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「なんかおかしい」で終わらせない。違和感を検算する癖が店を救う

月末の帳簿を締めていた夜、画面をスクロールする手が、ある行で止まった。

数字自体は、特に変でもない。ただ、なんとなく指が止まった。

理由は言葉にできなかった。「なんとなく」としか言いようがなかった。

普通なら、そのまま次の行に進んでいたと思う。

その日はなぜか、スクロールを戻した。

「なんかおかしい」で終わらせない。

これだけで、何度も店を救われてきた。

才能の話じゃない。

習慣の話だ。


これまで、いくつかの出来事を書いてきた。

謳い文句どおりの補填を信じて、実は半分にも届いていなかった話。

理論原価率33%を信じていたら、実績は55%を超えていた話。

どちらも。

きっかけは同じだった。

「なんかおかしい」。

その一言から、全部が始まっている。

今回は、その「違和感」というものについて、もう少し深く書いてみる。

これまで書いた2つの話は、比較的大きな金額が動く、分かりやすい事件だった。だが、実際にはもっと小さな、日常の中に埋もれた違和感の方が数としては圧倒的に多い。

今回は、これまで触れていなかった3つの場面を取り上げる。会計、請求書、発注。どれも、地味で、記事のネタとしては小さく見える出来事だ。だからこそ、この3つを並べたときに見えてくる共通点に、意味があると思っている。

会計データの違和感

ある月、税理士から提示された原価率が、急に跳ね上がった。

普通なら「原価が悪化したのか」と受け止めて終わるところだ。

だが、悪化のスピードが不自然だった。

前の月から、急に。

何かがおかしい。

自分で数字を遡って確認していくと、原因が見えてきた。

原価が悪化したのではなかった。

売上の一部が、二重に計上されていた。

現金の入金処理を、誤って売上として重ねて数えてしまっていたのだ。

原価率が悪く見えていたのは、経営が悪化したサインではなかった。

会計処理が、途中で壊れているサインだった。

鵜呑みにしていたら、存在しない問題を解決しようとするところだった。

存在しない病気の治療法を、必死で探すところだった。

ここで違和感を持てた理由を、後から振り返ってみた。原価率という数字を、毎月ただ眺めているだけではなく、前月・前々月と並べて推移を見る習慣があったからだと思う。

単月の数字だけを見ていたら、「今月はこういう月だったのか」で終わっていたかもしれない。数字は、1つだけ見ても嘘をつかないが、並べて見て初めて「動き方がおかしい」というシグナルを出してくれる。

請求書の違和感

仕入先からの請求書を毎回チェックしていると、数字が合わない日がある。

ある月、重量の記載を検算していて、計算が合わないことに気づいた。

よく見ると、梱包用の箱そのものの重さを、差し引き忘れたまま請求されていた。

箱の重さなんて、数百グラム程度のことだ。

金額にすれば、たいした差ではない。

だが、放置すれば毎回同じ形で積み重なる。

別の月には、品目名がいつもと違う表記になっていた。

単価から逆算してみると、書かれている名前とは別の商品の値段だと分かった。

表記のミスだった。

どちらも、悪意があったわけではないと思う。

人がやることには、ミスがある。

大事なのは、そのミスを見つける仕組みを、こちらが持っているかどうかだ。

請求書は、来た通りに払うものではない。

検算するものだと考えるようになった。

とはいえ、毎回すべての項目を細かく検算しているわけではない。金額が大きい項目、いつもと違う印象を受けた項目だけ、重点的に確認する。全部を均等にチェックしようとすると、これもまた続かない仕組みになってしまう。

違和感を持ちやすい部分にだけ集中する。これも、検算を習慣として続けるための工夫の1つだ。

発注業務の違和感

発注のたびに、なぜかいつもバタバタする。

そのことに、しばらく違和感を持っていた。

「今日は忙しいから、また今度」

「あ、そういえば発注忘れてた」

そんな会話が、何度も繰り返されていた。

原因を辿ると、「無くなったら発注する」という進め方そのものに無理があった。

在庫が減っていることに気づくタイミングが、いつも忙しい時間と重なっていた。

考えてみれば当たり前だ。

忙しい時間は、在庫がよく減る時間でもある。

そこで、荷物が届いたタイミングで、次の分と、その次の分までまとめて発注する、という一つのルールに変えた。

それだけで、発注そのものを忘れることも、慌てて発注することもなくなった。

「発注しなきゃ」と思い立ったときには、たいてい前の週にもう終わっている。

拍子抜けするくらい、あっさり解決した。

この一件で学んだのは、「頑張って忘れないようにする」という対策は、たいてい効かないということだ。人の記憶力や注意力に頼る対策は、忙しくなった瞬間に真っ先に崩れる。

効いたのは、記憶力に頼らない仕組みそのものを作ったことだった。トリガー(荷物到着)を決めてしまえば、覚えているかどうかは関係なくなる。

才能ではなく、習慣

会計、請求書、発注。

扱っている中身はまったく違う。

だが、起きていたことの構造は同じだった。

小さな違和感がある。

見過ごさずに立ち止まる。

数字を並べて検算する。

原因を特定する。

仕組みを直す。

この5つの繰り返しだ。

特別な才能がいる話ではない。

「なんかおかしい」を、そのままにしないだけだ。

もう1つ、3つの話に共通していたことがある。原因が分かったあと、誰かを激しく責めるという結末には、どれもならなかった、ということだ。

会計の二重計上は、人為的なミスだった。請求書の誤記も、悪意ではなくミスだった。発注のバタバタも、誰かの怠慢というより、仕組みの不備だった。

違和感を検算する目的は、犯人を見つけて糾弾することではない。原因を特定して、次に同じことが起きない仕組みに直すことだ。この違いを意識しているかどうかで、検算という行為そのものの居心地が、だいぶ変わってくる。

なぜ、放置してしまう人の方が多いのか

正直に言うと、違和感に気づくこと自体は、そんなに難しくない。

「あれ、なんか変だな」と思う瞬間は、誰にでもある。

難しいのは、そこで立ち止まることの方だ。

なぜ立ち止まれないのか。

→ 目の前の仕事で忙しく、違和感を検証する時間の余裕がないから。

なぜ時間の余裕がないと感じるのか。

→ 検算という作業に、どれくらいの時間がかかるか、事前に見積もっていないから。

なぜ見積もっていないのか。

→ 「たぶん大したことじゃないだろう」と、無意識に軽く見積もってしまうから。

なぜ軽く見積もってしまうのか。

→ 違和感の正体が分かる前は、それがどれくらいの問題なのか、判断のしようがないから。

結局、これは順番の問題だ。

「問題の大きさが分かってから動く」のではなく、「動いてみて初めて、問題の大きさが分かる」。

この順番を受け入れられるかどうかが、違和感を放置する人と、検算する人の分かれ目になる。

もう1つ、放置してしまう理由として大きいのが、「自分の見立てが間違っているかもしれない」という不安だ。

検算した結果、何も問題がなかったら、時間を無駄にしただけになるのではないか。そう感じて、動く前に足がすくむことがある。

だが、これまでの経験から言えるのは、「何も問題がなかった」という結果自体に価値がある、ということだ。疑わしい数字を確認して、問題なしと分かれば、それはそれで安心材料になる。無駄な検算というものは、実はあまりない。

検算にかかる時間は、思ったより短い

会計の二重計上を見つけたときも、請求書の誤記を見つけたときも、発注のルールを直したときも、実際にかかった時間は、そう長くはなかった。

長くても、数十分から1時間程度だ。

一方で、放置した場合のコストは、目に見えにくい形でずっと積み重なっていく。

存在しない問題に対応しようとした時間。

同じミスが繰り返されるたびに生じる、小さな損失。

バタバタする発注のたびに削られる、心の余裕。

「検算する時間がもったいない」という感覚は、多くの場合、逆だ。

検算しない時間の方が、長い目で見ればずっと高くつく。

これは、経営の意思決定全般に言えることだと思う。今すぐ手を打たないことのコストは、目に見えないぶん、実際より小さく見積もられがちだ。逆に、今すぐ手を打つことのコストは、目の前の手間として、実際より大きく見積もられがちだ。

この体感のズレを補正するために、「疑わしいと感じたら、まず15分だけ手を止めて確認する」というルールを自分の中に作った。15分という短い時間なら、忙しい日でも捻出できる。15分確認して何も出てこなければ、それで終わりにする。何か出てきたら、そこから本格的に検算する。この2段階に分けたことで、着手のハードルがさらに下がった。

才能ではなく、習慣。もう一度

会計、請求書、発注。

この3つの話に共通していたのは、特別な知識や資格ではなかった。

「なんかおかしい」に気づいたときに、そのまま流さず、一度だけ手を止める。

たったそれだけの習慣が、結果的に大きな損失を防いできた。

これは、生まれつきの性格の話でもないと思っている。

意識して、繰り返しているうちに、自然と身についていく類のものだ。

最初は面倒に感じるかもしれない。

慣れれば、違和感を放置する方が気持ち悪く感じるようになる。

この感覚の変化が、一番大きな収穫だったかもしれない。以前は、違和感を持っても「まあいいか」で流すことに、それほど抵抗がなかった。今は、違和感を流したまま次の作業に移ると、どこか落ち着かない気持ちが残る。

これは性格が変わったわけではなく、単に「違和感を検算した結果、実際に問題が見つかった」という成功体験を、何度か積み重ねただけだと思う。成功体験が、次の違和感に手を伸ばすハードルを、少しずつ下げてくれた。

この習慣は、人に引き継げるか

1つだけ、まだ答えが出ていない問いがある。この「違和感を検算する習慣」は、自分以外の人にも引き継げるものなのか、という問いだ。

一緒に働くメンバーに「なんかおかしいと思ったら確認してね」と伝えるだけでは、あまり効果がなかった。マニュアルに手順として書いても、実際に違和感を持てるかどうかは、また別の話だった。

今のところ分かっているのは、これは「作業手順」ではなく「常に何かを気にかけている状態」に近い、ということだ。レジの前を通るたびに数字を気にする。請求書を受け取るたびに、いつもと違わないか目を走らせる。この"常時の意識"のようなものは、手順書に落とし込みにくい。

引き継ぎの資料を作るとしたら、「何をするか」ではなく「どこに違和感を持ちやすいか」を具体的に書き残す方が、まだ伝わりやすいのかもしれない。ここはまだ試行錯誤の途中で、正解は持っていない。

この癖は、経営に限った話じゃない

友人に医療関係の仕事をしている人がいる。

検査データを毎日大量に見る仕事だ。

「異常値じゃないのに、なんか引っかかる数値」

そこに気づいて、大きな見落としを防いだ経験が何度もあると言っていた。マニュアルに書かれている異常値の範囲だけを機械的にチェックしていたら、絶対に拾えなかった違和感だそうだ。

経理の仕事をしている知人も、似たようなことを言っていた。伝票の金額は合っているのに、いつもと取引先の順番が違う、担当者の印鑑の位置が微妙に違う。そういう「言葉にしづらい違和感」から、不正な取引を見つけたことがあるらしい。

車の整備士も、エンジン音が「なんか違う」というところから故障の予兆に気づくと聞いたことがある。数値上は正常範囲でも、普段と違う音や振動に、経験がある人ほど敏感になる。

共通しているのは、どの仕事も「基準値の中に収まっているか」だけを見ていたら、絶対に拾えないズレがある、ということだ。基準値というのは、あくまで過去の正常な状態から作られた枠でしかない。枠の中に収まっていても、いつもと違う、という違和感は別の場所から立ち上がってくる。

会計、請求書、発注。飲食店の中で起きた話として書いてきたが、実際には業種を問わず、数字や記録を扱うあらゆる仕事に、同じ構造があるんだと思う。

まとめ

理論は正しい。

仕入先の説明も、プラットフォームの謳い文句も、税理士の数字も、多くの場合は正しい。

それでも。

時々、どこかにズレが紛れ込む。

そのズレに気づけるかどうかは、才能ではない。

違和感を放置しない習慣の問題だ。

事実は現場から。

学びは誰でも使える形に。

会計、請求書、発注、価格の逆算、原価の検証。

扱ってきたテーマはバラバラに見えるかもしれない。

だが、根っこにある動きはいつも同じだった。

違和感を持つ。

立ち止まる。

数字で確かめる。

原因を直す。

このシンプルな繰り返しだけで、ここまでやってきた。

特別な才能も、専門的な知識も、最初から持っていたわけではない。

あったのは、「なんかおかしい」を、そのままにしなかったという、それだけのことだ。

これからも、この店で起きたことを、そういう形で書いていく。

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