大ゴッホ展へ行ってきました「夜のカフェテラス」のあと、忘れな草の青を思う
オランダを代表する画家のひとり、フィンセント・ファン・ゴッホ。
その作品と、上野の森で出会ってきました。
「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」は、オランダのクレラー=ミュラー美術館のコレクションを中心に、2期に分かれて開催される展覧会です。
第1期では、《夜のカフェテラス(フォルム広場)》が来日。オランダ時代からパリ時代を経て、アルルに至るまでの画業前半が紹介されました(第1期はすでに閉幕しています)。
そして、2027年に開催される第2期ではアルル以降に焦点が当てられ、《アルルの跳ね橋 (ラングロワ橋)》も来日予定とのこと。
ゴッホが作品を残してから、100年以上。
彼が生きた時代や、その人生について知るほど、作品を見る目にもさまざまな思いが重なります。
一方で、そうした背景を知らなくても、絵の前に立ち、その色や筆致に心を動かされることがある。それもまた、アート鑑賞の面白さだと思います。
以下、かなり私的な感想ですが、心に残ったことをいくつかざっくりと書いてみます。
ミレーへの愛にあふれていた
展覧会は、ゴッホが敬愛したジャン=フランソワ・ミレーをはじめ、彼に影響を与えた画家たちの作品から始まります。
農村の暮らしや働く人々を描いたミレーに、ゴッホが強く惹かれていたことはよく知られています。
ゴッホ自身もまた、炭鉱夫と生活をともにしていた経験をもち、画家となってからは農民や労働する人々を繰り返し描きました。
農民、炭鉱で働く人、パンを焼く人、機を織る人。
作品を追っていると、ゴッホは一人ひとりの姿を描くだけではなく、人が生き、働き、暮らすことそのものを描こうとしていたのではないか。そんなふうに感じました。
なかでも印象に残ったのが、ゴッホの《大工の仕事場と洗濯場》。
はためく洗濯物が、私にはどこか、そこで働き、暮らしていることへの証を誇らしげに掲げているように見えました。
光を受けて、まばゆく反射する洗濯物。
その向こうには自然が広がっています。
人の営みと風景とが切り離されているのではなく、「自分たちもまた、この自然の一部なのだ」と思わせるような眺めでした。
ゴッホがミレーから受け取ったものは、日々働き、生きる人々を描くことへの敬意でもあったのかもしれません。
そんなことを考えました。
ピサロが描く虹をみた
印象派の画家のなかでも、私はカミーユ・ピサロが好きです。
今回出会えたのは、カミーユ・ピサロ《虹、ポントワーズ》。
「ピサロが描いた虹だ」
そう思うだけで、しばらく見入ってしまいました。
虹は、30分もたてば消えてしまう自然現象です。その一瞬の光が、そこに広がる土地や暮らしを、ほんの少し美しいものに彩っているように感じました。
そして展示を進むと、今度はゴッホが描いた《モンマルトルの丘》へ。
ミレーやピサロ、新印象派の画家たちからゴッホへ。
展示では、画家同士が影響しあった様子や、そのつながりまで見えてくるような気がしました。
言葉から先に鑑賞した《夜のカフェテラス》

私はこれまで、どちらかというと
「先に絵を見る。そのあとで、注釈を読む」
というタイプでした。
言葉に引っ張られず、できるだけ先入観なしで作品を見たいと思っていたからです。
でも今回、ゴッホ本人が書いた手紙の言葉に触れているうちに、
「どちらが先でも、別にいいのかもしれない」
と思うようになりました。
好きな絵を見ること。
画家の書いた言葉を読むこと。
どちらも、ゴッホが創作を通して残したものに、私たちが少しでも近づこうとする行為です。だったら、順番に正解があるわけではなく、そのときの自分が一番面白がれる方法で、見ればいい。
そう思うと、少し自由になりました。
実際、今回は《夜のカフェテラス》の前に長い列ができていたので、作品よりも先に、ゴッホの言葉が目に入ってくる状態でした……。
そこで出会ったのが、ゴッホが1888年9月、妹ヴィレミーンに宛てた手紙です。「星空を描きたい」という思いが綴られていました。
今、絶対に描きたいのは星空だ。よく思うのだが、夜は昼間よりもずっと色彩豊かで、この上なく鮮やかな紫、青、緑の色調を見せてくれる。
……星の中にはレモン色のものもあり、バラ色、緑色、忘れな草の青色のかがやきもある。
「忘れな草の青色」
この言葉が、頭から離れませんでした。
忘れな草がどんな花なのか、私はすぐイメージできなかったので、後から調べてみました。
かわいらしい、小さな青い花でした。
すると、《夜のカフェテラス》の空に浮かぶ青い星まで、まるでその小さな青い花のように見えてきました。たぶんこれから私は、この絵の空色の星を見つけるたびに、忘れな草の可憐さを思い出すのでしょう。
そして逆に、忘れな草を見るたびに、ゴッホの星空を思い出す。
足元に咲く小さな花を見て、空高くきらめく星を思い出す。
星空と、足元の小さな花がつながっている。
一枚の絵とひとつの言葉によって、現実の花の見え方まで変わってくる。
そう思うと、なんともぜいたくなひとときだなあと思いました。
絵を見ることと文章を読むことは、別々のものだと思っていたけれど、実際には、頭のなかでどんどんつながっていく。
そして、展覧会を出たあとも、そのつながりが続いていく。
世界が広がっていく視点や感覚まで含めて、アート鑑賞なのかもしれません。
そして、ミュージアムショップへ
最後はミュージアムショップへ。
今回、とくに心に残った絵画が4点あったのですが、なんと4点とも絵葉書になっていました。偶然の一致にうれしくなって、4枚とも購入しました。
さらに、ミッフィーのぬいぐるみも。
同じオランダ生まれのミッフィーとのコラボです。
あとでお値段を見て少しびっくりしましたが、そこはもうお値段の問題ではありません。もはや推し活のひとつ、手元に迎えたいと思いました。

右上だけ、ピサロの作品
家に帰って、買ってきた絵葉書を眺めながらコーヒーを飲む。
展覧会の静かなひとときや見かけた言葉をぼんやり思い返しているうちに、少しうたたね。
癒されるひととき。
美術館から帰ってきても、鑑賞はまだ続いているのかもしれません。
そして、2027年へ
そして次は、2027年から始まる第2期。
《アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)》も楽しみですが、私がとくに待ち遠しいのは《種まく人》です。
好きすぎて、以前ショートエッセイZINE『好きをことばにする日々』に感想を書いたことがあるほど、好きな作品。
「好き」を言葉にしたら、絵そのものがそこになくても、その魅力は誰かに伝わるのだろうか。
そんなことを考えながら書いた文章でした。
いま振り返ると、その挑戦がなかなか無謀だった気もするし、少し微笑ましくもあります。
でも今回、《夜のカフェテラス》と「忘れな草」という言葉が自分のなかで結びついたように、絵と言葉は、ときどき思いがけないところで誰かの記憶につながるのかもしれません。
だったら、好きな絵について言葉にしてみることにも、きっと意味がある。そう考えると、また書いてみたくなりました。
2027年、次のゴッホとの再会も楽しみです。
「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」東京展は閉幕しました。
— 大ゴッホ展 東京展【公式】 (@gvangogh_tokyo) August 12, 2026
会期中は多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。
来年には本展の続編となる、第2期「大ゴッホ展 アルルの跳ね橋」が開催されます。
会期は2027年10月9日(土)~2028年1月30日(日)です。… pic.twitter.com/5hIyhmcbL9
🍏 これまでに書いてきた、ゴッホヘの偏愛はこちらから 🍏
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします!

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