【書評】『近代日本の対中国感情 なぜ民衆は嫌悪していったか (中公新書)』
金山泰志『近代日本の対中国感情 なぜ民衆は嫌悪していったか 』は日清戦争から昭和戦前期にかけての日本の少年(少女)雑誌の挿絵や漫画等の史料に着目し、日本の一般民衆における対中感情を考察した研究がまとめられた新書である。非常に豊富な視覚的史料が実際に引用されながら紹介されており、読み応えのある一冊となっている。以下では同書を読んでの筆者の感想を書評としてまとめ、記事にしたい。
同書を読んでとにかく目につくのは、非常に膨大な中国・中国人に対して侮蔑的な言説の数々だ。孫引きになってしまうが、以下に一例を引用する。

このイラストは『小国民』という少年雑誌の「乗馬ごっこ」という題の記事に付せられていたとのこと。こういった言説が当たり前のように子供向け雑誌に掲載される時代が明治後半〜昭和戦前期と長く続いたわけだから、現代の日本人が中国人に対して持つ感情の淵源の一つが、明治時代から大量に生産されたこれらのイメージにあることが理解できる。
同書の著者が注目している点は、中国・中国人への強烈な蔑視がみられる一方で、そういった嘲笑や敵愾心が頂点に達していた時代であっても、一貫して孔子や孟子などの儒教の経典を代表とした中国古典の地位は全く揺るがなかった事実だ。孔子は子供が模範とするべき聖人とされ、論語に至っては「宇宙第一の書」「日本の国民道徳には頗る深い関係をもって居ります」と絶賛されているという。例えば、孔子の石碑にお参りする日本兵の写真が以下のようなキャプションと共に紹介されている。

日本の対中言説は、当代の中国に対する嫌悪・敵対心がある一方で、他方では孔孟を代表とする漢籍や三国志といった古典時代の中国史に対する敬慕・憧憬とが(日本人の主観では)矛盾なく両立しているアンビバレントさに特徴がある。ヨーロッパ文明がギリシア・ローマに端を発しているといえども、今日の西洋人が必ずしも現代のギリシアやイタリアを好んでいるわけではないことと相似をなしているといえなくもない。しかし、ヨーロッパ人の場合、逆に現代のギリシア・イタリアに強い嫌悪感や敵愾心を持っているわけでもないので、その点は非対称性がある。
(当代への)嫌悪・敵対と(古代への)憧憬・敬慕が併存するという複雑な態度は同時代の中国と古典世界の中国の連続性を否定して切り離すロジックに支えられている。これは古くは江戸時代の『華夷変態論』にみられ、今日でもその変奏曲とでもいうべき「中国(=中華人民共和国)は1949年にできた国」という言説がインターネット上で散見される(なお、この言説はしばしば「日本が戦っていたのは国民党軍であって中共ではない」というロジックと接続している)。それを言い出すと日本国と大日本帝国と徳川幕府の日本も全て、連続性を持たない別個の国ということになってしまうし、国号・政治体制の違いを以て連続性を否定するのは無理があると思うのだが、論理的な整合性とは無関係に古典世界の中国と同時代の中国とのつながりを切断する言説は脈々と受け継がれ続けている。
古典時代の中国と当代の中国との断絶を強調するロジックは戦前からみられ、『華夷変態論』を想起すればその萌芽は江戸時代にあったといえるかもしれないが、今日の対中言説と戦前のそれでやや異なるのは、日本が(中国では失われた)東洋文明の継承者であるという意識の有無だ。先に引用した孔子の石碑にお参りする日本兵の写真へのキャプションにも「地下の孔子も定めし、その教にそむく支那兵をこらした兵隊さんが来てくれたことを、心から喜んでいることでせう」と書かれており、日本こそが孔子の教えの真の後継者であるという意識がうかがえる。そのような意識は、本書で紹介されている雑誌『少年俱楽部』の次の一節においても反映されている。またしても孫引きになってしまうが、重要なので引用したい。「太郎」と「小父さん」の会話という形式で日中戦争の大義が説明されるという部分である。
太郎 支那はどうしても孔孟の昔のりっぱな支那に立帰らせねばならないと、学校の先生もいわれましたよ。
小父 さうだ。そこが一番大切なところだな。それについて一つの面白い話がある。徳川時代の孔孟の教が盛んだった頃、山崎闇斎という学者が、もしも今、日本へ支那から大軍が押しよせて来るとして、それを率いる総大将が孔子で、副大将が孟子だとしたら、我々はこれに対してどうすればよいかと、弟子にたずねた。するとい並んだ弟子達が一人も答えられなかったというのだ。これは、その時分の日本国中に、いかに孔孟の教というものが、しみこんでいたかを知らせる面白い材料だといっていい。
ところが今日は逆に、日本から孔孟を生んだ本場の支那に向かって、孔孟を大将とする正義の軍が押しよせたと同じなんだ。日本としてこのくらい支那のためになる立派な行はほかにあるものじゃない。孔孟の国へ孔孟の教を布きに行ってやっているんだ。
(中略)支那人を治めるには、一つの正義、言いかえれば日支両国民に共通の道徳で行うのが一番良い方法だ。つまり、これからの日本は、どこまで孔孟の教をふりかざして孔孟の国をよくすることが出来るかを試験されているようなものだ。
意識的にかどうかは不明だが、「小父さん」は山崎闇斎の話の続きを「太郎」に伝えていない。山崎闇斎はもし孔孟を大将とする大軍が日本に攻めてきたら、「甲冑を着て武器を取り、孔子・孟子を捕らえて国恩に報いる。それこそが孔孟の道である」と説いているのだ。孔子の教えを実践するならば、例え孔子と戦う形となっても自国に忠を尽くすのが正義、というロジックである。山崎闇斎の論を持ち出すなら、仮に中国人が孔孟の教えを「取り戻した」場合、日本人を追い払うことが彼らにとっての正義になってしまうはずではないのだろうか。しかし、意図的に無視されているか、単に深く考えていないだけなのかは別として、その点は捨象されている。
それにしても、日中戦争について「孔孟の教え」を中国に恢復する正義の戦争であるというロジックが存在したことは興味深いことである。この「文明の中心は移転した」「断絶した文明を恢復する」というイデオロギーは西洋世界にもアナロジカルなものがある。「第三のローマ」論である。

The original…「原作」のローマ帝国。
The sequel…ビザンツ帝国。ローマ帝国の「続編」。
The sequel that nobody wanted…ファシズム期のイタリア。ローマ帝国の「誰も望まなかった続編」。ムッソリーニは演説の中でファシスト・イタリアを「新ローマ帝国」と位置付けたことがある。
The one that ruined the original…神聖ローマ帝国。「原作をぶち壊した続編」。
The bad spinoff…オスマン帝国。ローマ帝国の「悪いスピンオフ」。オスマン帝国の皇帝・メフメト2世は1453年のコンスタンティノープル陥落時、「Kayser-i Rûm(ローマのカエサル)」という称号を称したことがある。
The wired fanfiction…帝政ロシア。ローマ帝国の「奇妙な二次創作」。「モスクワは第三のローマ」という、文明の中心はローマ→コンスタンティノープル→モスクワへと移っていったとするイデオロギーがあった。
The short-lived prequel…アレクサンドロス大王の帝国。ローマ帝国の「短命に終わった前日譚」。
Unrelated but shares the same canon…ササン朝ペルシア。ローマ帝国と「別シリーズだが同じ世界を共有している」。
東洋世界における小中華思想※と西洋世界における第三のローマ論は、どちらも文明の正統な継承者を自任するという点で類似しているといえる。「文明の正統は我々が継承した(文明の中心は自分たちに移った)」というナラティブと、「堕落・滅亡した本家よりも自分たちの方がより正統」という自認がその中核にある。例えば、日本における華夷変態論や金山『近代日本の対中国感情』で紹介された近代日本の対中言説を「モスクワは第三のローマ論」と対照的に比較してみよう。
※「小中華思想」はイメージの良くない言葉だが、現状筆者が言いたい概念を指す言葉がこれしかないので、便宜的に使用する
中華は夷狄(満州人)に征服された⇔コンスタンティノープルは異教徒(オスマン帝国)に征服された
「真の孔子の教えは日本だけが守っている」⇔「真の正教会はモスクワにだけ残っている」
ただ、もちろん両者には相違もある。東洋の小中華思想と西洋の第三のローマ論とで決定的に異なる点は、中国が(王朝の変遷がありつつも)存続しているのに対して、ローマ帝国は滅亡したということにある。第三のローマ論では当代に存在しないローマ帝国と対抗・競合する必要はないのに対して、小中華思想では現前する中国をどう捉えるかが重大な問題となる。中国が仮に古代の東洋文明を完全に保存・継承しているのなら、自国がその後継を自認する必要がなくなるからだ。だからこそ、伝統的に日本人の対中言説は古代の中国と当代の中国の連続性を否定することに力点が置かれるのではないか。
「書評」としつつも、書籍の紹介・要約というより、本ブログ筆者の持論の展開が中心になってしまったが、金山泰志『近代日本の対中国感情』 は日本人の対中感情が明治の昔から歴史的・政治的に形成されたものであることを喝破する優れた研究である。本ブログ筆者としては、アヘン戦争~日清戦争開戦前夜ぐらいまでの日本人の対中認識にも興味を持ったが、それはまた別の機会に学ぶとしたい。
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