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精神工学の変遷・第11話

島国の仏教厨房、その後――専門店街と生活インフラ

前回、日本の仏教厨房は、国家の大鍋から始まり、山に入り、平安の不安を引き受け、末法の空気の中で「この時代の自分たちに届く料理は何か」という問いに向かっていった。

いよいよ、尖鋭化し、専門店化が顕著になってくる。

鎌倉仏教である。

もちろん、鎌倉仏教を数千字で説明できるわけではない。浄土系、禅宗系、日蓮宗系、律の復興、旧仏教の改革。看板も強い。店主も強い。客も多い。鍋も熱い。

立派な仏教思想史や宗派別の解説等は、世の碩学の皆さまにお任せしたいと思う。

あくまでこの連載では、鎌倉仏教を、末法の時代に生まれた「届く料理」の工夫として見る。引き続き、ちょっとした小話として読んでいただければ幸いである。

さて、この時代の各宗祖達は、
難しい材料を減らし、届く形に絞る。入口をはっきりさせる。負荷を下げるものもあれば、逆に覚悟を鋭くするものもある。そうした工夫を試みた。

厨房モデルで見れば、共通する空気もある。
遠い貴族の屋敷や、山奥の高度な修行だけではなく、もっと広い客席へ、必要とするところに料理を出そうとしたことである。

しかし、どの店も同じではなかった。
むしろ、かなり違う。

阿弥陀にまかせる厨房がある。
念仏を称えたり、踊ったりする厨房がある。
坐ることを中心にする厨房がある。
題目を掲げ、言葉と信念で社会に切り込む厨房がある。
乱れた戒を立て直そうとする厨房がある。

学問がなくても届く。
修行の体力がなくても届く。
戦乱や貧しさや死の近くにいる人にも届く。
自分の力では火を保てない人にも届く。

鎌倉仏教は、日本の仏教厨房が、民衆の方へ大きく暖簾を出した時代として見える。
ここでいう専門店化とは、単に宗派が増えたという意味ではない。

「どうすれば届くのか」という問いに対して、それぞれが違う入口を作った、ということである。
念仏という入口。坐禅という入口。題目という入口。戒を立て直す入口。
客席が広がったぶん、暖簾も分かれていった。

町食堂の親父さんの声が、少し戻ってくる。
「苦しい」をどう扱うか。
ただし、最初の町食堂とは違う。

「苦しい」は普遍的でも、時代に、状況に、風土にあった工夫が行われた。
その一つの回答が「専門店化」であった。

その一方で、日本の仏教厨房には、もう一つの大きな特徴がある。
日本の神々の厨房と混ざったことである。

神仏習合である。

外から来た仏のレシピは、日本にもともとあった神々の台所と、完全に別々にはならなかった。
混ざる。重なる。対応づけられる。一つの場所に並ぶ。一つの祭礼の中に入る。

仏は仏。神は神。仏は神。神は仏。
様々なバリエーションが作られた。

厨房モデルで言えば、仏教の鍋と神々の鍋が、同じ台所で湯気を上げ、時に厨房を、鍋を、料理を、融通しあうようになったのである。

これは、かなり日本らしい。
境界がゆるい。
混ざり方が複雑である。
しかも、混ざっていること自体が、生活の中では自然に見えてしまう。

人々は、必ずしも体系的な説明を必要としない。
この寺に行く。
あの社に参る。
祈る。
拝む。
祭る。
供養する。
台所が混ざっていても、暮らしは回る。

さらに、独特の山の厨房も発展した。
修験道である。

山に入る。
歩く。
滝に打たれる。
祈る。
身体を使う。
危険をくぐる。
自然の中で、神仏と向き合う。

第6話で見た密教の濃縮レシピが、日本では山や神々や身体技法と絡みながら、また別の形を取っていく。ここでは、仏教は頭の中の教義だけではない。「考えるな感じろ」の世界に近くなっていった。

そして時代が進み、江戸時代に入ると、仏教はさらに生活の中へ入り込んでいった。

ここで大きいのは、寺と家の結びつきである。
寺と政府の結びつきも大きいが、ここでは触れない。

寺は、ただ祈るだけの場所ではなくなった。
地域の中にあり、家と結びつき、先祖と結びつき、葬送と結びつき、信仰の場であると同時に、家や地域を把握する制度の一部にもなっていった。
仏教厨房は、生活インフラに近づいていく。

生まれる。
暮らす。
死ぬ。
葬る。
墓を守る。
先祖を供養する。
盆や彼岸を迎える。
寺との関係を保つ。

仏教は、特別な修行をする人だけのものではなく、家の記憶や地域の習慣の中に入り込んでいった。落語でも子供の命名を和尚に頼んだり、転失気の意味を聞きに行ったりしている。

ただ、制度になると、逃げにくい。
家と結びつくと、選びにくい。
地域と結びつくと、義務にもなる。
葬送と結びつくと、費用や形式の問題も生まれる。

料理が生活インフラになると、ありがたさと面倒くささが一緒に来る。
この二重性は、日本仏教を考えるうえで避けにくい。
仏教の厨房は、暮らしの奥まで入り込んだからこそ、温かくもあり、重くもなった。
江戸の仏教厨房では、既存の店が、家や地域や制度の中で深く根を張っていったように見える。
また、世の中が平穏になったことにより、寺社参りが盛んになり、行楽や娯楽とも密接に結びついた。
しかし、鎌倉期のように新しい専門店が次々に看板を掲げる力強さは見られなくなっていった。

そして、明治の時代が来る。
ここで、大きな断絶が起きた。

廃仏毀釈である。

仏教と神々の厨房は、長いあいだ混ざり合ってきた。
だが、近代国家を作る過程で、神と仏を分けようとする力が強く働いた。混ざっていた台所が、強引に分けられたのである。

その中で、仏教は激しく傷つく。
寺が壊される。
仏像が壊される。
僧侶が還俗する。
信仰や制度の位置が揺らぐ。

もちろん、廃仏毀釈も地域差があり、細かく見れば単純ではない。
ただ、厨房モデルで見れば、これは日本仏教厨房にとって、大規模な解体工事だった。
長い時間をかけて、国家、山、神々、家、地域、葬送とつながってきた配管が、いきなり切られる。

仏教厨房は満身創痍になりながらも、壊されたあとも完全には消えなかった。
形を変えて残る。
寺として残る。
葬送として残る。
文化財として残る。
観光として残る。
家の記憶として残る。
そして、どこかでまだ祈りとして残る。

ここまで来ると、日本の仏教厨房は、もう一つの料理ではない。

鎌倉仏教の専門店街がある。
神仏の混ざった台所がある。
山の修行場がある。
江戸の家と寺の仕組みがある。
近代に壊された配管がある。
それでも残った暮らしの匂いがある。
ずいぶん複雑である。

だが、最初の問いはまだ消えていない。
「苦しい」をどう扱うか。
「死」とどう向き合うか。

家族がいる。先祖がいる。地域がある。国家がある。身体がある。山がある。祈りがある。
仏教のレシピは、日本でそれら全部の台所に入り込んだ。

町食堂から始まった精神工学は、日本で専門店街になり、混合厨房になり、山の修行場になり、生活インフラになった。そして、二度にわたって大きく壊された。
一度目は明治期の神仏分離・廃仏毀釈として。
二度目は、戦後の社会で、宗教が「家や地域の標準装備」ではなく、「個人が選ぶもの」として見られるようになっていったことによって。
それは自由でもあった。
しかし同時に、仏教厨房にとっては、客席の前提が変わる出来事でもあった。

制度も、建物も、存在の仕方も壊された。
それは、つながり方そのものだった。
しかし、形は様々に変わっても、人の暮らしから、祈りや供養が完全に消えるわけではなかった。
火はどこかに残った。

次回、いよいよ現代へ進む。

仏教の厨房から、宗教の看板が外され、新たに様々なものが立ち上がった。
瞑想、マインドフルネス、セルフケア、心理療法、ストレス管理。

レシピは、今度は「有効成分」として取り出される。

町食堂のスープは、ついにサプリメントとして世界各地で販売が始まった。

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