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「この世を嘆く」というプレイスタイルへの賛歌

「この世を嘆く」というプレイスタイル

世の中には、「この世を嘆く」という、凄まじいプレイスタイルを持った人がいる。

「世間の人間はまだこんなことを考えているのか。なんてアホなのだろう」
そんな知的ストロングさを隠さない人だ。

もちろん、表向きには「アホ」という直接的な言葉は使うことは慎んでいるだろうが、たとえば

なぜこんな簡単な論理の飛躍に気づかないのか不思議でならないが、これが『世間』というものなのだろう。期待するだけ無駄なのかもしれない。

とか

まだこのレベルの議論をしているのかと、正直暗澹たる気持ちになる。本質はそこじゃないのに、世間はいつまで表面的な対立で消耗しているのだろう。

みたいな表現であれば、どこかで見聞きしたことがあるはずだ。

まあまあすごいメンタリティだと思う。
彼らは、自分が誰かから「世間」だと位置付けられる可能性を、おそらく1ミリも考えていない。
自分が大衆化して嘆かれる側の対象になるかもしれないという予感が、一瞬たりとも頭をよぎらない。
その精神性に「すごい!」「つよい!」と思ってしまう。

あるいは、自分が主催したイベントに人が集まらないことをもって、こういう発言をしている人を見かけた。

今回のイベント、本当に危機感を持っている少数の人しか集まらなかった。世の中の大半は、こういう『難解な問い』に向き合うより、手軽で消費しやすい『分かりやすい正解』を求めているんだなと痛感する。

これもなかなかの強さだと思ふ。
何がってその自己肯定感の強さが凄まじい。
まるで自分だけが正しいことを知っていて、世間はその正しさから目を背ける情報弱者である…という認知。SUGOI。

もちろんこれは7割は皮肉だ。
しかし、残り3割は、そこまでの作品を作ったという自負に対する憧れもある。
そんな強い気持ちになってみたい…という複雑な心境にもなる。なりたくないけどなってみたい。

僕はそこまでの自信がどうしても持てない。
自分が発する言葉がそれほど大層なものだとは思えないし、世の中には信じられないくらい深く思考を巡らせている人が無数にいる。
そうした知的な営みの前では、自分の拙い主張などいつも「その他大勢」の大衆だと思っている。
これは謙遜ではなく、世の中そういうもんでしょ。実際に、すごい人たくさんいるからね。

世間はあなたに関心がない

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