【散った命が、私たちに残した宿題】
1945年。
空は今と同じように青かった。
風も吹いていた。
桜も咲いていた。
しかし、その空へ飛び立った若者たちは、二度と帰ってくることはありませんでした。
特攻隊。
その言葉を聞くたび、私はいつも考えます。
彼らは本当に死にたかったのだろうか、と。
私たちは歴史の教科書で学びます。
戦争があったこと。
多くの命が失われたこと。
特攻隊が存在したこと。
けれど、その一人ひとりに人生があったことまでは、なかなか想像しません。
彼らも私たちと同じでした。
好きな人がいた。
家族がいた。
友人と笑い合った日があった。
未来の夢もあった。
本当なら結婚したかもしれない。
子どもを抱いたかもしれない。
老後を迎えたかもしれない。
しかし、その未来は途中で切り取られました。
国のため。
家族のため。
時代のため。
様々な理由を背負いながら。
私は調べる中で知りました。
特攻隊員の多くは20歳前後。
そして、その中には死を望んでいなかった若者も少なくなかったことを。
私は、この問いの答えを探したくなり、自分なりに特攻について調べました。
調べれば調べるほど、私の心に残ったのは戦果ではありませんでした。
なぜ特攻が始まったのか
沖縄戦で何が起きたのか
若者たちは何を思っていたのか
上原良司さんの言葉
若者たちの「生きたかった」という声なき声でした。
もちろん時代背景はあります。
当時を今の価値観だけで語ることはできません。
しかし一つだけ確かなことがあります。
それは、彼らも生きたかったということです。
人は戦争を語るとき、勝敗を語ります。
作戦を語ります。
歴史を語ります。
けれど本当に語るべきなのは、失われた命の数ではなく、失われた人生ではないでしょうか。
誰かの息子。
誰かの恋人。
誰かの親友。
その一人ひとりが帰ってこなかった。
戦争とは、数字ではなく人生そのものを奪う出来事なのだと思います。
私は64年生きてきました。
楽しいこともありました。
苦しいこともありました。
失敗もありました。
絶望した日もありました。
それでも思うのです。
生きているからこそ経験できたことがたくさんあった、と。
もし20歳で人生が終わっていたら。
もし明日が来なかったら、出会えなかった人がいるなら、見られなかった景色があるなら、気づけなかった幸せがあるなら。
そう考えると、特攻で散っていった若者たちの人生の重さに胸が締め付けられます。
だから私は思います。
彼らが命を失った意味を議論するよりも先に、私たちは今をどう生きるのかを考えるべきではないかと。
命は当たり前ではありません。
明日が来る保証もありません。
だからこそ、会いたい人には会い、伝えたい言葉は伝え、感謝は後回しにしないで、今日という日を粗末にしない。
それが、散っていった命への一つの供養になる気がするのです。
終戦の日になると、私たちは黙祷を捧げます。
静かに頭を下げます。
しかし本当の意味で大切なのは、その後かもしれません。
黙祷を終えたあと、自分はどう生きるのか。
何を守るのか。
誰を大切にするのか。
それを考えることが、平和を受け継ぐということなのかもしれません。
散った桜は、もう戻りません。
けれど、その桜が命を懸けて守ろうとした未来の中に、今の私たちは生きています。
私たちは過去を変えることはできません。
しかし、その記憶を未来へ渡していくことはできます。
それが、生き残った私たちに残された宿題なのだと、私は思うのです。
Photo & philosophy donchan
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