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【書道断片】業


ごう

仏教において人間の行為と、その行為がもたらす働きを意味する。
梵語の「カルマン(karman)」に由来し、本来は単に「行為」を意味した。
身体による行為である身業、言葉による口業、心の働きである意業を合わせて「三業」という。
日本語では「業が深い」「業を背負う」など、宿命や罪障のような暗い意味で用いられることが多い。
しかし仏教における業は、あらかじめ定められた運命ではない。
現在の自分は過去の行為の積み重ねによって形づくられている一方、今何を思い、何を語り、何を行うかによって、未来もまた変わってゆく。
業とは、過去に縛られる思想であると同時に、現在を生き直す可能性を説く思想なのである。
禅の立場から見れば、重要なのは「自分にはこのような業がある」と観念することではない。
怒りが起これば怒りを知り、執着が起これば執着を知る。
その一念一念を見つめ、次なる行為を選び取ることである。
人は過去を消すことはできない。
しかし、過去を背負ったまま、今日の一歩を変えることはできる。
「業」という一字は、人間の逃れ難さを示すと同時に、今この瞬間の行為に未来が託されていることを静かに告げる字なのである。

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