神々はなぜ仏に救いを求めたのか? ― 神仏習合が生んだ逆転の世界 ―
仏様が神様を救済⁉神仏習合の裏にある国家戦略④
日本の神々は、いつから仏の化身になったのだろうか。
奈良時代から平安時代にかけて、神と仏の関係は大きく変化していく。
その先に生まれたのは、「神の正体は仏だった」という驚きの思想だった。
15. 仏に救いを求める神々

神様が仏に救いを求める。現代の私たちからすると不思議な話です。しかし奈良時代以降、日本各地で「神が苦しみ、仏に救済を願う」という物語が語られるようになります。
今回は、少しずつ謎に迫っていきたいと思います。設問Bは神仏習合についてです。まずは設問文を確認してみましょう。設問は「奈良時代から平安時代前期にかけて、神々への信仰は、仏教の影響を受けてどのように展開したか。」というものです。ということは神々への信仰は、この時期に仏教から何らかの影響を受けたということですね。いよいよ、神々が仏に対して、救いを求める端緒が見えてきましたね。
先ほどまでの神々への信仰を整理してみると、それは自然信仰や祖先信仰であり、それ故複雑な教義(教え)は存在しておらず柔軟な信仰であり、日本には数多くの神々(八百万の神々)がいたため、外来の仏教を受け入れる余地があるという話でした。
その神々への信仰が、奈良時代から平安時代前期にかけて仏教から何らかの影響を受け、変化をしていく様子を考えていきましょう。
16.神様と仏様が合体する

資料文(4)をみてみましょう。奈良時代前期には、神社の境内に寺が営まれたり、本来ならば仏前で読まれるお経が神前で読まれたりするようになったということが書いてあります。 確かに私たちが現在、神社やお寺を訪ねると、寺院の中に鳥居があり神様が祀られていたり、神社のすぐ横にお寺があったり、節分や七五三などご行事も寺でも神社でも行われています。日本人の神仏が混交している宗教観は、奈良時代前期というこんなにも早い時期から存在していたのですね。これは驚きですね。
ちなみに神社の境内に寺が営まれることを神宮寺と呼び、寺の中に神が祀られることを鎮守と言ったりします。また神前でお経を読む行為を神前読経と言います。
このように神様と仏様が何等かの理由で、少しずつ混ざり始めたのが奈良時代前期ということです。このような現象を「神仏習合」といいます。
私たちが気になるのは、なぜこの時期から神仏習合が起こり始めたのかです。実はさすがの東京大学の入試問題でもこの謎に対しては、資料文も提示されておらず、もちろん解答に含める必要もありません。でもこの資料文を読む感じでは、神々への信仰に仏が少しずつ介入をしている様子が垣間見えます。神仏習合が起こった原因は、どうやら神様の方にあるような気がしますね。
17.進む神仏習合

続けて資料文(5)をみていきましょう。資料文(5)には、平安時代前期になると僧の姿をした八幡神の神像彫刻がつくられたことが述べられています。これは僧形八幡神像というものです。そもそも神というものは、設問Aでも考えたように自然信仰や祖先信仰であるため、偶像化されることがあまり多くありません。その神を僧の姿を模して偶像化したものが僧形八幡神像でした。このことからも神仏習合が進んでいる様子がみてとれますね。

そして資料文の冒頭には平安時代前期とあります。設問文の条件は「奈良時代から平安時代前期」でした。奈良時代に始まった神仏習合が、平安時代前期には神像が作られるなど具体化したと考えてよいと思います。
18.神様は仏様だった

最後の資料文です。資料文(6)は、平安時代中期に関する文章です。
平安時代中期になると、「日本の神々は仏が人々を救うための仮の姿だった。」
と書かれています。つまり、神々の真の姿とは仏だったということです。何だか壮大なお話ですが、このような思想を本地垂迹説といいます。
平安時代中期になると、仏教の側では日本の神々もまた仏の救済の対象であり、仏が人々を救うために姿を変えて現れた存在だと考えられるようになりました。例えば、当時まで人々が信仰していた八幡神の本地仏は阿弥陀如来とされることが多く、天照大神は大日如来と結び付けられたとされています。
このように平安時代中期には神々と仏が混交し、その中で仏様が優位に立っていると考えられますね。
19.設問Bを解く

それではまずは設問Bを解いてしまいましょう。資料文からも、少しずつ神々への信仰と仏が混じり合う神仏習合が進んでいることがわかりますね。そして、平安時代中期には、仏様が神様よりも優位に立ち、神々は仏様の仮の姿であったという本地垂迹説まで登場しました。
このことから神々への信仰は、仏教の教えや儀礼を取り入れることで、より教義を持った宗教へと変化していったと考えられます。これらを解答にまとめてみましょう。
タカハシの解答
奈良時代には神宮寺の建立や法会の際には神前読経が行われるなど、神仏習合が始まった。平安時代前期には、僧形八幡神像が作られるなど神仏習合が具体化されたことで、その後本地垂迹説が唱えられ、次第に神道が仏教の教義により体系化された。
これで設問Bは終わりです。
では、なぜ神々は、仏の力を借りる存在として語られるようになったのでしょうか?
この謎の裏側には国家の戦略が隠されていました。次回は、神託の背景にある国家の行き詰まりについて、考えて行きます!次回の投稿をお楽しみに!
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