アウシュヴィッツでパンを平等に分ける
アウシュヴィッツの日本語ツアーに参加した。
英語のツアーでは全てを理解できる自信がなく、1人で周る勇気もなかったから。
ツアー中に説明を聞きながら感じて、考えて、想像した。それでわかったことは、いくら想像しても、どれだけ想像力が豊かであっても当時の人たちの思いを完全に理解することなど絶対にできないということ。
言葉で聞いて、写真で見て、その場所に訪れても当時の人たちの気持ちを全て理解することなんてできないからこそ、体験もしてないのにわかったような気になって涙を流すことにも、意見を述べようとすることにも少し違和感を感じた。ほんの少し、たった一部しか知らないのに。
それでも流れる涙は止められなかった。
3時間のツアーで時代背景や当時のリアルな環境など、様々な説明を聴いた。人間として心を保てない環境、飢えと寒さ、差別。重苦しい話題が続く中で印象的だったのは、生還者の方がアウシュヴィッツでの「良いエピソード」も語っているということ。
それが、
「私たちは最後まで平等にパンを分け合った」
アウシュヴィッツで過ごした人々にとって、最も辛かったことが飢え。食べ物は充分に与えられず、配られるパンを取り合う人も多かった中で、「平等にパンを分け合った」人もいる。
数人でパンを分ける場合は、切り分ける人が最後のピースをもらうことで、平等になるように工夫したのだそう。
言葉で表せないほど残酷な環境でも、周りの人を思いやり、生きる希望を持ち、パンを分け合うあたたかさを持つ人たちもいた。
今noteを書きながら、小学生の時に読んだアンネ・フランクの伝記で、収容所にいるアンネが縞々の服を着て片手にパンを持ち、笑顔で周りの人に分け与える絵が描かれていたことを思い出した。今は当時伝記を読んだ時よりも、その偉大さが何倍にも感じられる。
ただ、このパンを平等に分ける方法が通用しない場面もある。
さて、どんな場面なのだろうか。
それは、
家族で分け合う時。
こんな状況でもお母さんは子供に多く食べさせようとするため、平等に切り分けることはできない。
どんなに考えて想像しても完全に理解することはできないと思っていたアウシュヴィッツでの出来事。
それでも、自分のパンの一切れすら子供に与える母親の姿は少しだけ想像できて、どんな状況でもゆるぎない母親から子供への愛を感じ、胸が苦しくなった。
