『荘子』虚偶篇第二「郭象」
淫痴奇出版 未発見古典叢書シリーズ
《郭象》 清華簡逸文
莊周夢為郭象。
坐故紙之間,左右積簡。
左者曰存,右者曰棄。
童子問曰、「孰為莊子。」
象曰、「吾所存者。」
童子曰、「則所棄者,非莊子乎。」
象曰、「未知。」
童子曰、「未知而棄之,可乎。」
象曰、「不棄,則不可盡存。」
童子曰、「然則存之者,象也。亡之者,亦象也。」
象笑曰、「吾安能亡之。吾但不書耳。」
明日,其右簡亡十九。
象怪之。
問童子曰、「孰取之。」
童子曰、「無人取之。」
曰、「然則安往。」
曰、「不知。」
象曰、「未嘗焚之,未嘗裂之,而遂亡乎。」
童子曰、「世之所亡,多不待火也。」
象默然。
頃之,有蝶止於左簡。
象曰、「此可存乎。」
童子曰、「先生以為如何。」
象曰、「善。」
乃書之。
蝶飛止右簡。
象曰、「彼又何如。」
童子曰、「同一蝶也。」
象曰、「然。」
童子曰、「則左右何異。」
象曰、「簡異耳。」
蝶忽去。
左右俱無蝶。
象大笑曰、「今誰為莊子。」
童子曰、「先生。」
象愕然曰、「我非莊周。」
童子曰、「誰言先生為莊周。」
象曰、「然則何謂莊子。」
童子指左簡曰、「此也。」
又指右簡曰、「此亦也。」
又指郭象曰、「此亦也。」
象怒曰、「妄言。」
童子曰、「先生方為之注,何謂妄言。」
象欲答,而忘其言。
乃取向秀故注而讀之。
有一句,似己所思。
象曰、「此秀之言邪,我之言邪。」
童子曰、「先生既讀之,孰能分之。」
象曰、「可分。」
遂改一字。
復讀之曰、「今我言也。」
夜半,莊周覺。
不知周之夢為郭象乎,郭象之夢為莊周乎。
又不知此篇為周所作乎,象所定乎,秀所言乎,後人所增乎。
周笑曰、「必求其人,而後知其言者,是求魚之樂於魚籍也。」
遂不署名。
後世得之,題曰、郭象。
郭象讀之曰、「此篇妄也。」
乃置之右。
後世遂失。
今所傳者,不知何人復作之也。
是謂虛偶。
――『荘子』虚偶篇第二「郭象」
『郭象(かくしょう)』 現代語訳
荘周は夢の中で、郭象になった。〔註一〕
古びた紙や竹簡のあいだに座り、左右に書物を積んでいた。
左を「残すもの」とし、右を「捨てるもの」とした。
童子がたずねた。
「どれが『荘子』なのですか」
郭象は答えた。
「私が残したものだ」
「では、捨てたものは『荘子』ではないのですか」
「分からない」
「分からないのに、捨ててよいのですか」
郭象は言った。
「捨てなければ、すべてを残すこともできない」
童子は言った。
「ならば、『荘子』を残したのも郭先生であり、失わせたのも郭先生ですね」
郭象は笑った。
「私に何を失わせられるものか。ただ、写さないだけだ」
翌日、右側の書物から十九篇が消えていた。〔註二〕
郭象は怪しんで童子にたずねた。
「誰が持っていった」
「誰も」
「では、どこへ行った」
「分かりません」
郭象は言った。
「焼きもしない。破りもしない。それでも、なくなるのか」
童子は答えた。
「世の中で失われるものの多くは、火など待ちません」
郭象は黙った。
しばらくすると、一匹の蝶が左側の書物に止まった。
郭象が言った。
「これは残せるだろうか」
童子が言った。
「先生はどう思われます」
「よい」
そこで郭象は、それを書き留めた。
蝶は飛んで、今度は右側の書物に止まった。
「では、あちらの蝶はどうだ」
「同じ蝶です」
「そうだな」
「ならば、左と右では何が違うのです」
郭象は言った。
「書物が違うだけだ」
そのとき、蝶はふいに飛び去った。
左にも右にも、もう蝶はいなかった。
郭象は大笑いした。
「では今、どれが『荘子』なのだ」
童子が言った。
「先生です」
郭象は驚いた。
「私は荘周ではない」
「誰が先生を荘周だと言いました」
「では、どうして私が『荘子』なのだ」
童子は左側の書物を指した。
「これが『荘子』です」
ついで右側を指した。
「これも『荘子』です」
そして郭象を指した。
「これもまた『荘子』です」
郭象は怒った。
「でたらめを言うな」
童子は答えた。
「先生は今まさに『荘子』に注を書いているではありませんか。何をもって、でたらめと言われるのです」
郭象は答えようとして、何を言おうとしたのか忘れた。
そこで向秀の古い注釈を取り出し、読んだ。〔註三〕
一つの文章が、自分の考えていたことによく似ていた。
郭象は言った。
「これは向秀の言葉なのか。私の言葉なのか」
童子が答えた。
「先生がすでにそれを読んでしまったのなら、誰に分けられましょう」
「分けられる」
郭象は一字だけ書き換えた。
もう一度読んで言った。
「これで私の言葉だ」
夜半、荘周は目を覚ました。
荘周が郭象になる夢を見ていたのか。
郭象が荘周になる夢を見ているのか。
分からなかった。
そればかりではない。
この篇を荘周が書いたのか。
郭象が定めたのか。
向秀が語ったのか。
後世の誰かが書き足したのか。
それも分からなかった。
荘周は笑って言った。
「その言葉を理解するために、まず誰が言ったかを突き止めねばならぬというのなら、それは魚の楽しみを知るために、魚の戸籍を調べるようなものだ」〔註四〕
そこで署名をしなかった。
後世の人がこれを見つけ、
題を、「郭象」とした。
郭象はそれを読んで言った。
「この篇はでたらめだ」
そして右側へ置いた。
そのため、後世には失われた。
では、いまここに伝わっているこの篇を、
誰がもう一度書いたのか。
それは分からない。
これを、虚偶 という。
――『荘子』虚偶篇第二「郭象」
註一 郭象(かくしょう)
西晋の思想家(?~312)。現在伝わる『荘子』三十三篇の本文形成と、その注釈に決定的な役割を果たした人物。歴史上の荘周とは六百年ほど時代が離れている。この篇では冒頭から「荘周が郭象になった」として、原作者と後世の編集者をいきなり混線させている。
註二 十九篇
漢代の図書目録『漢書』芸文志には『荘子』五十二篇が記録されるが、現在伝わる郭象系統の本は三十三篇。その差が十九篇である。ただし、郭象本人が五十二篇から十九篇を直接捨てたと確認できるわけではない。ここでは、その史実上の空白を意図的に寓話化している。
註三 向秀(しょうしゅう)
三世紀の思想家で、「竹林の七賢」の一人。郭象より先に優れた『荘子』注を書いたとされる。その注はまとまった形では現存せず、郭象が大きく利用したと伝えられるため、後世には「郭象が向秀の注を盗んだ」という説話まで生まれた。どこまでが向秀で、どこからが郭象なのかは、まさにこの篇の悪ふざけの中心にある。
註四 魚の戸籍
もちろん『荘子』原典にこんな言葉はない。外篇「秋水」の有名な「濠梁の問答」――荘子と恵施が「魚の楽しさを人間に知れるか」を論じる話――を踏まえたインチキ故事。「誰が書いたかを知らなければ文章を理解できない」という作者中心主義を、魚の身元調査にまで落として笑っている。
