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夜のカフェテラス―夜遊びの大人たちは純粋ですらある



今月初旬に上野の森美術館の『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』に行ってきた。

チケットは7月からは時間単位の予約枠になり、発売されるとすぐに売り切れてしまった。とにかくゴッホの人気のすごさにあっけに取られてしまった。(※当日券も若干あるようです)

2021年に東京都美術館で行われた『ゴッホ展 響き合う魂 ヘレーネとヴィンセント』と同じく、今回もクレラ―=ミュラー美術館の所蔵作品の展覧会なので、同じ絵がかなりある。

でも、ラインナップ全体としてはかなり印象が異なる。『ヘレーネとヴィンセント』は厳選された作品という印象だったけれど、今回は「評価の低い作品も交えて同じテーマごとに並べてみよう」という意図があるのかなぁと感じた。

そして、その並べ方で見た正直な感想は、

「ゴッホって、絵がうまい人ではないよなぁ…」

特にオランダ時代はまだ絵を描きなれていないこともあって、出来ばえのばらつきが大きい。

私はこの頃描かれた『大工の仕事場と洗濯場』『スヘーフェニンゲンの魚干し部屋』などの村を大きく捉えた構図の軽く着色されたデッサンが大好きなのだが、同時期に描かれた、織工を題材にした一連の作品は駄作ではないかしら、と思っている。織機がどう動くものなのかがまったく描けていない。シャッターチャンスを外した写真ばかり撮れてしまったように見える。写真じゃなくて絵なんだからそこはなんとか描きようがありそうにおもうのだが、どの絵も織機が死んでいる。
『じゃがいもの皮をむく女』についてはよく言われているが、人物の体の寸法が合っていない。

ここで便宜的に、展覧会に並ぶ作品を三つに分けてみたいと思う。
A.目玉、B.音声ガイド、C.その他の三つに分けてみよう。

展覧会には目玉になる絵がある。ポスターなどのキービジュアルに使われる絵で、美術の教科書やTV番組などで見覚えがあるような、作家性の強く出た絵。これが、A.目玉。今回で言うと、夜のカフェテラスだ。

そのほかにも、音声ガイドで解説されるような、展覧会の柱となる作品が何点もある。これが、B.音声ガイド。

大きな展覧会は80点~120点くらいの規模感になるので、残りの多くが、C.その他。

C.その他に何を持ってくるか、それこそがキュレーションの真骨頂だ。

「おわっ!!」
大学生男子3人組の一人が突然大きな声をあげた。
「これって、ゴッホの絵じゃないじゃん!!」

彼の前にあったのはマクシミリアン・リュスの『モンマルトル郊外、シャンピオーネ通り』という絵だった。

絵を誰の頭にも遮られず近くで見るために、皆が暗黙の行列に従って牛歩のごとく進んでいるのを尻目に、彼らは比較的スペースの空いている展示室の中央を大股で闊歩し、背の高さを武器に人垣をものともせずに絵を見て回っている。
大声で美術展に不慣れであることを露呈していて、かなり、ほほえましい。こういう新鮮な若い人が来なくなったら、美術展なんて先々消滅してしまうかもしれない。

C.その他として他の画家の作品を並べることも、展覧会にはままある。
その時代を伝えるために同時代の画家の作品を並べたり、親交のあった画家同士で一緒に制作旅行に出かけて描いた絵、はたまた描いてもらった肖像画なんかも並ぶ。

やはりゴッホ展では、そんな場面でも他の展覧会とは違う感想が飛び出てくる。
ルノワールとか、モネとか、マジでうまいよね。絵が!
ルノワールの『音楽家の道化師』なんて、蝶々をあしらった衣装とつけぼくろの呼応、堂々たるプロフェッショナルのまなざし、オーラの漂う髪の毛。代表作として選ばれた作品でなくても、ルノワールがすでに卓越した技術を身につけていたことがわかる。

こうして引用のように置かれた他の画家の作品は、先ほどの分類ならC.その他にあたる。

でも、うまい。Cでもうまい。

アカデミックな技術に持って生まれた才能がフュージョンした時って、こんなにすごいのか?!

夜のカフェテラス

でも一方で、ゴッホの凄い絵が持っている力強さは、他の画家にはない魅力がある。

それに、ゴッホの絵に上述のランク付けを当てはめるとすると、A.目玉に相当するような絵は多いし、その短い生涯全体の作品数の中の割合で言ったら、他の画家よりも高いのではないかと思う。

夜のカフェテラスはどうだろう。

輝く星をはめ込まれた明るい夜空はアルルの小さな街も青く染めている。
カフェのテラス席はとても広く、3列にテーブルが並ぶほどだ。そこそこ客が座っている。白い前掛けをかけた背の高い給仕が一人、立っている。夜はまだまだ、これからだ。
カフェの唯一の光源は中央のランプだが、軒先のテントの下で何千ルクスにも輝いて、その一角を金色に輝かせている。ナイター中継よりも明るい。照らし出された壁とテントは、それ自体が発光している。
これは当時新発明だったガス灯らしい。そう思って見てみると、ランプの上の部分にはテントに四角く穴があけてあるようにみえる。これはガス灯の熱や煙を逃がす役割のものなのだろうか。
「ガス灯、明るい!すごい!!」
というこの時代の純粋な驚きが、この驚くべき明るさに繋がっているのかもしれない。
24時間営業のファミレスが、コンビニが、登場したときに、私たちが感じたみたいに。
夜更かしの、浮き立つ気持ち。
永遠に朝など来ない地平で子どもに返る時間、夜遊びの大人たちは純粋ですらある。

ゴッホは妹あての手紙の中でこの絵について触れ、「夜の現場で直接描くのはとてつもなく楽しい」と語っている。

その楽しさこそ、あらゆるものを発光させるカフェの魔法のランプに違いない。

きっとゴッホはこの風景も、他のたくさんの絵でできなかったように、客観的に描くことはできていないのだろうな、と私は思う。適切な距離を取って対象と向き合うことは、とにかく苦手な人だった。

それでも、「うわーすごいなー、きれいだなー」と強く心が動いた時、ゴッホはそのエネルギーで感じたままをキャンバスにぶちまける。キャンバスの向こう側に、彼の世界が表れる。その時、技術があるかないかなど、もはや問題ではない。

ゴッホの世界には、上手い下手など存在しないのだ。


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