過去の「副次戦線の過剰疲弊」の事例が示唆するアメリカの戦略欠如
1. 限界に達する第5艦隊と「対イラン海上消耗戦」
中東の海上安全保障を一手に担う米海軍第5艦隊の現場から、破綻を告げる深刻な悲鳴が漏れ聞こえている。
BBC等の報道によれば、空母エイブラハム・リンカーンを中心とする打撃群は250日以上に及ぶ異例の連続展開を強いられており、乗組員のメンタルヘルス悪化や飛び降り未遂などの自傷行動、長期間の洋上留め置きに伴う艦艇整備の遅延、さらには給湯システムや衛生環境の悪化といった即物的な過酷環境に直面している。
さらに、数百万円レベルの低コストなドローンや対艦ミサイルに対し、数億円単位の高価な精密誘導ミサイルを連射し続ける作戦は、米海軍の弾薬庫と補給線を急速に枯渇させており、軍事的な運用限界がすでに末期的な領域に入りつつあることを示している。
2. 副次戦線における広範な抑止任務と拘束
バーレーンに司令部を置く第5艦隊は、ホルムズ海峡からペルシャ湾、紅海に至る広大な海域で、核開発を進めるイラン本国やその関連勢力全体を抑止・制圧する広範な戦略任務を担っている。
しかし、現在のアメリカの本命の主戦場が東アジア、西太平洋における対中抑止である以上、この多正面な「対イラン海上消耗戦」はどこまで行ってもアメリカにとっての副次戦線に過ぎない。米海軍は副次的な領域で莫大なアセットを拘束され、消耗を重ねているのである。
3. 歴史が提示する前線疲弊の構造
この副次戦線における摩耗は、歴史的先例が繰り返し示してきた典型的な失敗のパターンと符合する。
紀元前5世紀、アテネは宿敵スパルタとの本命の対立(ペロポネソス戦争)を横目に、主戦場から遠く離れたシチリア島へ遠征した。軍事的な過信と無謀な補給線により精鋭艦隊を全滅させたアテネは、覇権の衰退を決定づけた。
また、第一次世界大戦におけるガリポリ作戦も同様である。主戦場である欧州西部戦線の泥沼化を打ち破ろうと、チャーチルらの主導で挙行されたダーダネルス海峡突破作戦は、オスマン帝国の強固な防衛と伸び切った兵站線の前に潰走し、莫大な人命と資材を無駄に潰えさせた。
4. 軍事階層の歪みと「戦略なき作戦」の罠
歴史上のこれらの敗北と現在の第5艦隊の窮状を、現代の軍事理論が示す4つの階層――大戦略(政略)、戦略、作戦、戦術――から紐解く時、真の問題の所在が浮かび上がる。
軍事力の行使において、下位のレベルは常に上位の目的に従属しなければならない。
アメリカの大戦略(政略)における最優先の課題は、東アジアにおける対中抑止とインド太平洋の秩序維持である。この大戦略から導き出される中東での戦略(Strategic)とは、本命の主戦場にリソースを集中させるために「中東の緊張を早期に制御し、いかに手離れよく撤退するか」でなければならなかった。
しかし現在、現場で起きているのは「作戦と戦術の自己目的化」である。イランやその関連勢力の影響力拡大を阻止し、シーレーンを防衛するという作戦行動や、飛来するドローンやミサイルを全数迎撃するという戦術的対応は、現場レベルでは極めて高い精度で遂行されているし、その作戦目標としての正当性はあるのだろう。
だが、この作戦を「どのような政治的着地点(End State)に結びつけるのか」という戦略レベルの構想が完全に欠落している。「戦略なき作戦」は、どれほど現場が優秀であっても戦局を泥沼化させる。前線の疲弊とは、単なる兵器や兵士の過労ではない。それは、大戦略の要請に逆行する副次戦線で作戦を漫然と空回転させ続ける、戦略的迷走の物理的帰結にほかならない。
5. 歴史的省察と現代への示唆
もちろん、前提条件や周囲の状況が細かく異なることから、過去の歴史事象と現在の事象を安易に比較することには注意しなければならない。核抑止の存在やグローバルな相互依存経済、現代特有の非対称戦といった要素は、古代や20世紀初頭には存在しなかった。
ただ、古代アテネのシチリア遠征や19世紀初頭のイギリスのガリポリ遠征は、軍事理論における各レベルの目的設定というフレームで見る限り、副次戦線における「戦略の欠落」、つまりその戦闘状態をどのように終わらせ、大戦略の目標達成につながる戦略目的がはっきりしないという構造的危機を読み解くための極めて有益な知見を提供してくれるのではなかろうか。
そして、その戦訓を通じて、現在のアメリカ第5艦隊の疲弊を理解する手助けになっている言えるのではんあかろうか。
