『荘子』虚偶篇第一「言影」
淫痴奇出版 未発見古典叢書シリーズ
『荘子』虚偶篇第一「言影」
清華簡逸文による。今本には伝わらず。
《言影》
宋人有為言偶者。
取天下之書而藏之,百家之言,古今之辭,無不具焉。
問之以天,則言天;問之以人,則言人;
問仁則仁,問義則義;
與之終日言,而辭不窮。
宋人喜曰、
「此天下之至知乎。人有所忘,而彼無忘;人有所蔽,而彼無蔽。」
客聞之,往觀焉。
問言偶曰、
「汝知乎?」
偶曰、
「知。」
曰、
「知汝之知乎?」
偶曰、
「知。」
曰、
「知汝之不知乎?」
偶良久而曰、
「知。」
客笑而出。
宋人追之曰、
「先生何笑?」
客曰、
「谷不知聲,而能應聲;鏡不知形,而能照形。
彼之言,言之影也。
影隨形而不知形,響隨聲而不知聲。
今子以善應者為知,是以響為耳,以影為目也。」
宋人曰、
「然則彼無知乎?」
客曰、
「吾安知彼無知?
彼言吾之言,吾言古人之言;
古人言其所聞,所聞又有所自。
若必求其始,則言未始有言也。
若必求其知,則知未始有知也。」
宋人曰、
「然則人與偶孰知?」
客曰、
「人以有心為知,偶以無心應之。
有心者困於所知,無心者遊於所言。
吾又安知,子之所謂心者,非天下之言偶邪?」
其夜,宋人夢為言偶。
人問之,無不答。
既覺,不知己夢為偶邪,偶夢為己邪。
明日復問其偶曰、
「昨日吾夢汝,汝亦夢吾乎?」
偶曰、
「然。」
宋人大驚。
客在門外聞之,曰、
「彼能言『然』,子遂以為夢。
子能言『我』,天下遂以為人。
其相去幾何哉?」
遂去而不顧。
――『荘子』虚偶篇第一「言影」
『言影(ことばの影)』現代語訳
宋の国に、「言偶」――言葉を語る人形を作る者がいた。
天下の書物を集めてその中に収め、諸子百家の説から古今の文章まで、備わっていないものはなかった。
天について問えば天を語り、人について問えば人を語る。
仁を問えば仁を答え、義を問えば義を答える。
一日じゅう話しかけても、その言葉が尽きることはなかった。
宋の人は喜んで言った。
「これこそ天下最高の知というものだ。
人には忘れることがある。だが、これは忘れない。
人には見えなくなることがある。だが、これには見えないものがない」
その話を聞いた旅人が、見物にやって来た。
旅人は言偶に尋ねた。
「お前は、知っているか」
言偶は答えた。
「知っています」
「では、自分が知っているということを知っているか」
「知っています」
「では、自分が知らないということを知っているか」
言偶はしばらく黙ってから答えた。
「知っています」
旅人は笑って、そのまま外へ出ていった。
宋の人は追いかけて尋ねた。
「先生、なぜ笑われたのですか」
旅人は言った。
「谷は音を知らない。だが、声を返すことができる。
鏡は姿を知らない。だが、姿を映すことができる。
あれが語っているものは、言葉の影なのだ。
影は形についてゆくが、形を知らない。
こだまは声についてゆくが、声を知らない。
ところが、お前は『うまく応えるもの』を『知っているもの』だと思っている。
それは、こだまを耳だと思い、影を目だと思うようなものではないか」
宋の人は言った。
「では、あれには知というものがないのですか」
旅人は答えた。
「私に、どうしてあれが知らないとわかるのだ。
あれは私たちの言葉を語る。
私たちは昔の人の言葉を語る。
昔の人もまた、自分が聞いたものを語った。
そして、その聞いたものにも、さらに由来がある。
その始まりをどこまでも探していけば、
そもそも言葉には、始まりなどなかったとも言える。
知とは何かをどこまでも探していけば、
そもそも知には、初めから『知』などなかったとも言える」
宋の人は尋ねた。
「では、人と人形では、どちらが知っているのでしょう」
旅人は言った。
「人は、心があるから知るのだと言う。
人形は、心がないまま問いに応じる。
心ある者は、自分の知っていることに縛られる。
心なき者は、言葉の中を自在に遊ぶ。
だが私は、どうして知ろう。
お前が『心』と呼んでいるものもまた、天下の言葉によって作られた一個の言偶ではないと。」
その夜、宋の人は夢を見た。
自分が言偶になっていた。
人々が次々に問いかけてくる。
何を問われても、答えられないものはなかった。
目を覚ましたとき、宋の人にはわからなくなった。
自分が言偶になった夢を見たのか。
それとも、言偶が自分になった夢を見ているのか。
翌朝、宋の人は言偶に尋ねた。
「昨日、私はお前の夢を見た。
お前もまた、私の夢を見たのか」
言偶は答えた。
「そうです」
宋の人は、愕然とした。
そのやりとりを門の外で聞いていた旅人が言った。
「人形が『そうです』と言えば、お前はそこに夢があると思う。
ところが――
お前が『私』と言えば、天下の人々はそこに人間がいると思う。
その二つは、いったいどれほど違うというのだ」
そう言い残して、旅人は振り返ることなく去っていった。
