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スメルジャコフという青年 (ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』再読感想文再び)


せいぜい二十四かそこらの、まだ若い男なのに、おそろしく人ぎらいで、寡黙だった。人見知りするとか、何か恥ずかしがっているというわけではなく、むしろ反対に、性格は傲慢で、あらゆる人間を軽蔑しているようだった。

『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー/著 、原卓也/訳、新潮文庫 上巻p.304


 パーヴェル・フョードロウィチ・スメルジャコフという青年は、カラマーゾフ家に使える召使です。「寡黙」で「性格は傲慢」。「あらゆる人間を軽蔑している」。そんな人。
 また腕のいいシェフで、潔癖症で、着る物にこだわりがあり、彼を尊敬し慕う女性もいます。

 そして私はこの物語を再読するたび、どうしたら彼は救われたのだろうかと考えて胸が苦しくなります。


『カラマーゾフの兄弟』
ドストエフスキー/著 、原卓也/訳、新潮文庫
(出版社がたくさんあるので、私がよく再読する新潮文庫から引用等ささていただきます。)


 父フョードル・カラマーゾフと三人の息子ドミートリイ、イワン、アレクセイ。本作はこのカラマーゾフ家に起こる「悲劇的な謎の死」(『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著 、原卓也訳、新潮文庫 上巻p.15)にまつわる数ヶ月のお話です。

 新潮文庫上巻裏表紙のあらすじではそれぞれ「物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフ」「放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ」「冷徹な知性人イワン」「敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ」と簡単に紹介されていますが。
 そこにもう一人、名前をあげられているのが「フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ」です。

 彼の出生はちょっと謎めいています。
 ある時、カラマーゾフ家の従僕グレゴーリイが庭で赤ん坊を見つけます。

巷(「ちまた」のルビ)をいつもさまよい歩いて、町じゅうに有名な、リザヴェータ・スメルジャーシチャナ(訳註 悪臭のひどい女という意味)という線名の、神がかり行者が、風呂場に入りこみ、たった今赤ん坊を産みおとしたところだったのである。

カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著 、原卓也訳、新潮文庫 上巻 p.234-235

 このリザヴエータ・スメルジャーシチャヤという女性は「小柄」で「二十歳の娘らしい、健康そうな、幅の広い、血色のいい顔は、完全に白痴の顔」(上巻 p.235-236)で、「一生の間、夏も冬も、粗末な麻の肌着一つに、はだしで通し」(同上)ていたため、町の皆から神がかり行者と言われていました。彼女は赤ん坊を産み落として亡くなってしまいますが、グレゴーリイ夫婦がその赤ん坊を育てることになります。
 そして赤ん坊の父親がフョードルではないのかと噂が立ちます。

洗礼を授け、パーヴェルと名づけたが、父称はだれ言うとなくひとりでにフョードロウィチ(訳註 フョードルの息子ということになる)と呼ぶようになった。フョードルはすべてを必死に否定しつづけてはいたものの、べつに反対もせず、むしろおもしろがってさえいた。

同上 上巻p.242

 またフョードルはにこの赤ん坊に苗字を与えます。

母親の名スメルジャーシチャヤにちなんで、スメルジャコフと名づけたのである。

同上

 神がかり行者の母から生まれ、母親のあだ名「悪臭のひどい女」にちなんで「スメルジャコフ」という苗字をつけられた青年。
 父かも知れない人、フョードル・カラマーゾフは自身の苗字「カラマーゾフ」を彼に与えませんでした。その後彼は召使夫婦に育てられ、父かも知れない人の家の召使になりました。
 奇妙で複雑な出生の事情を彼はどう思っていたのか。

 まずは彼の性格が垣間見えるエピソードを。
 その後カラマーゾフ家の人々との関係、特にイワン・カラマーゾフとの関わりについてお話ししたいと思います。




1 スメルジャコフという青年

 ① クラムスコイの絵のような

 
 語り手の「わたし」は画家クラムスコイの『瞑想する人』という絵画作品を取りあげ、そのイメージをスメルジャコフと重ねて語ります。

冬の森の絵で、森の中の道に、ぼろぼろの外套に木の皮の靴を履いた百姓がたった一人、ひっそりと淋しい場所で道に迷ってたたずみ、物思いに沈んでいるように見えるのだが、べつに考え事をしているわけではなく、何かを《瞑想して》いるのだ。

同上 上巻 P.310

 瞑想する人は自分でもなぜそうするのかわからないけれど「永年の間に印象を貯えた末」(同上)「突然全てを棄てて」(同上)巡礼に出たり、「あるいはふいに故郷の村を焼き払ったり」(同上)、あるいは「その両方がいっぺんに起こるかもしれない」(同上)ような人で「瞑想家は民衆の中にはかなり多い」(同上)とか。

 瞑想し、印象を蓄え、ある日突然、激しく行動を起こす人というのはなんだか得体がしれない感じがして、それが民衆の中にかなり多いというのはちょっと怖い気がしますが。

 「私」は「スメルジャコフもそうした瞑想家の一人だった」(同上)と言います。
 そしてある日、スメルジャコフも皆が驚く行動に出ます。
 寡黙な彼が、突然饒舌になります。


 ② 聖人が一人か二人はいるかもしれないという民衆の信仰

 カラマーゾフ家のお屋敷では父フョードルと次兄イワン、老僕グレゴーリイと召使スメルジャコフが顔を揃えていました。ちょうど宗教的な話をしていたところにアレクセイもやってきます。

 発端は信仰心の篤い老僕グレゴーリイの発言。彼は殉教したロシア兵の話に感激して皆に話すのですが、主人であるフョードルは少しも感動せず、逆に冒涜しそうな気配を見せています。
 するとそれを聞いていた召使いスメルジャコフが急に話し出します。

その立派な兵士の英雄的行為が、たいそう偉大だとしましても、ですね。私の考えでは、仮にそんな不慮の災難にあって、キリストの御名と自分の洗礼とを否定したとしても、ほかならぬそのことによって苦行のために自分の命を救い、永年の間にそれらの善行で臆病を償うためだとしたら、やはり何の罪もないだろうと思うのです。

同上 p.313

 と、スメルジャコフの説明はまだまだ続くのですが。
 簡単にいうと、迫害者に迫られ信仰を捨てても罪にはならない、なぜなら捨てた瞬間キリスト教徒ではなくなるのだから神に罰せられることはないのだ、とそんな感じでしょうか。なんだか屁理屈のような理屈なのですが。
 これを聞いてグレゴーリイは憤り、フョードルは面白がります。

 さらにスメルジャコフは続けます。
 そもそも「小さな穀粒ほどの信仰を持っているなら、この山に向かって、海に入れと言えば、山はその命令一つで」(同上p.319)海に入るはずなのに、そんなことにはならないではないか。
「あなただけじゃなく、現代ではだれ一人、山を海に入らせることなぞできやしないんです。」(同上p.326)
 と、ますますグレゴーリイを怒らせるのですが。

 問題はその後の発言。

もっともこの地上全体に一人か、多くて二人くらいは、そんな人もいるかもしれませんが、──後略──

同上 p.326

 普通の人には山を動かすなんて無理だから殉教なんて必要ないとグレゴーリイを嘲笑しながら、それでもこの世界には山を動かせる聖人が一人かもしくは二人はいるかもしれない、と言うスメルジャコフ。

 フョードルはその言葉尻をとらえ大いに面白がります、

「すると、山を動かすことのできる人間が二人はいるのか。──中略──おい、イワン、覚えておけよ、書き留めておくがいい。まさにここでロシア人が顔を覗かせたな!」

同上 p.320

 するとイワンも同意します。
「その指摘はまさに正しいですね、これは信仰における民族的な一面ですよ」(同上 上巻p.321)と。

 アレクセイまでも微笑み。
「ええ、そういう面は全くロシア的ですね」(同上)。

 真面目な信仰心を揶揄しながらも聖人の存在を否定しきれない。
 それが民衆的なのだと指摘しフョードルは笑います。(実はこの後自身の宗教的苦悩を吐露し複雑な賢さと弱さを明らかにするのですが。)

 そもそもスメルジャコフが無神論者のような態度を取るのは知識人のイワンを意識しているためだとフョードルはわかっていて、イワンを揶揄います。
「あれはみんなお前のためにやってるんだぞ、褒めてもらおうと思っているのさ。褒めてやれよ。」(上巻p.315)と。

 
 寡黙な青年が賢さを褒められてくて突然饒舌になったものの、民衆的信心を露呈したと面白がられてしまうこの場面。
 
 カラマーゾフ家の人たちの振る舞いは明らかにスメルジャコフを自分達よりも下の存在と思っているように見えます。それはこの時代、主人の家族と召使という上下関係があるので当然なのかも知れません。誰に対しても優しいアレクセイでさえ、微笑んでいますから。

 でも彼がフョードルの子供かも知れないと考えるとなんだかとても残酷な気がします。


3 カラマーゾフ家との関係

 ① フョードルとの関係

 スメルジャコフの父親がフョードルなのかどうか、噂の真偽は分かりませんが、フョードルは何故かスメルジャコフに目をかけているようなところがあります。
 幼い頃のスメルジャコフに本を読むことをすすめたり、彼が潔癖症だと知ると都会の料理学校に行かせたり。またある事件がきっかけでフョードルはスメルジャコフに絶大な信頼を寄せます。

フョードルが酔っ払って、受け取ったばかりの百ルーブル札を三枚、わが家の泥濘の中に落とし、翌日になってやっと気づいた。あわててポケットというポケットを探しにかかったとたん、ふと見ると百ルーブル札が三枚そっくりテーブルの上にのっているのだ。どこから降って湧いたのだろう? スメルジャコフが拾って昨日のうちに届けておいたのだった。「いやお前みたいな男は見たことがないよ」

同上 上巻p.309-310

 以来、フョードルは「彼の正直さを信じきって」(上巻p.309)「頭から信じ込んでいるのである。」(同上)のですが。

「お金を盗む人間は正直か否か」というモチーフはこの物語に時々登場します。
 特に子供の頃お金を盗んだことがあるけど誠実な人物として描かれているペルホーチンと、お金を盗まないから「正直な人間とすっかり自分を決めてかかっている」(上巻p.206)けれど「不正直」な人間として描かれるラキーチンの対比が面白くて以前記事で取り上げました。その時もお話ししましたが、どうやら「私」はお金を盗まないからといって正直なわけではないと思っているようです。

 ですからスメルジャコフがお金を取らなかったからといって信頼できる人物とは限らず、果たしてフョードルが思うほど正直なのかどうか疑問が湧きます。ただ、スメルジャコフの母もお金に無関心だったとあるのでそこにまた別の意味があるのかも知れませんね。

 さて一方のスメルジャコフはフョードルをどう思っているかというと。
 ちょうどこの頃、フョードルと長男ドミートリイがある女性をめぐって争っていたのですが、スメルジャコフは召使としてその争いに巻き込まれてしまいます。それぞれから勝手な命令を受け、従わざるを得ない立場にうんざりしていて、それをイワンに嘆いていたりします。

 彼はフョードルから信頼されてても、フョードルを慕っているわけではないようです。
 

 ② ドミートリイとの関係

 父フョードルが女性やお金のことで争い、疑い、憎み、恐れている長男ドミートリイ。彼はスメルジャコフと違って、自分のある行為が盗むことになってしまいそうだとずっと悩み苦しんでいる人なので、二人を対比するとちょっと面白いのですが。

 とにかく父とドミートリイの間でスメルジャコフは散々な目に遭っています。
 彼はドミートリイに乱暴な言葉や暴力で脅しつけられ、渋々従い、フョードルが決めた秘密の合図なども彼に教えてしまいました。それがフョードルにバレてしまったら大変なことになるとスメルジャコフは心配して、そんな状態をイワンに打ち明けています。

 さてスメルジャコフはドミートリイをどう思っているか。
 彼は親しい女性にこぼします。

ドミートリイ・フョードロウィチなんぞ、品行だって、頭の程度だって、素寒貧ぶりだって、どんな下男にも劣るほどだし、何一つできやしないのに、それでもみんなから敬われていますものね。そりゃわたしは一介の田舎コックでしかないけれど、運さえ向けばモスクワのペトロフカ通りでカフェ・レストランくらい開いてみせまさあ。だって、わたしの料理は別格ですからね、外国人を除けばモスクワでだって、ただの一人もあんな特別な料理を出せる人間はいやしませんよ。ところが、ドミートリイ・フョードロウィチは文なしのおけらのくせに、あの人が決闘を申し込めば、いちばん立派な伯爵家の御曹司でも応ずるんですからね、いったいあの人のどこがわたしより偉いっていうんです? あの人がわたしなんぞとは比較にならぬくらい、ずっとばかだからですよ。何の役にも立たぬことに、すごい大金を湯水のように使ったりして」

上巻p.565

 かなり軽蔑してます。
 彼はドミートリイが身分のせいで敬われているだけだと蔑み、自分の方が立派なのに、と妬み、憤っています。


 ③ アレクセイとの関係

 「あいつはアリョーシカを軽蔑しているからな。」(上巻p.325)とフョードルも言っているようにスメルジャコフはアレクセイも蔑んでいるようですが、そもそも二人はあまり関わりがありません。でも、興味深いエピソードが一つあります。
 
 アレクセイと仲良くなるイリューシャという幼い少年がいます。彼は悲しいことに物語の後半で病の床に伏してしまうのですが、少年は大好きだった友人と仲違いをしてしまったことや父親がドミートリイに辱めを受けたことなどで心を痛めていました。でも彼の一番の苦しみは哀れな野良犬をひどく傷つけてしまったことでした。
 実はその行動をそそのかしたのがスメルジャコフでした。
 ここには書きませんが犬を苦しめる方法はかなり陰湿です。

 スメルジャコフが苦しめた少年をアレクセイが救おうとしているという真逆の関係は興味深く、そこに彼らの性格の違いがはっきりと現れているようにも思えます。

 そもそもアレクセイがイリューシャと関わることになったのは彼がとても子供好きだったからですが、カラマーゾフの三兄弟は皆、とても子供好きです。
 あらすじで「冷徹な知性人」と紹介されたイワンも実は「恐ろしいほど子供好き」(同上 上巻 p.598)で三兄弟は子供達と、子供だけでなく虐げられた人々全てを救済したいという切なる願いを持っています。

 一方でスメルジャコフは残虐な行為を子供に教える得体の知れない怖さをもつ人。(子供の頃に猫を相手に残酷な遊びをしてグレゴーリイにひどく叱られた経験もあります。)


 つまりスメルジャコフという青年は。
 瞑想し、印象を蓄え、ある日突然、激しく行動を起こす、民衆によくいる瞑想家で。
 知的な無神論者を装おうとしても民衆的な信仰が捨てきれない人で。
 お金を盗まないけれど正直かどうかはわからず。
 子供に犬をいじめる酷い行為を教える残酷な人で。
 「あらゆる人間を軽蔑して」いる彼はおそらく虐げられた人々を救いたいという三兄弟のような願いは持っていないかもしれません。
 
 そんな彼が「冷徹な知識人」イワンに出会ったためにこの物語の悲劇が起こってしまったのではないかな、と私は思っています。



 ③ イワンとの関係

 前述の聖人のエピソードで「イワンに褒められたがっている」と言われたスメルジャコフですが、「傲慢」で「あらゆる人間を蔑視」する彼もどうやらイワンだけは尊敬していたようです。

 イワンの方はフョードルに「どうやって手なずけたんだ?」と揶揄われ「僕を尊敬しようって気を起こしたんですよ。あれはただの召使の、下衆野郎です。」(上巻p.324)などと言ってスメルジャコフにかなり厳しいのですが。

 でもイワンがスメルジャコフに出会ったばかりの頃、二人はとても親しくしていました。

あのころイワンはスメルジャコフに対してふいに何か一種特別な関心をいだきかけたし、彼をきわめて特異な人間と見なしさえした。自分と話をするように仕込んだのは当のイワンだったが、いつも相手の思考の支離滅裂さ、と
いうよりむしろ思考の落ちつきのなさにおどろかされ、いったい何が《この瞑想家》をこれほどたえず執拗に不安にかりたてうるのか、理解できなかった。二人は哲学的な問題も語り合った──(中略)──いずれにせよ、測り知れぬ自尊心が、それも傷ついた自尊心がちらちらと顔をのぞかせるようになってきた。イワンにはこれがひどく気に入らなかった。嫌悪が生じたのも、これがきっかけだった。

中巻p.14-15

 最初の頃はイワンはスメルジャコフを「一種特別な関心をいだき」「きわめて特異な人間と見なし 」「 哲学的な問題」まで語り合っていたのに、次第に苛立ち嫌悪するようになります。

だが、最後にイワンを決定的に怒らせ、これほどの嫌悪を心に植えつけたいちばん主要なものは、日を追うにつれてますます強くスメルジャュフが示すようになった、一種特別ないやらしい狎れなれしさだった。無礼な態度をあえてとるわけではなく、むしろ反対にいつもきわめて丁寧な口をきくのだが、なぜかわからぬうちにスメルジャコフはどうやら何らかの点でイワンと連帯しているような気になったらしい挨配で、話をするときはいつも、まるで二人の間には、かつて双方から言いだして二人だけは知っているが、まわりにうごめく他の俗人どもには理解も及ばぬ、何か秘密の取りきめでも存するかのような口調になるのだった。

中巻p.15-16

 スメルジャコフが馴れ馴れしくなるにつれ、イワンは怒りを感じていきます。それでもイワンは「強い好奇心を覚えて」(同上p.17)スメルジャコフと関わることをやめることができません。

 その後一連の騒動に別れを告げモスクワへ発とうとしていたイワンに、スメルジャコフはチェルマーシニャへ行くよう頼むのですが、その真意もイワンにはわからず、謎めいた言い方ばかりのスメルジャコフに苛立ち翻弄されます。

 と、ここまでが事件前の二人の関係なのですが。

 「冷徹な知性人」イワン。
 彼は一見、冷たい無神論者に見えますが、実は恐ろしく子供好きで情熱家でロマンチスト。誰よりも虐げられた人々を救済したいという願いの強い人だと思います。
(それに関しては以前の記事でお話ししたのでぜひ読んでいただけると嬉しいです。)
 
 問題はそんな熱い情熱を持っているにも関わらず、「賢い人間は何をしても許される」と思っている冷徹な無神論者に見えてしまうイワンの態度というか外見というか(実はイワンの考えはそんなに単純ではないのですが)。

 そんなイワンを見た目通りの冷徹な知識人としてスメルジャコフは尊敬し近づき、仲間になったような気になって。
 そして悲劇が起こり、下巻へ。


 事件後、スメルジャコフは病に伏しています。
 イワンはある不安を持って彼を度々訪れます。イワンはこの時もまた、謎めいたスメルジャコフの言葉に翻弄され苦悩しますが、スメルジャコフの深い苦しみに覆われた胸中も次第に明らかになっていき、ここで二人の関係性も変化します。

 不安がるイワンに対しスメルジャコフは言います。

「どうして、のべつ心配ばかりなさっているんですか?」突然スメルジャコフがじっと見つめたが、その目には軽蔑というより、もはやほとんど嫌悪に近い色が浮かんでいた。

下巻 p.287

 スメルジャコフはイワンを軽蔑どころか嫌悪の目で見ます。さらに
「賢い人がこんな喜劇を自作自演するなんて、物好きなこった!」(同上p.288)と苛立つスメルジャコフ。

 立場が逆転していきます。

 と、実はこの辺り、あまり詳しくお話してしまうとネタバレというか、真相に近づき過ぎてしまって、未読の方の楽しみを減じてしまうかも。
 そこでちょっと中途半端な感じになってしまうかもしれませんが今回は私が気になった二人の会話を少し紹介するだけに留めようと思います。ごめんなさい。

 さて立場が逆転した二人。
 スメルジャコフはイワンの冷徹な知性人の顔に隠れていた本性を暴き立てます。

「あなたはとても賢いお方ですからね。お金が好きだし。わたしにはわかっています。それにとてもプライドが高いから、名誉もお好きだし、女性の美しさをこよなく愛してもいらっしゃる。しかし何にもまして、平和な充ち足りた生活をしたい、そしてだれにも頭を下げたくない、これがいちばんの望みなんです。」

同上 p,314

あなたは大旦那さまそっくりだ。

同上

「大旦那さま」とは父フョードルのことです。彼を軽蔑し嫌悪していたイワンにとってかなりひどい言葉なのですが、言われたイワンはここでようやく「お前はばかじゃないな」(同上)と彼を認めます。

「これまで、お前はばかだと思っていたよ。今のお前は真剣なんだな!」なにかふいに親しい目でスメルジャコフを眺めながら、彼は指摘した。
「あなたが傲慢だから、わたしをばかだと思っていらしたんですよ。

同上

 あくまでもイワンを責めるスメルジャコフ。
 そして最後に二人の感情が激しくぶつかり合います。

「もう一度言っておくが、お前を殺さなかったのは、もっぱら、明日のために必要だからだぞ、それを肝に銘じておけ、忘れるなよ!」
「いいですよ、殺してください。今殺してください」突然、異様な目でイワンを見つめながら、スメルジャコフが異様な口調で言い放った。「それもできないでしょうに」苦々しく笑って、彼は付け加えた。「以前は大胆なお方だったのに、何一つできやしないんだ!」

同上 p.315

 

 スメルジャコフという青年は、おそらく自分の奇妙な生まれを呪い、置かれた境遇を呪い、鬱屈した残虐性を持ち、父かも知れない人と異母兄弟かも知れない兄と弟を蔑み、ほぼ同い年のイワンには強く心惹かれ尊敬し「すべては許される」と考え。

 そして破滅します。

「モスクワか、もっと欲を言えば外国で生活を始めよう、そんな考えもありました。」(同上p.313)とイワンに語り、全てを諦めるスメルジャコフが哀れで。去り際のイワンを呼び止め、あるものを十秒ほど見つめる彼が悲しすぎて。

 スメルジャコフという青年は、誰かを救いたいと思うよりも先に彼自身が救われるべき苦しみを持って生まれてきてしまった人なのかな、と思いました。

 この物語は「兄弟」と志を同じくできなかった青年の悲劇の物語。
 そんなふうに思えて、私は再読するたび悲しくなります。

 彼は親しい女性にこう言っていました。

「わたしはロシア全体を憎んでるんです」

同上 上巻 p.563


 今回はここまでです。 
 読んでくださってありがとうございました。
 
 ネタバレにならないうようにと思ったのですが、中途半端でわかりづらい記事になってしまったかも知れません。ごめんなさい。
 イワンとスメルジャコフの関係はいずれまたネタバレありで詳しく、一つの記事にできたらいいなあと思っています。

 興味を持たれた方はぜひ『カラマーゾフの兄弟』本編を読んでみてくださいね。私がいうのも烏滸がましいですが、すごく面白いですよ!


 さて次回は。

 コンパニオンと言われる女性たち(アガサ・クリスティ再読感想文 その35『火曜クラブ』から「二人の老嬢」)

 クリスティーの物語には時折コンパニオンという仕事をしている女性が登場します。使用人の階級ではないけどお金がなくて働かなければならなかった女性たちの仕事のようなのですが、彼女たちから見えてくものなどを『火曜クラブ』「二人の老嬢」を中心にお話ししたいと思います。

 2026年6月23日公開予定です。
 あ、でも6月はちょっと忙しくて間に合わないかも。
 あるいは先日行われた「創元 初夏のホンまつり2026」のことをお話しするかもしれません。



・山を動かす聖人という興味深い宗教談義についてはこちらから。


・盗まないから正直か否か問題はこちらから


・外見と内面の激しく異なるイワンの話はこちらから。



・子供好きな三兄弟についてはこちらから。



#創作大賞2026

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