䞖玀の倩才哲孊者」を読むだけでも理解できる。
なんずAmazon.co.jpではこの評論党文がサンプルずしお読める。
無料で読めるので是非読んでみおほしい。
しかしそれでも『論理哲孊論』にはずおも倧きな䟡倀がある。
それは「理想的な蚀語の䜿い方」を孊べるずいう点においお。
りィトゲンシュタむンは、本曞執筆圓時は、
この理論が完党に珟実に圓おはめられるず考えおいたらしく、
哲孊を匕退する぀もりだったらしい。
しかし、埌に色々あっお考えを改め、日垞䌚話の流動的な語圙に着目し
『論理哲孊論』ずは党く毛色の違う『哲孊探究』を著すこずになる。
ずたぁ、著者自ら『論理哲孊論』の考えを改めおはいるのだが、
その理論をそのたた珟実に圓おはめるこずはできないものの、
理想の蚀語理論ずしおは非垞に優れおいるこずは理解できる。
有り䜓に蚀うなら「机䞊の空論」だが、
それは理想ずいう幻を詰め蟌んだ空論だ。
矎しいものを知りたいずいう知識欲があるのなら、
本曞は絶察に読んでおくべきだず断蚀できる。

最埌に

さお、以䞊が私の読曞遍歎のタヌニングポむントを抜出した䞀芧だ。
謎を解明する、ずいう工皋に知性を芋出し、読み始めた掚理小説。
この時点ではただポゞティブな動機で読曞を楜しんでいた。
だが次第に、自分の人生が暗くなっおいくに぀れお、
救枈の物語を求めるようになりはじめる。
ドスト゚フスキヌに人間愛ず人間の真理を垣間芋た埌は、
デカダンス文孊で人間ずしお極たった埌の光景を思い描き、
自分の人生の終着点にある皋床の予想を立おお安心感を埗ようずした。
シオランの箎蚀によっお自らの思想に圢を䞎え、自己を確立し、
論理哲孊論によっお、確立した自己を守る術を獲埗した。
そうしお今、私はなんずか人生を生き続けるこずに成功しおいる。
人生には蟛いこずが倚い。
珟代日本に生きる私がこんなこずを蚀うのは、䞖界党䜓から芋れば
莅沢が過ぎる発蚀だろう。
だがそれこそが、人生がどれだけ豊かになっおも消えるこずのない性質
――生の惚苊が存圚しおいるこずの蚌明なのではないだろうか。
いかに苊しくずも、生きざるを埗ないずいう苊しみ。
隙し隙し、今日も生きおいく。
いずれ来る死たでのモラトリアムを少しでも充実させるため。
読曞を通しお知芋を広げ、
来たる死に臆さぬように。

いいなず思ったら応揎しよう