孔子という名の「共同編集プラットフォーム」
孔子は「愚痴っぽいおじさん」
『論語』をじっくり読んでみると、そこにいるのは教科書に載っているような立派な聖人ではありません。光文社古典新訳文庫の「論語」が鮮やかに描き出したのは、弟子を捕まえてはネチネチと小言を並べ、自分の不遇を嘆き続ける、なんとも「愚痴っぽいおじさん」としての孔子です。
あるいは、浅野裕一『儒教―ルサンチマンの宗教』が指摘するように、ギラギラした上昇志向を隠しきれない田舎者、といった趣もあります。現代でいえば、独自のこだわりが強すぎてSNSでちょくちょく炎上している「エキセントリックなマナー講師」という感じでしょうか。
でもなぜか、そういう人物に、ついて行ってしまう人々が一定数存在してしまいます。現代に孔子がいたら、ネット上のサロンで大儲けしているでしょう。
策士たちが腕を振るうための最高の遊び場
さて、私たちが今日「儒教」と呼んでいる立派な体系は、孔子本人の頭の中にあったものではありません。むしろ、彼が放った断片的で人間臭い、そして空疎な言葉の記録が、絶好の「苗床」になったのでしょう。
特に前漢の後半から王莽の「新」、そして後漢の始まりにかけて活躍したキレ者たちにとって、孔子のエキセントリックな言動は、極めて「切り込みがいのある」魅力的な素材でした。彼らは孔子の愚痴やこだわりを、「これぞ国家の理想、宇宙の真理だ」と強引に解釈し、自らの政治的野望を正当化するための理論を接木(つぎき)していったのです。聖人の「余白」は、策士たちが腕を振るうための最高の遊び場だったと言えるかもしれません。
これは、個人のオリジナルな思想を重んじる西洋的なスタイルとは、かなり違っています。西洋が「誰が最初に考えたか」という知的所有権を大切にするのに対し、東洋の知性は「誰の名前で語るか」という権威のシェアを好んできました。中国で大量に作られた「偽経」が、いつのまにか正統な仏典として馴染んでいったのも、同じ根っこを持つ現象だと言えます。
巨大な「共同編集プラットフォーム」
そう考えると、孔子という人は思想の「著者」というより、巨大な「共同編集プラットフォーム」だったのかもしれません。孔子自身の思想が深かったかどうかは、もはやどうでもいいこと。彼が抱えていた強烈なルサンチマンや、お節介な教え魔としてのエネルギーが、後の人々の思考を刺激する強力な磁場となりました。その「ツッコミどころの多さ」こそが、二千年以上にわたって思想を増殖させ続けた真の理由だと思うのです。
私たちが『論語』をひらくとき、聞こえてくるのは孔子の生声ではありません。孔子という鏡に映し出された、歴史上の膨大なインテリたちの「解釈の積み重なり」を、私たちは読んでいるのです。それはそれで、面白いです。まるで二次創作によって壮大な体系が作れている昨今の各種キャラクターのようで。
