【心震える本】なぜ『カーテン』なのだろう? クリスティーが生んだ名探偵ポアロの最終作は📖
【はじめに】
※1)名探偵ポアロシリーズの最終作である『カーテン』において、ポアロが最終的にどんな道をたどるか、ファンの間では比較的有名な話、という個人的な認識のもとに本記事を書いております。その点も「まったく知りたくない」という方にはこの記事をお薦めしませんので、どうかご注意ください。
※2)ただし、上記は「ポアロの人生」の話であり、『カーテン』の作中で起こる事件の詳細や、犯人についてのネタバレは一切しておりません。が、クライマックスにおけるポアロのある行動や心情について、記事の後半で触れます(引用もします)。その前に注意喚起を入れますので、そこから先を知りたくない方は、その時点でまたご判断願います🙇
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大作家の思考に手を伸ばすーーわかるはずもないけれど
なぜ『カーテン』なのだろう?
それが長年の疑問だった。
アガサ・クリスティーが生んだ世界で最も有名な探偵のひとり、エルキュール・ポアロ。彼の活躍を書いたシリーズの最終作は、1975年に発表された『カーテン』だ。私が初めて読んだのは30年ほど前。20歳頃のことだった。
初読の感想は「面白いけど、ちょっと地味かな」というもの。気まぐれに手にした作品ではない。ポアロシリーズの名作群のあと、満を持して読んだのだ。
未読でも知っていた。「ポアロ最後の事件は『カーテン』で、そしてポアロがどうなるか」ということを。おそらくそれは、ファンの間では『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』のあらすじと同等程度の有名エピソードだったからだ。
なぜ最後はこの作品なのだろう?
静かに広がる余韻とともに考えた。
が、私は若すぎた。
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名探偵ポアロといえば多くの有名作品が思い浮かぶ。 『オリエント急行殺人事件』『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』『白昼の悪魔』・・・書き切れない。
それらは(人が殺されているのに申し訳ないけれども)「華やかな事件」揃いだ。豪華な舞台。あっと驚く仕掛けの数々。鮮やかな推理の披露。一人の作家が生み出したことに驚嘆するほど、ミステリとして多彩で完成度の高い作品群。
ポアロ最後の事件と知っていたからこそ、20歳の私はそれら有名作を網羅してから、深呼吸とともに『カーテン』を味わったのである。
ーーなんだか、思っていたのと違うな。
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『カーテン』は、名探偵ポアロと旧友のヘイスティングズ大尉が、「スタイルズ荘」で再会するところから始まる。かつて2人で初めて事件を追った邸宅ーー今はゲストハウスとなったスタイルズ荘だ。
老いてすっかり健康を失ったポアロは、ヘイスティングズに驚くべきことを告げる。「またここで殺人事件が起きる」ーーと。
「もちろん、本気です。だいたいほかに私がきみを誘うどんな理由があるというのです? 手足の自由はもう利かないけれども、頭脳のほうはさきほど申し上げたとおり、変わりありません。それに忘れてもらっても困るのだが、私のやり方も変わりません。椅子に腰かけて考える。それなら今でもできます。(中略)だから、それ以上の肉体作業をわが比類なきヘイスティングズに頼みたいのです」
「本気で言ってるんですか?」と私は喘ぐように言った。
「もちろん。きみと私で、ヘイスティングズ、また犯人狩りに出るのです!」
ここに滞在し、ほかの人物たちの動向を注視してほしい。それを逐一ポアロに報告しろーーというわけだ。けれども探偵は彼に「誰が犯人なのか」は伝えない。君は顔に出てしまうからね、と言って。
ヘイスティングズはすっかり憤慨しながらも、文句を言いつつポアロに協力するのだが(拒否権なんてあるはずがない・笑)、やがて不可解な事件が次々と起きてーーというのがあらすじである。
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名探偵ポアロ、そして作家アガサ・クリスティーのデビューを飾ったスタイルズ荘。作者はポアロの最後に、確信を持ってこの舞台を選んだのだろう。そしてそれが(刊行順で言えば)遺作となる。
どんな事件が起き、誰が犯人なのかーーを今ここで詳しく書くつもりはない。
ただ言えるのは、人間の強烈な「悪意」が描かれる小説ということだ。
悪意だけでは、法で裁けない。だが意図的に悪意を積み重ねることは、卑劣極まりない行為だ。ポアロに関して言えば、振るまいや言葉は終始穏やかなもののーーおそらくその人物に対し、激怒している。
クリスティーはこのテーマをもって、ポアロ最後の事件とし、さらに彼を永遠に退場させることを決めた。
ーーそれはいったい、いつ頃生まれたアイデアだったのだろう?
長い執筆活動のなか、どんな流れでこれを決意したのか。ごく自然に「これしかない」と手が動いたのか。
わかるはずもないが、考えるのは楽しい。
こんな思考の旅に出ることは、なんて贅沢なのだろうと思う(ここまで読んでくれた方には申し訳ないけれど、私は答えにたどり着いた訳ではない。ただ考えたいのだ・・・。ま、たどり着くわけないか)。
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ちょっとここで、手元にある文庫の解説を読んでみたい。
ハヤカワ文庫『カーテン』(田口俊樹 訳)において、作家の山田正紀氏による解説文がとても興味深いので引用させていただく。
『カーテン』は一九七五年に発表された。エルキュール・ポアロはこの『カーテン』事件を最後に帰らぬ人となる。そして、この作品が発表された直後に、アガサ・クリスティーご当人も不帰の客となる。事実上、『カーテン』は遺作も同然の作品となった。
(中略)
周知のことであるが、発表されたのこそ一九七五年だが、『カーテン』が実際に執筆されたのは一九四〇年代初頭のことである。アガサが最も脂が乗っていた時期の作品といっていいと思うが、と同時に第二次世界大戦の最中でもあったことは留意されていい。
(中略)
彼女の伝記によれば、このころアガサは多少、経済的に不安定な状態にあったらしい。そのこともあってか、金銭的な必要に迫られて執筆しなければならない苦しさを(中略)二度と味わいたくないために、小説のストックを用意しておくことを思いついた。それがすなわち『カーテン』と『スリーピング・マーダー』の二冊なのだという。
こうした解説はありがたい。私自身はクリスティーの伝記も熱心に読んだことがないし、何かの研究者でもない。ただこの『カーテン』に独特の興味を持っているだけだ。なるほど確かに、経済的な理由もあって「書ける時に書いておき、しかるべき時に出す」という背景があったのかもしれない。
加えてWikipediaを参照すると、この2冊は銀行の金庫に封印されたらしい。そして1974年にクリスティーが体調を崩して執筆ができなくなると、娘が1975年に『カーテン』の出版を許可。そしてクリスティーは1976年1月に没した。
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『カーテン』が書かれた1940年代初頭。年齢的には50代だった作者が、その前後に何を発表していたかというと、
1939年『そして誰もいなくなった』
1940年『杉の柩』
1941年『白昼の悪魔』
1943年『五匹の子豚』
1944年『ゼロ時間へ』
といった作品が連なってくる(これが全部ではない)。
いやすごい。濃密に過ぎるじゃないか。
ポアロシリーズに関して言えば、おそらく『カーテン』の原稿が金庫に入って以降(ある意味札束が入ってるより凄いよ!)、次の作品群を発表している。
1946年『ホロー荘の殺人』
1948年『満潮に乗って』
1952年『マギンティ夫人は死んだ』
1953年『葬儀を終えて』
1955年『ヒッコリー・ロードの殺人』
1956年『死者のあやまち』
1959年『鳩のなかの猫』
1963年『複数の時計』
1966年『第三の女』
1969年『ハロウィーン・パーティ』
1972年『象は忘れない』
うーーん、濃い。まったく衰えていないのがよくわかる(個人的には『葬儀を終えて』『象は忘れない』が特に好き)。
そして1975年『カーテン』の発表に行き着く。
だから『カーテン』は、作者がシリーズを書き続けるなか、「この辺でポアロを静かに終息(あるいは収束)させよう」と生み出した作品ではないのだ。なんなら地味でもない(そもそも恐ろしく緻密に練られた、幾層もの心理トリックを堪能できるサスペンスフルな傑作なのだから・・・)。
むしろ1940年代なかば以降、「最後はここに着地する」と(世界にただひとり)知りながら、クリスティーはポアロを数々の作品で活躍させていたのだ。世界のミステリ界において、これほどドラマチックな「秘密」があるだろうか!
山田氏の解説はさらに興味深く続く。
ポアロがすでに老いて立ちふるまいも自由にならない、ということに加えて、ヘイスティングズも愛する妻を失ったばかりでその寂寥感に耐えかねている……そうした双方の事情があいまって、この『カーテン』に一種独特の陰影をもたらしている。
(中略)
要するに、『カーテン』は、どんなに陰惨で、悲惨な事件を書いても、けっしてユーモアと明るさを失わないアガサにしてはめずらしい種類の作品といっていい。どうして、そうなのか。
(中略)
独断と偏見を承知であえて言わせてもらおう。
『カーテン』がこれほどまでに暗い印象をもたらしているのは、これが一種の「戦争小説」だからではないだろうか。
山田氏は、「『カーテン』はロンドン大空襲の夜に書き始められたのだという。が、ぼくはそのことをもってして『カーテン』を戦争小説と呼ぶわけではない。そうではないのだ。」としながらも、次の点を挙げていく。
「そもそもエルキュール・ポアロという人物が、その最初の登場のときから戦争の影を引きずっていた」こと。
そして「ポアロという人物を戦争から戦争に、戦争と戦争とのあいだに封じ込んでしまおう、という意図があったのは間違いないように思われる」ーーこと。
ミステリの宿命であって、「解説」ではそのことに詳細に触れるわけにはいかないが、この『カーテン』で描かれる「究極の悪」こそは、なにより「戦争」の象徴たるべきものではないか。この恐るべき犯人の、犯行の動機ともいえない動機こそは、「戦争」の純粋悪そのものではないだろうか。
この解説は作品の理解を深めるのにすごく役立った。
戦争の影。純粋悪。確かにそうかもしれない。『カーテン』の執筆から約80年経つのに、現代を生きる私たちにも戦争の恐るべき理不尽さがわかってしまう。
私たち人間は、学べないのだろうか?
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ひとつの理解は得た。けれどこれだけではまだ、20歳の私に「答え」は届けられないーー気がする。
まだあるのではないか。
いやもちろん、個人的な感覚だ。
ポアロが単に老いた、ということであれば、人生の閉じ方まで書く必要性はそこまで高くなかったのではないだろうか。
ほかの有名作のように、鮮やかな謎解きを披露して終わることもできたはずだ。クリスティーはどんなものでも書けたのだから。
対峙すべき最後のテーマとして「悪意」を選んだのはわかる。だがもうひとつ、『カーテン』のテーマは・・・「友情」だ。これは考察でもなんでもない。そのものズバリでしかない。
最終作のメインキャラクターは、ヘイスティングズ大尉しか、ありえないのだ。
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ポアロの周囲に優秀な人間はたくさんいる。でも彼は選んだ。お世辞にも鋭いとは言えない、なんともおっちょこちょいで人間味のある友人を。彼と「最後の狩り」をすることを、ポアロは望んだのである。そう、灰色の脳細胞による、非合理とも思える選択。
そしてヘイスティングズは「予想に反して大活躍」しないのだ(書いててちょっと面白いな)。ーーそう、大活躍しない。それどころかいろいろ「やらかしたり」もする。もうなんか可愛らしいくらいに。
年齢を重ねたからといって人間は必ずしも成長しない。逆に弱点を抱いたまま衰えていくだけかもしれない。そのことをクリスティーは逆に丁寧に書いている気さえする(今ならちょっとわかるぞこの悲哀)。
なのにポアロは、ありのままに愛しているのだ。生涯の友を。
『カーテン』が大好きーーと私が思えるいちばんの理由が、これだ。
愛なんて。友情なんて。悪意なんて。
目に見えぬもの。不確かの極み。
でもクリスティーはそれを選んだ。
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ここから『カーテン』のなかで、ごく最後に近い数ページの話をします(引用も)。
事件の詳細や犯人については言及しませんが、ある意味大きなネタバレとなるので、未読の方はご注意願います。
ーーーーーーーーーーーーーー🔑
(今からいきます。ここから最後まで、この話題です。ご注意ください🙇↓↓↓)
ポアロはヘイスティングズに手紙を遺していた。
結局最後まで、真相にたどり着けないままポアロと永遠の別れを果たしてしまったヘイスティングズに。
ああ、ヘイスティングズ、ヘイスティングズ、それできみにも真相が知れたはずなのに。
いや、もしかしたらきみももう真相に気づいていたのでしょうか? これを読むときにはもうわかっているのでしょうか。
私にはどうにもそうは思えませんが……
はい、きみは人を信頼しすぎるのです……
きみは人がよすぎるのです……
これ以上きみに何を言えばいいでしょう?
(中略)
そして、きみ、哀れで孤独な私のヘイスティングズは? ああ、親愛なる友よ、きみのことを思うと、胸が痛くなります。最後に一度だけきみの老いたるポアロの助言に耳を傾けてくれませんか?
ポアロの助言とは、「これを読みおえたら、ある人を訪ねてほしい」というものだった。
事件に巻き込まれて傷ついた、ある関係者に伝えてほしい。事件の真相を、そして未来に希望を持つことを。
友よ、彼女のようなまだ歳も若く、まだ魅力的な女性が、呪われた血を引いているなどと言って、人生を拒絶するなどまちがったことです。はい、まったくもって正しくありません。
『カーテン』(アガサ・クリスティー 著/田口俊樹 訳/ハヤカワ文庫)p366~367より
ポアロはこう言っているのだ。善良な人間が「過去や偏見」に囚われて苦しみながら生きることは、「まったくもって正しくない」と。
そしてその悪夢を取り払う役目を、友人に託した。
「きみは人がよすぎるのです……」
もしこれに続きがあったらどうだろう。「けれどもそれが、君の美徳なのです」と言ってくれるだろうか?
生あらん限り、希望を抱き、ともに生きよーーというメッセージ。
これは、本当は誰に対しての言葉なのだろう?
誰から、誰へ?
ポアロの手紙はさらに続く。
友よ、もうふたりで狩りに出ることはありません。初めての狩りがここでしたーーそして、最後の狩りもまた……
思えばすばらしい日々でした。
はい、ずっとすばらしい日々でした……
これはクリスティーからの、読者に対するメッセージなのではないだろうか。
いやもちろん、ある意味では当たり前だ。小説、物語・・・いや本というものはすべて作者から読者へのメッセージなのだから。
けれど、より意図的なもの。
もっと、より心の柔らかい部分に触れるものをーー私は感じる。
そう、ヘイスティングズとは、私たち「読者」なのではないだろうか。この最終作においては特に。
今度こそポアロに褒められるぞ、事件の核心に触れてみせるぞーーと意気込みつつ、結局大したことはできなくて、毎回ポアロが語る真相に驚く。おっちょこちょいの、でも名探偵にとっていちばん尊い友人。平凡だから、自分と違うから大切なのだ。
だから突然の別れにならぬよう、最後のメッセージはあらかじめ用意しておこう。とポアロは・・・クリスティーは考えたかもしれない。
思えばすばらしい日々でした。
はい、ずっとすばらしい日々でした……
この2行はとりわけ胸を打つ。
アガサ・クリスティー。
20世紀最高のベストセラー作家。
ミステリの女王。前代未聞のトリックと緻密な構成。人間の心理を見つめ続けた作家。
ならばこちらも返そう。いつも真相を見誤り、ヒントを与えられても事件の扉を鮮やかに開くことができない、平凡なあなたの相棒――「読者」である立場から、偉大なるポアロそしてアガサ・クリスティーへ。
思えばすばらしい日々でした。
はい、ずっとすばらしい日々でした……
こちらこそありがとう。
そしてこれからも。
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この解釈めいたものが正しいかどうかは関係ない。ただの感想、ただの願望。でもそのことで自分の長年のーーささやかな疑問が解けることだけに価値がある。
30年前の私へ。
『カーテン』しかあり得ないじゃないか。

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました✨
素晴らしい読書体験がたくさんの人に訪れますように!
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〈本データ〉
『カーテン』(アガサ・クリスティー 著/田口俊樹 訳/ハヤカワ文庫/税別860円)
※あくまで手元の文庫本の情報です
全368ページ(本編)

名探偵ポアロ(ポワロ)シリーズでは
主演のデビッド・スーシェ氏が印象的でしたね。
2013年制作の同シリーズ最終作『カーテン』は、
音楽や美術もとても美しく、
原作の物悲しさを際立たせていました🎹

ちなみに大好きな和風ファンタジーシリーズ(アニメ化もされています)の第一作に、ある強烈な悪意を持ったキャラクターが登場するのですが、「あっこれ、カーテンみたい」と嬉しくなりました✨作品名は伏せますが、悪意を駆使して人々をコントロールし、のし上がろうとする恐ろしいキャラです(みんな第一印象に騙されるのよ←私も)😁
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