あの眩暈から、私はどうやって戻ってきたのか
あの地獄のような眩暈で、入院すること一週間。
病院にいても、家に残してきた7匹の猫と2匹の犬たちのことが気になって仕方がありませんでした。
そして何より、
「家に帰りたい……」
その一心でした。
まだまともに動けるような状態ではなかったのですが、半ば無理やり退院して、我が家へ戻ってきました。
「家に帰ったら少しは元気になるかな・・」
そんな期待もあったのかもしれません。
ところが……
帰ってきても、私は相変わらずベッドの上。
壁にもたれて、ぼ~~~っとしていました。
ずっと船に乗っているような感じ。
身体を動かすとフラフラする。
家事もできない。
仕事もできない。
大好きなことさえ、できない。
そんな自分を見ながら、
「私って、何の役にも立たないな……」
と思っていました。
そして、もうひとつ怖かったこと。
せっかくここまで頑張ってきたホメオパシーの勉強も、
「こんな身体じゃ、もう続けられないんじゃないか・・・」
そう思いました。
あんなに一生懸命やってきたのに。
やっと「これが私の道なのかもしれない」と思えるものに出会ったのに。
もう無理なのかな……。
そんなとき、ホメオパシーの先生が私のセッションをしてくださいました。
ホメオパシーのセッションでは、今出ている身体の症状だけではなく、幼い頃から現在までの出来事や、そのとき自分が何を感じていたのかなど、いろいろなことを話していきます。
3時間くらい話していたでしょうか。
先生は、私の話をずっと聞いてくださいました。
そして話していくうちに、自分でも思っていなかったところへたどり着きました。
「寂しかったんだ……」
「これからの自分の人生に不安と孤独を感じていたんだ・・・」
という気持ちでした。
一番下の子が大学進学のために県外へ出て、子どもたちはみんな巣立っていきました。
夫と私と、動物たちとの生活。静かな生活
私はずっと、
「子どもたちが巣立ったら、やっと自分の時間ができる!」
と思っていたんです。
むしろ、その日を楽しみにしていました。
だから、自分の中にこんなに
「寂しさ」や「孤独」
があるなんて、思ってもみませんでした。
いわゆる「空の巣」のような気持ちが自分にあるなんて、夢にも思っていなかったのです。
考えてみれば、私は長い間、子育てにたくさんのエネルギーを注いできました。
「お母さん」であることが、生活のとても大きな部分を占めていた。
その子どもたちが巣立ったとき、
私は自由になったはずなのに……
そのエネルギーを、今度はどこへ向けたらいいのか分からなくなっていたのかもしれません。
そんな頃、私はホメオパシーに出会いました。
「もしかしたら、これが私の道なのではないか?」
そう思いました。
夢中になって学び始めました。
ところが……
今度は、私のいつもの癖が顔を出しました(笑)。
「ちゃんとしないと!」
です。
勉強するなら、ちゃんと理解しないと。
みんなについていかないと。
もっと勉強しないと。
人前でもちゃんと話せるようにならないと。
そうやって、
せっかく自分が好きで始めたはずのものなのに、いつの間にか自分自身を追い込んでいました。
以前の記事に書いた、
自分で描いた小さな○の中に、何がなんでもボールを入れようとしていた私
が、ここにもいたんですね。
身体だけではなく、「私」を見てみる
ホメオパシーには、身体に現れている症状だけを切り離して見るのではなく、その人の心やこれまでの経験、感じ方なども含めて、その人全体を見ようとする考え方があります。
先生とのセッションで私は、
「この眩暈の原因はこれだったんだ!」
と答えが分かったわけではありません。
でも、
子どもたちが巣立った寂しさ。
これからどう生きたらいいのかという戸惑い。
「ちゃんとしなければ」という焦り。
人と比べてしまう自分。
「逃げてはいけない」と自分を追い込んでいたこと。
そういう自分の中にあったものに、一つひとつ気づいていきました。
そして先生は、私の話や症状をもとに、いくつかのレメディを渡してくださいました。
そして、眩暈が変わり始めた
レメディをとりながら過ごしていくうちに、
あれほど私を苦しめていた、グルグルと回るような激しい眩暈が、少しずつ楽になっていきました。
もちろん、これは私自身が経験した経過です。
眩暈にはさまざまな医学的原因がありますし、ホメオパシーが眩暈を治療できると一般化して言いたいわけではありません。
ただ、私自身にとっては、
「身体だけではなく、自分自身を丸ごと見てもらった」
あの時間が、回復していく過程の大きな転換点になりました。
そして、もう一つ。
症状がなくなることだけが、回復ではなかったのかもしれません。
「寂しかったんだね」
「怖かったんだね」
「そんなに頑張らなくてもよかったんじゃない?」
それまで聞こうとしなかった自分の声を、少しずつ聞けるようになっていったこと。
それもまた、私にとっての「回復」の始まりだったように思います。
その具体的な回復の過程は、また次回、書きたいと思います^^
