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Déta hana no qué ha noucalaire

(本投稿はアフィリエイト広告を含みます)

それはまだ僕が三十路を歩き始めたばかりの頃。
よく通っていたバーのマスターと話をしていた。
隣には美容師の女性が座っていて
僕は彼女に髪を切ってもらっていた。

好きな食べ物の話や
若かりし頃のエピソード
美容院でのお客さんのことなど
取り止めもなく話していると

-君ももうそろそろかもしれないね。
-何のことですか。
-もってあと3年ってとこかな。
-何がですか。
-頭髪だよ。

確かに僕の頭髪は
その頃から地球温暖化に備えて
省エネ活動を推進していた。
隣に座っていた美容師は憤然と抗議した。

-マスターひどい。
 あと5年はもつわよ。

日頃から僕の頭皮に
寄り添ってくれている
彼女の言葉を聞き
僕は深く
項垂れることしかできなかった。
マスターと彼女は
項垂れた僕の頭頂部を眺め
互いの見解の正しさを
確かめ合ったことだろう。

あれから15年。
省エネ活動の成果もあり
僕の毛髪は未だに砂漠化はしていない。
干ばつに苦しんではいるが
かろうじて地肌までは晒されていない。

これまで色々な誤魔化し方をしてきた。
元来癖っ毛なので少し伸ばして
ぼさぼさにすることも多かったし
美容師がうまいことボリュームを持たせる
綺麗めな形に収めてくれることもあった。

しかし
それにもやはり限界がある。
10年前くらいから
頭髪の伸びる速さを
抜ける速さが追い越して
頭頂部は一定以上の長さまで
辿りつかなくなった。

思い返せばあの時の彼女の言葉は
ある意味においては間違ってはいなかったのだ。

悪あがきをするのであれば
何かをかぶせるか
何かをふりかけるか
専門医と相談して
中長期的な治療を計画するかしかない。

潔く剃り上げるという手もある。
いつかはその選択をしなければいけない時は来る。
しかしそれは今ではない。
まだあるのだから。

サイドとバックにはまだ伸び代がある。
センターにはもう引退の二文字が浮かび始めた。
これまではサイドとバックが
センターをフォローするように
頑張ってくれていた。
ちょっとだけ伸びたショートカット
みたいな髪型で
何とかその場を誤魔化してきた。

しかし先日
頭髪のコペルニクス的転回を試みた。
すなわち
サイドとバックを刈り上げて
センターを限界まで伸ばす。

陰翳礼讃。

抑えに抑えた陰の中に
ふと浮き上がってくる前髪。

僕が高校生の頃から存在した
ツーブロックという戦術が
ここにきて再浮上してこようとは。

しばらくはこれで行こう。

そして
髪は伸びなくなったけれど
髭は伸びる。
僕は大学生の頃からずっと
顎髭を生やしている。

時折
口髭も伸ばしてみる。
さほど見苦しくもないようで
誰にも苦情は言われない。
ただひとつ困ることがある。

口髭を伸ばすと鼻の毛が
自分も髭だと思って飛び出してくるのだ。
ぱっと見は髭だか何だかわからないが
僕はむず痒いので何とかして抜く。
尋常じゃない長さの鼻の毛を見る。

黒々として太々しい。
彼はこんなところに
生まれるべきではなかった。
もっと日の当たる場所で
みんなに愛されながら
ほどほどの喜びと
ほどほどの悲しみを
噛み締めながら生きていればよかったのだ。

眩しすぎる光に憧れて
大衆を睥睨し
運命をいくら呪おうとも
その暗い穴の中では
誰の耳にも届きはしない。

誇り高く健やかなる運命は
ついに我が物にならず
我ならず望み
我ならず望みを失いね。
躊躇(ためら)わず弦(いと)を鳴らし
悲しみを歌え。
運命の強き一撃(うち)は
誇り高きものをも
打ち倒すが故に。

Sors salutis et virtutis michi nunc contraria
est affectus et defectus semper in angaria.
Hac in hora sine mora corde pulsum tangite;
quod per sortem sternit fortem,
mecum omnes plangite!

Carl Orff/1895-1982
Carmina Burana
- O Fortuna
木城ゆきと『銃夢』作中に紹介された訳詞

そうだ。
俺はお前で
お前は俺なのだ。

ほんの少しでも
顔を出そうとした瞬間
俺もお前も
世界から失われる。

Der qui ha utaré.
Déta hana no qué ha noucalaire.

Le chien Poché

ということなのだ。


だから僕は口髭を伸ばさない。









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