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あなたと出会う前の、19歳(1) | 中編小説 [創作大賞/恋愛小説部門]

あらすじ (創作大賞2026 恋愛小説部門)

奇数節
(1節、3節~)
バンドのおっかけをしながら深夜のコンビニでアルバイトする19歳のミナ。彼女の目論見はある程度は成功し、本命のベーシスト、青霧トーマに接近するために、ドラマーのアマギの女として楽屋やバックステージに出入りできるようになっていた。

偶数節 
(2節、4節~)
数年~十数年後のミナ。青霧姓になっている彼女は、仕事や子育てに奮闘している。彼女は過去を思い出しつつも現在の静謐な生活に満足しているが、どこかに虚しさを抱えている。

奇数節は未来へと進み、偶数節は過去に遡ります。それを交互に繰り返し、最終話で両サイドが衝突して、ある事実が明らかになります。

ひとりの少女の恋と、ハッピーエンドの次を描いた恋愛小説。
(全13話)

作品紹介・あらすじ/ネタバレ解説



あなたと出会う前の、19歳


- 1 -

ディストーション

ひずみ、ゆがみ、あるいはノイズ。

「あ、やべ、イきそ」

ざらざらしたノイズを好む人はあまりいない。だけどロックにおいては、その荒々しさ、力強さから、ノイズみたいな音が歓迎されることが多い。繰り返されるリフ、ドラムの鼓動、そして大量に撒き散らされる歪み。

そのノイズは、海の波にちょっと似ている。空間に濁点がついてるみたいなザラザラの音。でも、似たようなザラザラの音はたくさんあるのに、その種類によって好みがわかれるのはなんでだろう。波の音に癒されるっていうひとは多いけど、ディストーションで歪んだギターの音色に癒されるひとはあまりいない。

同じザラザラの音なのに。

「イくっ!うっ!ああ…」

立ったまま壁に手をついている私の体を、後ろから前後に揺らしているノイズの主が、私のおしりを乱暴に引き寄せ、うめく。引き抜かれる。ふとももとおしりの中間くらいの位置に、ねっとりとした温かい液体をこぼされる。ノイズ、リズム、大音量のフィニッシュ。そして静寂。セックスはロックに似ている。

「すっげえよかった」ノイズが私から離れる。「ありがと、ミナ」

「うん」

アマギが、彼らが『楽屋』と称している物置のような部屋を出て行く。私は精液をティッシュで拭きとり、パンツを元の位置に戻しながら周囲を見る。壁に貼られたステッカー、フライヤー、チラシ。落書きみたいなバンドマンたちのメッセージやサインのようなもの。それらのノイズが壁を埋め尽くしていて、その上から煙草のヤニがコーティングされている。もともとの壁の色がどんなものだったのかなんて、もう誰にもわからない。

でも、たぶん、そういうものなんだろう。こんな生活になる前の私が、どんな生活をしていたかなんて、もう分からない。いや、覚えてはいる。確かに覚えてはいるけど、どんな気持ちで、どんな価値観で、何を楽しみに生きていたのかは思い出せない。歩いてきた道が途切れて、今いる道がいきなり始まってる感じ。

きっと、私の内側の壁も、色とりどりのステッカーやフライヤーや落書きやらでいっぱいになってるんだ。それらのものが折り重なって、その上から煙草のヤニとか、誰かのゲロとか精液とか、そういうなんかがこびりついている。

「ミナ!はじまっちゃうよ!」

楽屋のドアが開く。全身をゴス風のパンクファッションで包み、首からゲストパスをぶら下げたチィがあらわれる。チィと私はバンドの関係者だ。おっかけ?バンギャ?繋がり?グルーピー?売春婦?ビッチ?あばずれ?まぁ、言い方はなんでもいいけど、とにかくバンドのメンバーを精神と肉体の両方から支えている関係者。

なんの関係かはよくわからないけど。

「ほら、早く!」

「わかったってば」

 私は、小さな洗面台の曇った鏡で自分の姿をチェックする。シルバーの地色にピンクのメッシュが入ったセミロング。青白さをファンデーションでさらに強調した肌。ダークカラーをアイホール全体にまぶしたようなアイメイク。

ドアに向かう。「ミナはいっつも行動がおっそいんだよ!」と、わめくチィの背中を押す。「ごめん、ごめんて!」彼女をなだめながら、ステージ脇の部屋を出ると、ウエイティングを通り抜け、フロアへ向かう。

扉を押し開けると同時に、ステージからの眩しい光に襲われる。目を細める。心臓が飛び跳ねて縮み上がるようなドラムのキック。会場を煽るようなフロントマンの雄叫び。

大音量のギターが鳴り響く。

ディストーション

***

人気曲のリフが始まり、大きな歓声があがる。観客の99%は女だ。このバンドに男のファンなんてほとんどいない。なぜだかはよく分からないけど、きっとバンドのメンバーが男の子よりも女の子のほうを好んでいるからだろう。そういう曲を作り、そういう歌詞を書き、そういうビジュアルにしている。

本人たちは『ハードで硬派なロックバンド』とか言ってるけど、たぶん違うだろう。メタル調なのに、サビでは甘いメロディになるし、突き刺し、揺さぶり、脅すようなデスボイスも、サビでは愛の囁きに変わるのだ。一貫性がまったくない。女を脅し、いたぶる。でも時として甘えてくるような、そんな音楽。

ファンの女どもはみんな同じようなファッションで、みんなで同じハンドサイン。大音量の中で一糸乱れぬヘッドバンギングを繰り返している。ライブハウスなのに『日本人の国民性』みたいな光景。昔のロックは反体制とか言われていたけど、今のこのライブは、リクルートスーツ着て、みんなでお行儀よく行進している就職活動とあんまり変わらない。

「ねー!ミナ!最前!いこーよ!」
爆音の中、チィが私の耳元で叫ぶ。

「今日はいい!私!これから!バイトだし!」爆音に負けないように私も大声で答える。

「じゃ!うち!ひとりでいってくる!」

チィが嬉々として、暴力的で画一的な、お行儀の良い集団に飛び込んでゆく。彼女だってこれからガールズバーのバイトがあるはずなのに、元気だなあ、と思う。モッシュしているチィが、なんだかちょっと羨ましい。

照明が薄くなり、音圧が下がる。メタル的な曲調から、いきなり甘ったるいバラードのようなパートに入る。これこれこういうの。こういうのがちょっとクサくてヤなんだよ。

それでもこのバンドが好きだ。初めてメンバーと口を利いたときは天にも昇る気持ちだった。そこからドラムのアマギと親密になり、バックステージにも出入りするようになったけど、今、ステージを見つめる私の目は、ドラムセットに囲まれている男なんか見ていなかった。

私の目は初めからずっと、ベーシストの青霧トーマを追っていた。

***

「っしゃいませー」

緑色のコンビニの制服に身を包んだ私は、入店する客の方を見もせずに声だけを張り上げる。サンドイッチを品出しする手も止めない。深夜の静かな店内で自動ドアの開く音がすれば、客が来たことなんてすぐにわかる。

ピンク色の髪の毛をポニーテールに束ね、ゴス風のメイクを落とした私は、ただの髪色が派手なだけの、何者でもないコンビニの店員だ。って、じゃあ、ライブハウスでは何者なんだろう。ファン?おっかけ?関係者?ドラマーの彼女?ただのヤリマン?よくわからない。

「すんませーん」

レジでお客さんが呼んでいる。「はーい」と、声をあげてレジに入り、商品をスキャンする。カップ麺、おにぎり、マンガ雑誌、ドクターペッパー。ん?こいつ、おにぎり食べながらドクペ飲むのか?うええ。お客さんの食生活なんてどうでもいいけど、おにぎりにドクぺは合わんでしょ。っていうか気持ち悪いでしょ。私は思わずにやけてしまう。

「どしたの?にこにこして」

お客さんが帰ったあと、おなじ深夜シフトの大学生、カトーが私に話しかけてくる。この人はちょっと苦手だ。いつも私をジロジロ見てくるし、話しかけてくる言葉が、なんだか、ちょっとセクハラっぽい。

「えっと、いや…おにぎりとドクぺを一緒に買ったお客さんがいて、食べあわせ最悪だなあ、って思って」

「えー!まじー!?おにぎりとドクターペッパーってやばいねー!」カトーが、大袈裟にウケている。今年聞いた中で一番おもしろい話、みたいなリアクション。自分で言っといてなんだけど、そこまで楽しい話じゃない。

「やー、でもさ、ミナちゃんは笑うと可愛いんだからさ、いつも今みたいに笑ってたほうがいいと思うよ」カトーがちょっと真面目な顔になる。「いや、いつも可愛いんだけど、笑うともっと、っていう意味で」

「はあ。そっすか」

なんなんだよ、こいつ。ほっといてくれよ。

私はライブハウスのステージに立つ青霧トーマを思い出す。端正な顔立ち、弦をスラップする繊細な指。青霧くんとこいつが同じ人間という種族だってことすら信じられない。パンピの男は嫌いだ。特にチャラい大学生は。

私は品出しに戻る。


- 2 -

「こんなもんでいっか…」

息子が幼稚園にもっていくお弁当を詰め終えたわたしは、ふう、と大きく息を吐き出す。はじめのうちは、毎日のお弁当作りなんて、とても無理だと思っていたけど、続けていれば、少しずつコツが掴めてくるし、要領もよくなる。なんとかなるものだ。

お弁当が冷めたことを確認して蓋を閉め、弁当箱を『青霧こーへい』と息子の名前が大きく書かれたランチバッグに入れる。

ダイニングの椅子に腰かけ、朝起きた時に淹れて、お弁当作りをしながら飲んでいたコーヒーの残りをすする。すっかり冷えているが、コーヒーの味はする。でも、夫は起きて来たときに熱いのを飲みたがるだろうから、もう一度、淹れようか、と、立ちあがる。あと10分ほどで彼は起床するだろう。

手動のコーヒーミルをぐるぐると回す。静かだ。コーヒー豆を挽くガリガリという音と、豆が砕けてゆく振動だけを感じる。コーヒー豆とミルという組み合わせのグループが放つ攻撃的でザラザラしたノイズ。

こういうときには昔の事をいろいろと思い出す。あの頃のことは、まるで自分ではない別の誰かの物語のようだ。どんな気持ちで、どんな価値観で、何を楽しみに生きていたのだろう。あまり思い出せない。歩いてきた道が途切れて、今いる道がいきなり始まっている感じ。

とても信じられないが、あの頃から15年もの歳月が流れてしまった。どこにいるのか今ではわからない友達が何人もいる。あれほど仲の良かったバンドのおっかけ仲間とのやり取りも全くなくなってしまった。

チィはどこで何してるんだろう。バンドのメンバーは?あのライブハウスで一糸乱れずヘドバンしていた、たくさんの女の子たちは、どこへ消えてしまったのか。

わからない。

あの19歳のときのような友達は、もう2度とできないだろう。そして爆音と汚物にまみれたジェットコースターみたいな絶叫と愉悦の日々には、どうやったって戻れない。

もう、2度と。

「おはよ」

夫がリビングに顔を出す。

「おはよ。コーヒー、淹れたてだよ」

わたしは微笑む。

「ありがと、ミナ」

夫がダイニングの椅子に座った。わたしはカップを持ち上げる彼の繊細な指を見つめる。

視線をあげて夫の顔を見る。

彼が笑った。


【次のエピソード】