ミシェル・ド・セルトヌ『ルヌダンの憑䟝』における䞻䜓に぀いお

文責野良捚人


1 はじめに

 本蚘事は、昚幎床に自分が発衚したミシェル・ド・セルトヌ『ルヌダンの憑䟝』に぀いおの小研究を基に、私がそこで取り扱ったテヌマであるセルトヌの「粟神分析的芖座」ず、その䞭における「䞻䜓の挂流」の抂念に぀いお、簡単に敎理したものである。発衚は第䞀にセルトヌの玹介、第二に関しお自分が行った研究の抂芁、第䞉に未解決のものずしお残された問題に぀いお述べる。先に蚀っおおくず、それはセルトヌにおける「䞻䜓」の問題に぀いおである。

2 セルトヌずは誰か

 ミシェル・ド・セルトヌ1925‐1986は、フランス、シャンベリヌ出身の神孊者、歎史孊者である。む゚ズス䌚に属しお叞祭の䜍階を持ち、本来の専門は神秘䞻矩研究であったが、その呚蟺領域、たたは方法論ずしお広範な分野を探究した。
 セルトヌの研究は、本来のキリスト教神秘䞻矩ゞャン・ゞョセフ・スュランなどから始たり、歎史孊、粟神分析、文化人類孊など様々な知が亀差する広範か぀難解なもので、圌を特定の孊掟・朮流に䜍眮付けるこずは非垞に難しい。セルトヌ研究者の枡蟺優によるず、神孊者ずしおのセルトヌは埌にロヌマ教皇ベネディクト16䞖ずなったペヌれフ・ラッツィンガヌの埌に珟れ、歎史孊者のセルトヌはミシェル・フヌコヌの前、たたは肩を䞊べる䞖代ずしお掻躍した。珟代の人物では、先代の教皇フランシスコが圱響を公蚀しおいる他、カルチュラルスタディヌズの分野では草分け的存圚ずしお認知されおいる。
 しかし、フヌコヌず同䞖代、あるいはラッツィンガヌの埌に出おきたず蚀われるセルトヌであるが、その立堎はさらに耇雑である。戊時䞋に滞圚したオックスフォヌドでの回心によっお信仰の道を志した圌であるが、1960幎代には、孊生による反ド・ゎヌル運動に぀いお著䜜を公刊し、ゞャック・ラカンがラカン掟を創蚭した時にもメンバヌずしお名を連ねた。ずころが、ラカン掟に所属し぀぀も粟神分析ぞの立堎は圌独自のもので圚り続け、『歎史の゚クリチュヌル』、『歎史の粟神分析』では、フロむトやフヌコヌを持ち出し぀぀、歎史孊的な議論ぞの応甚を暡玢した。
 この様にしお、フランスでは神孊・哲孊・歎史孊を瞊暪無尜に枡り歩く業瞟を残したセルトヌであるが、日本においお最も受容されおいる圌の業瞟は、『日垞的実践のポむ゚ティヌク』フランス語タむトルL’invention du Quotidien ⅠArts de Faireに代衚されるような、カルチュラルスタディヌズ方面でのものである。同曞においお圌は、力を持぀存圚政府、䌁業その他  が抌し付ける「戊略」に察し、われわれ匱い人間たちがずる「戊術」を察眮し、それらに属するもの──さがり、街歩き、読曞、セヌルを狙った買い物など──を、「䜕ずかやっおいく技胜アヌル・ド・フェヌル」ず呌んだ。こうした蚀い方は悪いが掟手掟手しい抂念が、90幎代のポストモダン華やかなりしころの日本に茞入されたこずで、我が囜におけるセルトヌのむメヌゞを䞀面的にしおしたった芳は吊めないのではないだろうか。
 ずはいえ、セルトヌはその生涯においお、自らを「霊性史家」ず䜍眮づけ、すべおの業瞟や研究をその土台の䞊に築き䞊げた。最晩幎、圌は自身の神秘䞻矩研究の集倧成ずしお『神秘のものがたり神秘的寓話La Fable mystique』を準備しおいたが、それらをすべお公にしないたた、1986幎に孊者ずしおは若い60歳で生涯を終えた。
 珟圚日本では、『日垞的実践のポむ゚ティヌク」以倖のセルトヌの著䜜は殆ど絶版ずなり、手に入れるのが難しい状況であるが、『思想』2025幎12月においお、生誕100呚幎蚘念特集、぀い先日には東京倧孊でその意矩に぀いおの研究䌚が行われるなど、埋もれおいた業瞟の再発掘、新たな研究領域の開拓が進められ぀぀ある。兎も角も、今は䞀刻も早い『神秘のものがたり』邊蚳版の刊行が埅たれる次第である。[1]

3『ルヌダンの憑䟝』ずその研究

 ここからは、セルトヌがその䞭期に発衚した著䜜である『ルヌダンの憑䟝』ず、それに぀いお私が行った小研究に぀いお内容を芁玄しながら説明したいず思う。
 『ルヌダンの憑䟝Posession de Loudan』は、1970幎にセルトヌが発衚した歎史研究曞で、日本では2008幎にみすず曞房から蚳曞が刊行された。同曞の題材は、17䞖玀前半にフランスの地方郜垂ルヌダンで起こった修道女ぞの集団悪魔憑き事件であり、セルトヌは数幎にわたったこの事件を、あらたしから犯人ずされた「魔法䜿い」の凊刑、J・J・スュランによる悪魔祓いの完了に至るたで、膚倧な史料ずそれに察する倚様な読解の技法を駆䜿しお再構築した。このため、本曞では神孊、歎史孊、文化人類孊、哲孊、瀟䌚孊、粟神分析などの知芋が耇雑に絡み合い、史料ず考察の䞊眮ずいう読みやすい構成ずは裏腹に、倧きな可胜性を秘めた深遠な議論が展開されおいく。
 本曞の冒頭郚においお、セルトヌは次の様に蚀っおいる。

「通垞その異なるものは、街路の䞋で静かに蠢いおいる。だが䞀床危機が来れば、それは増氎のため溢れるかのように、あらゆる堎所で地䞋からせり䞊がり、䞋氎道のふたを持ち䞊げ、たず地䞋宀を、぀いで郜垂を浞氎させる。闇に棲むものが荒々しく日の光のもずに溢れ出おくる  だがそれによっお、地䞋の存圚、決しお䜕かに還元されるこずのない内的抵抗の存圚が、明かされるのだ。こうした闇の力は  瀟䌚的な囲いを砎壊し、氎路から氟濫する。  波が匕いたあずに、別の光景、異なった秩序を珟出させる。」PL p8

 「歎史は正確なものではない」ずいう挑戊的なタむトルず、この意味深長な䞀節から始たる本曞においお、真に問われおいるものは䞀䜓䜕か。「悪魔」の名のもずに法廷に匕き出される、闇の力の正䜓か。それずも、文曞には登堎しない、語られざるものの、耇雑に絡み合う力関係であろうか。いずれにせよ、セルトヌの思玢の焊点は、単なる゚クリチュヌルの読解に関わっおいるのではない。䜕故ならば、「曞くこず」それ自䜓が、固有の領域を定矩し、倖郚に圱響を及がしお䞍確定性を排する、民衆的「戊術」に察眮される「戊略」的行為だからである。『日垞的実践のポむ゚ティヌク』pp319‐330
 この点を蚀い眮いた䞊で、小研究に぀いおの話に移ろうず思う。
 私が行った小研究においお䞻題ずしたのは、悪魔の憑䟝事件における犯人ずしお告発された「魔法䜿い」ナルバン・グランディ゚ず、その母芪ゞャンヌ・゚スティ゚ヌノルの間に存圚した特殊な関係性ず、その解読を介しお展開されるセルトヌの粟神分析的な芖座がどのようなものかを解き明かすこずであった。蚀い方を倉えれば、『ルヌダンの憑䟝』においお、粟神分析は劂䜕なる圹割を果たしおいるかを問う、その為の詊みだった。
 セルトヌは、グランディ゚ずゞャンヌの間に暪たわる、時に庇護的な、時に圧政的な関係に぀いお、次のように曞いおいる。

「䞻任叞祭グランディ゚の孀独により、圌ず母芪の抱える問題が、さらに浮かび䞊がっおくる。誰も口にしようずしない父芪の䞍圚により、䞀人の女性が、グランディ゚によっお『自然法』ずなっおいるように思われる。  どのような《偶像》、どのような法に瞛られおいるか知るこずもなく、圌はそれを砎壊するふりをし぀぀、じ぀は砎壊を『拒吊する』こずに、時を費やしおいたのだ。」PL p137

 この、「自然法ロワ・ド・ナチュヌル」ずいう蚀葉の意味を解き明かすこずが、私の研究の重芁な論点ずなったのであるが、この堎ではそれよりもいっそ、セルトヌが繰り返し論じおいるずころの、「呜名」ずいう行為の暩力性に぀いお語るこずにしたい。
ゞュリアス・゚むノァリヌ監督の映画『ノァチカンの゚ク゜シスト』においお、ラッセル・クロり扮する゚ク゜シスト、アモルト神父は、犠牲者に取り぀いた悪魔の「名」を執拗に問いかける。「お前は誰だ」ず問いながら、神の名を借りお退散を呜じるのであるが、同様の事はルヌダンでもすでに行われた。セルトヌは、女子修道院に属する嚘たちの肉䜓に入り蟌んだ悪魔の名前ず階玚を、原史料に沿っお列挙しおいくのであるが、そこで行われおいるこずは、単に敵の名を知るこずではなく、呜名によっお堎所を特定し、魔神孊の系譜に䜍眮付けようずする「知サノォワヌル」の暩力の行䜿なのである。PL p147
「知」によっお名を䞎えるこず、そのこずは、治療者ず被治療者の間で行われる過酷な闘争の第䞀歩であるこずを、セルトヌはこずあるごずに匷調しおやたない。本曞ず地続きの、新たな問題を浮き圫りにした研究である『歎史の゚クリチュヌル』第六章は、こうした蚀語掻動䞊の暩力闘争に倚くのペヌゞを割いおいるが、この点の詳述は埌半に回すこずにしよう。問題は、こうした「呜名」による暩力が䜕のために行われるか、たた、そのこずが䜕を惹き起こしたか、ずいうこずである。
 セルトヌによれば、「呜名」するこずは、あるいは憑䟝に察する医垫の治療行為は、「瀟䌚的安定を保ち『知』を確保する」ずいうこず、蚀い換えれば「真実を『再所有する』」ための戊いである。p202圌らが暩嚁を有しおいる領域ぞず事態を惹き戻し、圌ら自身の肩曞を再床有効化しようずする営みであるが、この暩力性、人為的恣意性は、明らかに修道女の身分や地䜍に応じお悪魔の身分も倉動する、あからさたな悪魔のリストに珟れおいるず蚀っおよいのではないか。参考第9章「真実の奇圢孊」
 こうした行為は、結局のずころ匷烈なたでの「戊略」的行為である。行う偎が垞に暩力を持ち、ひずりひずりの人間は垞にその䞋に圧殺されおいく。「魔法䜿い」グランディ゚が幜閉され、最初は無実を䞻匵しながらも、遂に死を受け入れお火刑に凊された理由も、そこにある。圌は、「魔法䜿い」ずいう「呜名」を受けお幜閉され、母芪ずの苛烈な自己のパロヌルの《所有暩ポれッション》を巡る争いの䞭で匕き裂かれたのである。母芪ゞャンヌは、息子に察する庇護の裏でその蚀葉の《所有暩》を奪い、事実䞊、圌を支配䞋に眮いおいた。そこにあるのは、悪魔の憑䟝にもよく䌌たもう䞀぀の憑䟝珟象であり、同時に、䞀人の人間が「戊略」によっお抌し぀ぶされおいく、暩力の舞台だったのである。
 『ルヌダンの憑䟝』においおセルトヌが展開しおいるのは、こうした、圌自身の幟぀ものテクストを連結するような、耇雑な知の枠組みが亀錯する議論である。圌が魔術垫の様に煌めかせる諞々の孊問的方法論は、圓然幟぀ものルヌツを持ち、圌を最も立堎の確定が難しい孊者たらしめおいるのだが、それらの方法論は、繰り返される亀叉の䞭で倉化を被り、緎り䞊げられ、父祖ずは党く様盞の䌌ぬ子孫を生み出した。フヌコヌ、ラカン、フロむト、スュラン、ロペラ、ファヌノル  あたりにも倚くの父を持぀セルトヌの思想にあっお、粟神分析はどのような問題の䞋取り扱われるのか。新たに浮䞊した問題を敎理し぀぀芋おみるこずにしよう。

4 浮䞊した問題 䞻䜓の移動、争奪、呜名  

 小研究の䞭で、私は『ルヌダンの憑䟝』における粟神分析的芖座ぞの足掛かりずしお、「魔法䜿い」母子の間の関係性の解明を目指したのであるが、その結論は、この二者の間で亀わされるパロヌルの《所有暩》を巡る争いず、そこに圧倒的な暩力をもっお介入する「魔法䜿い」ずいう「呜名」であった。
 しかし、実際に争奪されおいるのは䜕なのだろうかここで浮䞊しおくるのが、先皋瀺された劂く、「知」の暩嚁を瀺すために行われる「呜名」、悪魔の正䜓を明らかにし、魔神孊の支配䞋に眮こうずする「戊略」行動である。この「戊略」が捉えようずしおいるものは䜕かずいえば、それこそが、粟神分析で最も重芁なファクタヌずなる《䞻䜓》である。『ルヌダンの憑䟝』においお、あらゆる面で争奪され、絡みあう匁論ず史料の連環の䞭に姿を隠し去っおいたのは、修道女たちの、「魔法䜿い」の、《䞻䜓》を支配䞋に眮こうずする䞀連の暗闘である。
 これらの暗闘が䞻題的に論じられる箇所こそ、セルトヌが本曞から遅れる事五幎、1975幎に公刊した『歎史の゚クリチュヌル』第6章、「倉質する蚀語掻動」である。
 「倉質する蚀語掻動」においお、セルトヌは先皋瀺された「呜名」の効甚ず領域を䞻題化し、改めおその射皋に぀いお語っおいる。

「《ヒステリヌ患者》は自分が誰なのか刀らない、埓っお名付けられない。悪魔憑き女は  蚀語掻動の働きにおいお、話者である䞻䜓《私》ずある定矩された固有名詞ずの脱臌が共瀺する、混乱を惹き起こす。《私は他者である》。祓魔垫や医者はこの《他者》を芏定し、それを固有名詞地誌トポグラフィヌのなかに据え、瀟䌚的な蚀衚䜓系ぞの連結を再び正垞化するよう働きかける。それゆえ、悪魔祓いの儀匏は本質的に、逃亡する異質性゚トランゞュテを芏定の蚀語掻動の䞭で充おられる、呜名の䌁おなのである」

「固有名詞は䞻䜓に察しお蚀語掻動における堎所を指定し、埓っお瀟䌚蚀語孊的な実践の次元を《保蚌する》。そしお、悪魔憑き女は䞻䜓の異質性゚トランゞュテ《私は他者である》を瀺すこずによっお逞脱を行うので、そうした異垞には、そういう症䟋のために瀟䌚によっお甚意された  別の名前を宛おねばならない」共に『歎史の゚クリチュヌル』p288

 悪魔に取り憑かれた修道女たちは、口々に「私は他者である」ず申し立おる。医垫や叞祭ずいう暩力が抌し付ける「呜名」に察抗し、これをすり抜け、《挂流》する。その軌跡を、セルトヌは「チェスボヌド」の比喩を甚いお蚘述しおいる。同䞊p290

 こうした、「私は他者である」を゚ク゜シストたちは捉え、ある特定の名蟞ぞず逌塞するこずを呜じるのである。

「  悪魔憑き女は、私X芏定された名を瀺すXずいう公準ずの関連で絶えず逞脱を創り出す。圌女は無意識の状態  においお、悪魔䞀芧衚が提䟛する様々な堎所ぞ次々ず入っお行く。祓魔垫たちによっお自分の名を指定するよう、  そしお魔神孊的目録のなかに自分を抌し蟌めるよう急き立おられ、圌女は぀いに《私はアスモデです》ず明蚀する。」同䞊p289

 ずころが、圌女は皋なくしお、「私はむサカロンです」ず蚀っお、その支配から逃れようず乱脈な逃亡を始める。それが描く軌跡の寓意があのチェスボヌドなのであろうが、その詳しい意味に぀いおは、ここで無理に立ち入るこずはしない。
 しかしながら、ここで浮䞊する新たな問題は、たず䜕よりも、セルトヌがいかなる意味で《䞻䜓》の語を甚いおいるのかずいうこず、そもそも、《䞻䜓》ずはこの様に動き回る、逃げ回るものなのかずいうこず、そしお、こうした発想は本圓に粟神分析のものなのかずいうこずに他ならない。これが、私の小研究においおたどり着き、珟圚も越えられない重倧な問題の䞀぀である。
 今䞀぀、ここにおいお浮かび䞊がった問題に぀いお蚘述しおおこう。冒頭、私はセルトヌの䞻題の䞀぀を「語れないもの」であるず曞いたが、果たしお、それは真に分析の察象ずなるのだろうか。粟神分析ずは、垞に「語る」ものを察象ずするが、その察象が倉わった時、その方法論はどこたで有効でありうるのだろうか。蚀い方を倉えれば、われわれは語られたものから、曞かれたものから、その真盞に生呜をもっお流れおいる語られざるものの経隓たでも読み取り、分析の察象ずし埗るこずができるのだろうか。
 䟋えば、フランス珟象孊はフッサヌル以来長い長い思想的察立ずメルロポンティの耇雑な思玢の玆䜙曲折を介した末に、レノィナスずアンリずいう二人の倧哲孊者が基盀を埗お、「芋えないもの」「顕珟せざるもの」を珟象性の、実圚性の本質ずしお蚘述し埗る領域を拓くに至った。圌らは他者の《顔》、あるいは《自己‐觊発》の圢で珟れるこずの本質、珟われるこず以前の原本的なわれわれぞの所䞎の圢態を語るのであるが、セルトヌはどの様にしおそれを語っおいるのだろうかこの点にこそ、セルトヌが単なる粟神分析家ではなく、神孊者にしお歎史孊者でもある、ずいう、驚くべき思玢の倚様さを持぀こずの意矩が隠れおいるのではないだろうか。
 セルトヌの思玢は、こうした様々な孊問的方法論の限界ず、孊際的融合の劥圓性・有効性を問う足掛かりであるず同時に、それらが織りなす特異な成果によっお、党く独特な領域を圢成しおいる。こうした圌の成果に぀いお、より倚くの応甚ず、曎なる研究の進展が進むこずを祈っおやたない。

・参考文献

ミシェル・ド・セルトヌ 『ルヌダンの憑䟝』矢橋透蚳 2008幎 みすず曞房
同 『歎史の゚クリチュヌル』䜐藀和生蚳 1996幎 法政倧孊出版局
同 『日垞的実践のポむ゚ティヌク』山田登䞖子蚳 2021幎 ちくた孊芞文庫
岩波曞店 思想2025幎12月号 『ミシェル・ド・セルトヌ 生誕100幎』



[1] ここたでの蚘述に関しお、䞀郚2026幎5月に東京倧孊で行われた「思想」特集号に぀いおの研究䌚の発衚を参考にしたこずを付け加えおおくが、これらの資料ぞのアクセス手段を筆者が芋぀けられなかったため、䞍完党な文献リストに留たっおいるこずをお詫びしたい

いいなず思ったら応揎しよう