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美しく、悲しく、冷徹な成れの果て「破局」 遠野遥

芥川賞受賞作品、遠野遥著の「破局」。

この作品を読むと、まず思い出すのがカミュの「異邦人」だ。

主人公ムルソーの「今日、ママンが死んだ」というあまりにも有名な冒頭の一文から始まる本作は論理的な思考の破綻・欠落と不条理をテーマとして描き出した1人の人間の虚無の物語だと考えている。

この「破局」に登場する主人公の「私」もムルソーに似ているような気がする。

デカダンスというか、虚無主義というか、論理的には完璧なように見えて、決定的に感情が欠落している。

読めば読むほどに、そこかしこに違和感が見え隠れして、最後の最後にその違和感が決定的になっていく様は、さすが受賞作品だけあるなぁといった感じだ。

個人的には、倉本さおり氏の解説「ゾンビたちの涙」もかなり心の琴線に触れたり、なるほどなと唸らせるような内容があった。

目に見えるもの、すでに明文化されているものしか計上せず、見えないものは存在しないものとみなす「私」は、結果的に「悲しくないことがはっきりしたので、むしろ涙を流す前よりも晴れやかな気分」で自己をコーティングし補強してみせる。つまり感情を言語化していく過程で、ルールを逸脱したバグの存在に耐えられず、そのまま切り捨ててしまうのだ。

解説P162

上記の解説文にこの作品のエッセンスが凝縮されているように思う。

社会への最適化を否応なく求められる現代社会で、われわれの感情の大事な部分はバグとして機能し、記号化した外部の刺激に反応するだけのロボット人間になりつつある世相の状況を反映しているのではないか。

遠野作品は、往々にして文章が読みやすい。

それは遠野氏が学生時代に幾多の文学作品を古今東西読了し尽くし、自身に合う文章形態を模索した結果なのだというニュアンスがウィキペディアに記載されていた。

この平易な文章、読みやすい文章でこのような人間の本質部分をギュッと稠密(ちゅうみつ)してしまうのは圧巻だと思う次第だ。

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