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私の読書遍歴①(高校時代まで)

 今回は同僚通信95号と96号からの再構成です。

 子どもの頃から本を読むことは大好きでした。自分自身の記憶ではないのですが、まだ字も読めない幼児の頃に、家にある雑誌をペラペラめくるのを飽きもせずにやっていたと親からよく聞かされました。

 読書体験と言っていいのか迷いますが、小学校あたりでよく覚えているのが、「なぜなぜ理科学習漫画(全12巻)」で、何歳の時に買ってもらったか定かではないのですが(たぶん入学祝くらいのタイミングではないかと)、これを私は小学校時代に本が擦り切れるくらいに愛読しました。これで学んだ知識で私の小学校時代の理科のベースは形成されていましたし(中学校に進んで「第1分野」「第2分野」に枝分かれする頃にはもうその知識が通用しなくなり途端に苦手意識が芽生えました)、何なら教員採用試験の一般教養の部門でもここで得た知識が通用しました(もう30年以上前なのでどの知識かは忘れましたが、一般教養の問題をやっている時に「あ、これ学習漫画に出てきたことじゃん」と思ったことを強烈に覚えています)。誕生日やクリスマスのプレゼントに本を買ってもらうことも多く、本屋に行くのは大好きでした。


 
 小学校3年生になる年に東京に引っ越し5年間は向こうで暮らしました。東京で一番良かったことは「図書館が身近にあること」でした。自宅から歩いて10分くらいのところに区立図書館があったので、毎回5冊借りて2週間ごとに返しに行っていました。

 日曜日の朝に、親がまだ眠っている時間に目を覚まし(たぶん7時ごろ)ふとんの中で柔らかな日差しを浴びながら借りてきた本を読んでいる時間が至福のひとときでしたね。アーサー・ランサム全集とかはあの頃に何度も読みました。

↑この背表紙とかめっちゃ懐かしい! 


 自分の家にある学習漫画には載っていませんでしたが、その後に出版された学習漫画(理科限定ではなく、カラー刷りだった)も図書館で借りたこともあって、その中で得た知識が「兆より上の数字の単位」でした。京けい垓がい𥝱じょ 穣じょう溝こう澗かん正せい載さい極ごく恒河沙こうがしゃ阿僧祇あそうぎ那由他なゆた不可思議ふかしぎ無量大数むりょうたいすう・・・というこの並びをたぶん小学5年生くらいの時に面白がって覚えました。56歳になった今でもずっと覚えていますね。さすがに漢字までは書けませんが、口で言うのはお経でも唱えるごとくに口をついて出てきます。この学校に赴任した時の歓迎会で「新しく来た人が一芸を披露する」というムチャぶりをされまして、私はこの「兆より上の単位」を言うというのを披露したのですが、覚えている人はいますかね?(笑)
 
 小学校の6年生くらいになると、文庫本を自分で買うようになりますが、私が人生で最初に買った文庫本は高木彬光の「成吉思汗の秘密」だったと思います。今思えば小学生が読むような本ではないのですが、6年生の時に転校した学校(中野区立新井小学校)で仲良くなった片山くんという人が歴史大好き人間で「歴史と人」という月刊誌を購読するような変わり者で、彼がオススメしてくれた本だったのです。私の歴史好きはこの頃から始まったのかな(共通一次の社会は日本史と倫理社会で受験しました)。

↑この表紙でした!

 それ以外のところでは、ご多分に漏れず「星新一」にドはまりしました。新潮文庫・角川文庫・講談社文庫などその頃出版されていた文庫本はすべて買いました。筒井康隆もそこそこ好きでしたが、中学に入って「星新一」派と「筒井康隆」派に分かれてくだらない舌戦を繰り広げたりもしました。


 星新一にハマったあたりから私の読書の嗜好はSF方面に傾いていきました。福島正実の「SF入門」とか読んだりして、その中で紹介されていた安部公房の「人間そっくり」を中学時代に読んだりもしました。そこから派生して「壁」とか「R62号の発明」とかも読みました。安部公房を読む中学生というのも、今冷静に考えるとちょっと気持ち悪いかも。あと、この時期は新潮文庫版で「赤毛のアン」全10巻も読破しました。カナダに行ってみたい!なんて思ったりもしましたね。行ってませんけど。あと、これも新潮文庫ですが、中3の頃に読んだ曽野綾子の「太郎物語」(高校編・大学編)はある種のカルチャーショックを与えてくれた小説ということで印象深いです。「高校生ってこんなに頭の中でいろいろ考えてるのか?!」的なね。



 高校入学前の春休みに読んだ「なんで英語やるの?」(中津遼子)というノンフィクションが私にとっては衝撃的で(前述の「太郎物語」とはまた別のベクトルで)、何度も読み返しました。まだその時点ではさすがに教員を志してはいませんでしたが(進路希望を決めたのは高2)、その後の人生にも影響を与えた1冊ですね。「母国語が根付いていない段階で第2言語を習得しても言語ジプシーになってしまう」的な記述があったと思うのですが、この理論に心底納得したのでそれ以来「小さい子に英語を教えること」にずっと懐疑的なスタンスを貫いています。小学校で英語を教えることにも疑問を抱いています。


   
 高校1年生あたりでは、ブラッドベリとかアシモフとかフレドリック・ブラウンといった翻訳SFをよく読んでいました。あとは高千穂遥の「クラッシャー・ジョウ」シリーズとか「ダーティ・ペア」シリーズとか。曽野綾子やら筒井康隆やらも読んでいました。



 高校2年では、同じクラスになったSF好きの友人から大量に文庫本やらノベルスやらを借りて1年で130冊くらい読みました(その半分くらいは友人から借りたもの)。平井和正のウルフガイシリーズとか「幻魔大戦」シリーズとか。栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズも最初の7冊くらいは借りて読みました。「ペリー・ローダン」シリーズも読みましたが、10冊ちょっとで挫折しました(笑)。



 あと2年生の頃の重要な出会いとしては「神林長平」のデビューというのもありました。20世紀における私の最も好きな作家は神林長平でした。デビュー作「狐と踊れ」が出たのが2年生の時でした。北24条駅近くの「東京堂書店」の2階で買ったのを今でも覚えています(というかあの頃ほとんどの本はそこで買っていました)。この本屋は個人経営だと思うのですが、今でも生き残っているんですよ。


 高校3年生での出会いとしては「赤川次郎」ですね。最初に読んだのはご多分にもれず「セーラー服と機関銃」だったのですが、そこからどっぷりはまって文庫で出ている本はほとんど読んだ時期もあります。でもだんだん新刊が出るペースに追いつけなくなって(大学の後半)、徐々に読まなくなりました。このあたりの思い出に関しては、昔作ったホームページに読書記録が残っていて、それを参考に書きました。


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