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『カラマーゾフの兄弟』を「推理小説」として読む:「財産問題」と「緩めの密室」と「法廷サスペンス」

 アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフは、今からちょうど十三年前、悲劇的な謎の死をとげて当時たいそう有名になった(いや、今でもまだ人々の口にのぼる)この郡の地主、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフの三男であった。

『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー/著  原卓也/訳 新潮文庫 上巻p.15


 物語の冒頭の一文です。

 13年前の「悲劇的な謎の死」。
 それは主人公アレクセイの父の死でした。
 
 これは過去の殺人事件の謎に迫る物語です。



『カラマーゾフの兄弟』
ドストエフスキー/著 、原卓也/訳 新潮文庫


『カラマーゾフの兄弟』の魅力はたくさんあります。

 一癖も二癖もあるカラマーゾフ家の父と兄弟たちをはじめとして、ほんの脇役に至るまで複雑で奥の深い人物造形。
 宗教や哲学に対する鋭い考察と議論。
 父と三兄弟と女性たちの間を錯綜するロマンスとその行方。
 たった三日間の出来事とその二ヶ月後の数日間で描かれる長く濃密な人間ドラマ。

 そして何よりも私の心を捉えたのは、虐げられた人々や辛い境遇の子供達を救いたいという三兄弟の、激しいほど強い救済を希求する思い。

 私にとって『カラマーゾフの兄弟』は、人びとの苦しみに胸を痛め、理不尽に立ち向かうための原動力となる作品です。
 私はこの物語を何度も何度も読みました。
 
 でも、意外と周りに読まれた方が少なくてちょっと寂しいかも?
 でもでも、本当に面白い物語ですよ! とたくさんの人に伝えたいなあ、と思いまして。

 そこで思いついたのがこの物語の推理小説的側面でした。
 推理小説って、事件があって謎があって、犯人は誰? なぜ? どうして? どのように? と疑問が次々と湧いてきて、ついついページをめくってしまうものだと思います。

 実はこの『カラマーゾフの兄弟』。かなり推理小説的な側面を持っています。ですからその辺りをお話しすればきっと、ミステリファンの方なら、いえそうでない方も、ちょっと面白そうだな、読んでも良いかな? と思っていただけるのでは?

 そんな気持ちが今回の記事になりました。

 ただ、文学が好きでドストエフスキーも好きだけれどミステリーは苦手だという方もいらっしゃると思います。もしかしたら著者のファンの方々はこのような記事に眉を顰めるかもしれません。

 けれどミステリーは謎解きやトリックだけでなく、罪を犯す人間心理の闇への深い洞察を描いた作品も多く、それは『カラマーゾフの兄弟』にも当てはまる重要な要素だと思います。
 それに後半はミステリーではないお話もしますので、よかったら最後まで寛大な心持ちで読んでいただけると嬉しいです。

 何よりも本作を未読の方、ミステリー好きな方達が読むきっかけになるような記事になればいいなと思っています。

 それから物語の中では登場人物の呼び方がいくつも変化します。たとえばドミートリイはミーチャ、イワンはワーニカ、アレクセイはアリョーシャなどと呼ばれることも。
 これ、呼びかける人と呼ばれた人の関係やその時の気持ちがわかって面白いのですが、この記事の中では混乱しないようにドミートリイ、イワン、アレクセイで統一してお話しします。

 引用はいつものように新潮文庫原卓也訳の活字が大きい方でお話しします。 

 あ、来週はミステリを読まない人のためのクリスティー、という感じのお話しする予定です。次回もよろしくお願いします。




1 ミステリ的なあらすじ

 公式サイトのあらすじは。

物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。

新潮社公式サイト

 カラマーゾフ家の父と三人の息子と私生児が織りなす「愛憎の地獄図絵」であり「神と人間という根本問題」を扱う名作。

 なのですが。
 難しそうですね。

 でも冒頭の一文からわかるように物語の中心になる出来事は十三年前の『悲劇的な謎の死』です。
 そこで事件とその顛末に焦点を当て、物語の流れを書き出してみますと。


 ① 事件が起こるまでが長いミステリー

 まずは事件が起こるまで。
 物語の始まりは修道院での家族会議。
 カラマーゾフ家の三人の息子はちょうど同じ頃、父のいる町に帰郷しました。そこでお金持ちの父と放蕩息子である長男の間で財産をめぐるいざこざが起こり、それを長老の前で調停しようということに。

 賢い次男は諍いを傍観、見習い修道士の三男は敬愛する長老の体調を気遣い不安を抱きながら見守ります。でも遅れてきた長男は父親に対し怒りにあらわにして、今にも父を殺害しそうな勢い。話し合いになりません。結局物別れになってしまいます。

 実は父のフョードルと長男ドミートリイは財産の問題だけでなくある女性を取り合い、互いを敵視しています。
 そしてその女性が父と結婚してしまったら莫大な遺産は彼女のものになってしまうかもしれなくて。そうなると長男だけでなく次男と三男にも関わる遺産問題に発展しそうで。

 度々父殺しを口にする長男。
 召使いは次男に事件の可能性を怪しく仄めかし。
 見習い修道士の三男は悲劇を恐れ奔走します。

 これは父親の財産をめぐって起こる殺人事件。
 推理小説に時折見かける古典的なスタイルですよね。

 ミステリーの女王と言われるアガサ・クリスティーのデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』も遺産をめぐる一族の殺人事件が中心の物語。刊行は1920年。これが本格長編推理小説の誕生と言われているようです。
 それより40年ほど早くドストエフスキーがこんな作品を描いていたことに驚かされますが。

 推理小説の始まりは1841年、エドガー・アラン・ポーが発表した短編『モルグ街の殺人』あたりというのが定説らしいです。以前も少しお話ししたことのあるウィルキー・コリンズの長編推理小説『月長石』が確か1860年代。そして『カラマーゾフの兄弟』は1879年に連載開始、1880年出版。

 本作は推理小説の黎明期と本格長編推理小説の登場の間に書かれた物語ということになります。
 
 そもそもドストエフスキーは犯罪小説に対する関心が強く、ポーの小説の紹介文も書いていたというお話を何かで読んだ記憶があります。(曖昧ですみません。あとできちんと調べてお話ししたいです。)
 『罪と罰』も主人公の犯罪の物語ですし、『悪霊』も革命家たちの内紛で起こる殺人や、過去の犯罪の影の色濃い物語。推理小説ではないけれど犯罪に関わる人間たちの物語です。
 そして『カラマーゾフの兄弟』は、遺産をめぐる殺人の物語。推理小説要素が前述の2作以上に強まっていると思います。

 
 また本作は「悲劇的な謎の死」が起こるまでがとにかく長いです。
 何かが起こりそうな気配は随所にあるのですが、冒頭で予告された事件はなかなか起こりません。その分、事件に関わる人たちのドラマが濃密に描かれます。
 事件が起こるまでが長く、そこに至るまでの複雑な人間ドラマが面白く描かれた推理小説、と考えることもできるかもしれません。

 これも私はアガサ・クリスティーの長編推理小説を思い出しました。
 『ナイルに死す』など、クリスティーのミステリーはしばしば事件が起こるまでが長く、そこに至るまでに複雑で興味深い人間ドラマが描かれる構成をとっています。
 読者は事件を予感しつつ、じっくりと人間ドラマを楽しむことになります。


 ② 緩めの密室殺人?

 そして物語の半分が過ぎた頃。
 事件に向けて皆が動き出します。この辺り、それぞれの人物に同時に起こる出来事を並列して描くので物語のスピード感がぐんと増してきて。

 父は長男を恐れ、毎夜、部屋に籠っています。
 でも思い人の女性が訪ねてくるかもしれないと秘密の合図を召使に教えておきました。封筒に入れた大金のプレゼントまで用意して。

 でもその秘密の合図も封筒の隠し場所も召使の口から長男へ伝わってしまいます。

 運命の日、次男は何かを思いモスクワへ発ち。
 三男は長老の葬儀のため修道院へ。
 召使は持病のてんかんの発作を起こし寝込んでしまい。

 そして事件が起こります。
 封筒は破り捨てられ、お金はなくなり、父の無惨な姿が。
 すぐに長男が逮捕されますが、彼は犯行を否定します。

 ここまでが物語の3分の2。新潮文庫の中巻の終わりになります。

 でもここで立ち止まって考えて見ると。

 この事件がもし長男の主張するように、彼が犯人でないのなら。
 真犯人はどうやって父の部屋に入ったのか?
 
 父フョードルの部屋には秘密の合図を知る者だけしか扉を開けることはできません。
 これってやや緩めの密室になっているのでは?
 秘密の合図というのも推理小説に時折見かけるモチーフですよね。


 ③ 法廷サスペンス

 そして物語の3分の2が過ぎて、新潮文庫の下巻からは。
 長男逮捕の二ヶ月ほど後、その数日間とエピローグが語られます。
  
 モスクワから帰ってきた次男は病に伏していた召使の話を聞いて兄の有罪を確信、密かに長男を逃す計画を立てますが、修道院から出た三男は長男の無罪を信じて裁判を待ちます。

 裁判が始まる前に読者は真相を知ってしまうのですが。

 舞台はいよいよ法廷へ。
 ほぼ有罪に思われた被告を都会からやってきた有能弁護士は果たして無罪にできるのか、という法廷サスペンスになります。


 遺産をめぐる殺人と、ややゆるい?密室と、法廷サスペンス。
 こんなにも推理小説の要素が詰め込まれた作品。

 もし『カラマーゾフの兄弟』が現在発表されたら重厚な人間ドラマのミステリーと分類されるかもしれないと思うのですが、どうでしょう?



2 ミステリ的登場人物紹介

 それでは事件に関わる主要登場人物をご紹介しますね。
 まずは被害者である父フョードルから。

 ① 被害者 父フョードル(莫大な資産と女性問題)

 公式サイトのあらすじでは父フョードルは「物欲の権化」です。
 成り上がりの地主で、お金と女性に貪欲で品がなく嫌味で、道化を演じたり不快な嘘をついて面白がる老人。
 というとかなり困った老人ですが、私は彼をかなり賢くて哀れな興味深い人物だと思います。

 それはともかく、フョードルは長男ドミートリイと財産問題で揉めている最中で、同時にアグラフェーナという女性を巡って対立しています。
 彼は事件当夜、長男ドミートリイを恐れ家に籠り、想いを寄せる女性アグラフェーナの来訪を心待ちにして大金を用意していました。
 がそれがアダに?
 


 次に容疑者リストです。
 公式サイトのあらすじに名前がある人たちは皆、容疑者と考えていいかもしれません。

 ② 容疑者その1 長男ドミートリイ(犯行可能で動機も十分)

 長男ドミートリーは「放蕩無頼な情熱漢」(公式サイトのあらすじ)ですが。
 
 彼は父に自分の財産を騙し取られたと思って恨んでいて、なんとか取り戻したいと考えます。
 またカテリーナという婚約者がいるのですが、彼女と別れアグラフェーナと一緒になりたいと思っています。でも彼はカテリーナに大金を借りたままなので、それを返してスッキリと別れたい。そこでなるべく早くお金が欲しいとも思っています。何よりアグラフェーナを父親に渡すわけには行かなくて。

 動機がいくつもありますね。

 ③ 容疑者その2 次男イワン(理論上の犯罪肯定派?)

 次男イワンは「冷徹な知性人」(同上)と言われていますが実は情熱的なロマンチストだと私は思っています。それは以前の記事で書いているのでそちらを読んでいただけると嬉しいです。

 それはともかく。
 イワンは高い知性を持っていて世間に一目置かれ独立しています。でももし今父とアグラフェーナが結婚してしまったら、父の死後手に入るはずだった莫大な遺産が彼女に奪われてしまいそうなので、そうなる前に父を・・と考えるかも?

 また、ドミートリイの婚約者カテリーナに想いを寄せている様子。
 アグラフェーナとドミートリイが仲良くなればイワンにとって都合が良くて、その点でも父の存在が邪魔になります。

 彼も動機は十分かも。

 そして何よりも彼は「不死がなければ、善もない」と言っていたとかいないとか。(この言葉、いつの間にか「全ては許される」などと独り歩きをしてしまいます。イワンの考えはもっと複雑なのですが。その辺も以前の記事でお話ししているのでぜひ)

 理論家の思想的な犯行?
 
 彼は自分でも理由がわからないまま、夜になると父の気配を窺っていたり、それを思い出して苦しくなったり、なんて怪しい場面もあったりします。

 ④ 容疑者その3 召使いスメルジャコフ(父への恨みと事情通)

 「フョードルの私生児と噂される」(同上)スメルジャコフですが、にもかかわらず、彼はカラマーゾフ家の召使をすることに。
 そんな境遇に父を恨んでいるかもしれません。

 逆に彼はある事件がきっかけでフョードルから絶大な信頼を得ているので、お金の入った封筒の隠し場所や秘密の合図を知っています。犯行を可能にする情報を持っています。
 またドミートリイに脅されて全て教えてしまったことをイワンに嘆くのですが、曖昧な裏のある言い方で不誠実な態度にイワンは苛立ちます。

 なんだか不穏な人物です。
 

 ⑤ ダークホース? 三男アレクセイ(敬虔なリアリスト?)

 三男アレクセイは「敬虔な修道者」(同上)。
 ゾシマ長老という人物を敬愛して見習い修道士になった彼は誠実で誰にでも優しく、皆からも愛される存在。

 でも実は彼、かなりのリアリスト。
 物語の最初の方で語り手の「わたし」もこう言ってます。

だが、わたしには、アリョーシャはだれにもまして現実主義者だったような気がする。

『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー/著  原卓也/訳 新潮文庫 上巻 p.58

 アリョーシャはアレクセイのことです。
 そして彼もイワンと同様、父がアグラフェーナと結婚すれば遺産は手に入りません。
 ないとは言えないかも?

 

 それから三兄弟に複雑に関わってくる女性たちがいるのですが、その存在が愛情ゆえの犯罪の可能性も仄めかします。彼女たちは重要な証人と言えるかも。

 ⑥ 証人の女性たち その1 アグラフェーナ(父と長男の狭間で)

 父と息子を同時に惑わせた悪女。
 ではなく、かなり賢く、商才もあって、独立した女性だと私は思っています。長老を亡くしたアレクセイを憐れむ優しい面や、昔振られた男性を今も思っている悲しい面も。
 
 悲しい過去から立ち上がった彼女はすっかりしたたかになり、父と長男の対立の原因になるのですが。

 突然彼女の想い人が帰ってきたという知らせが。彼女はドミートリイに許しを乞う伝言をアレクセイに残し恋人の元へ。

 それを知ったドミートリイは?
 

 ⑦ 証人の女性たち その2 カテリーナ(長男と次男の狭間で)

 気位の高い女性ですが、父親の危機をドミートリイに助けられ、彼の婚約者になりました。その後色々あって、彼女はドミートリイにわざと大金を預けますが、ドミートリイはそれをアグラフェーナのために使ってしまいます。ドミートリイはあくまでも借りたものだとしてなんとかお金を返してカテリーナと別れ、アグラフェーナと一緒になろうと考えていますが。
 カテリーナもその辺をわかっていてアグラフェーナと二人で話をつけようとしたり、と、ドミートリイを愛している様子を見せるのですが。

 でも同時に彼女はイワンを愛しているのではと思われる行動も。長男と次男の間で複雑な「愛憎劇」が起きています。

 事件後、法廷でも重要な証言をすることに。


 ⑧ 証人の女性たち その3 リーザ(三男と次男の狭間で?)

 見習い修道士アレクセイには幼馴染の恋人リーザがいます。いずれ結婚するつもりで、彼らの幼い恋は微笑ましいのですが。

 彼女になぜかイワンの影が?
 というのは事件後のことなのですが、もしかしたらドストエフスキーが想定していた13年後の物語の布石かもしれません。


 それぞれの想いが錯綜して、もう、いつ誰が何を起こしても不思議ではない、緊迫した空気が漂います。
 そして運命のその日。
 イワンはモスクワへと旅立ち屋敷は留守に。
 アレクセイは敬愛する長老を亡くし修道院に籠り。
 スメルジャコフは持病のてんかんの発作を起こし病の床に。
 そして昔の恋人の元へ走るアグラフェーナを追うドミートリイは、なぜか血まみれで馬車を走らせて。

 事件発生?
 その真相は?


3 叙述のお話も少し

 必ずしもミステリー的な要素とは言えないかもしれませんが叙述のことも少しばかりお話ししたいと思います。

 この物語は13年前の事件を「私」が語るという構造になっています。
 本編の始まる前に「作者の言葉」があって「私」はなぜこんなにつまらない人物を主人公にしてしまったのかと言い訳したり、13年後が本当に語りたい物語なのだと言って続きを暗示したり。

 つまり「悲劇的な謎の死」の事件はすっかり終わっていて、「私」は当時の出来事を思い出し俯瞰して語っているということに。ちょっと不思議ないわゆる神の視点になります。そのため「私」という一人称を取りながら三人称小説のように事件を語ることに。

 「わたし」は事件や関係者たちのことを一人称的に見てその都度感想を述べたり、にもかかわらず三人称的視点で全ての登場人物の動向を把握しています。

 また後述しますが事件が起こる前にゾシマ長老の過去話が入るのですが、これは「長老の死後しばらくして」(中巻p.61)アレクセイが記念に書き残したものだと「わたし」は語ります。

 つまり「わたし」による手記の中の「アレクセイ」による手記(というか伝記?)。そんな二重構造に何か意味があるのかと訝ってしまいますが、叙述的に面白いです。


 これらの叙述法の工夫から、私はまたクリスティーを思い出しました。
 例えば叙述トリックの傑作『アクロイド殺し』は全編が事件に関わった医師の手記になっていますし、中期の傑作『五匹の子豚』ではなんと五人の手による5つの手記でつながる章に三つの手紙も含まれていたり。
 小説という文章による媒体の推理の物語では叙述法もトリックの重要な要素。
 『カラマーゾフの兄弟』の叙述法に込められた意味を考えるのも楽しいと思います。

 またなぜ13年後なのか?
 「私」とは誰なのか?

 そんなことも考えると面白いと思います。
 


4 ミステリーとして楽しむ時にきっとぶつかる壁

 さて「悲劇的謎の死」にまつわる部分を取り出すと、この物語はかなりミステリーだと思うのですが。
 もちろん『カラマーゾフの兄弟』はそれ以外の要素がたくさんあります。
 宗教や哲学的洞察と議論、奥の深い人物造形、複雑な人間関係等、むしろそちらが本筋の要素で、どれも面白いのですが。

 でもミステリとして読む場合、それらは読み進める時の壁になってしまうかもしれません。いえたぶんかなり大きな壁になります。
 そこで先に知っておくと読みやすいかも? と思ったので、主だった壁についてお話ししますね。

 ① 冒頭の「家族の歴史」 (長すぎる家族史)

 まず始まりは『第一部 第一編 ある家族の歴史』。
 父フョードルの若い頃から始まるカラマーゾフ家の家族史みたいなものが文庫本にして60ページほど続きます。長い。
 フョードルが地主に成り上がり、二度の結婚と別れ、三人の子供と詳細な生い立ち、親族関係等。

 フョードルと結婚した一人目の女性が意外と強気で思い込みの激しい人だったり、二人目の女性が儚げで神がかり的な人だったり、とか、それぞれの実家や今も続く親戚関係が面白かったり、などといろいろ興味深いエピソードがあるのですが、事件までは遥かに遠いです。


 ② さらに長い宗教談義 (国家が教会に? 教会が国家に?)

 続く「第二編 場違いな会合」は修道院が舞台。父フョードルと長男ドミートリイの諍いを長老の前で調停しようとする場面になりますが、ドミートリイはなかなか姿を見せなくて。

 その間にフョードルが道化たり、たまたま居合わせた田舎地主を大いに揶揄ったり。フョードルの最初の妻の従兄弟のミウーソフも同席していたのですが、彼も、さらには修道士たちや修道院までも揶揄したり。
 それから知識人を気取るミウーソフと修道士たちとイワンの間で、国家が教会になるべきか、教会が国家になるべきか、などと宗教談義が始まって。
 そばに控えるアレクセイは敬愛するゾシマ長老の体調が心配で落ち着きません。

 途中、ゾシマ長老が席を外し、長老を訪れる信者たちと面会に応じたり、その中で特別待遇の女性が「信仰の薄い貴婦人」であることを告白したり、その女性はアレクセイの幼馴染のリーザのお母さんだったり、その横でリーザがアレクセイを揶揄ったり、そのせいでアレクセイがドギマギして頬を染めたり、なんてエピソードも入って。

 第二編も文庫で100ページ以上あります。フョードルの道化た態度も宗教談義も信仰の薄い貴婦人も面白いのですがかなり長いです。

 その後ようやくやってきたドミートリイとフョードルの間で激しい言い争いが起こり、長男は父に向かって「こんな男がなぜ生きているんだ!」(上巻p.178)などと口にし、その後の悲劇が仄めかされますが。
 まだまだ事件は起こりません。


 ③ 家でも宗教談義? (聖人が一人か二人)

 その後カラマーゾフ家のお屋敷に帰ったフョードルとイワン。スメルジャコフや老僕グレゴーリイも加わり、殉教した聖人の話になったところでアレクセイもやってきます。

 突然饒舌になってグレゴーリイを揶揄するスメルジャコフや、それを面白がるフョードルと、皮肉な目で見ているイワンと。
 山を動かす聖人が世界に一人か二人はいるかもしれないという話も興味深く、スメルジャコフとイワンの関係、フョードルの意外な一面などこの辺りもなかなか面白いのですが、やはり長いです。

 その後ドミートリイがやってきてひと暴れしてフョードルは大怪我をして、事件が起こりそうな不安を撒き散らして帰ります。

 が、事件はまだ。
 

 ④ アレクセイのおつかい。 貧しい家族のエピソード

 アレクセイがカテリーナにお遣いを頼まれますが、アレクセイが出かける前にカテリーナとアグラフェーナの対決があったりします。二人の女性の互いに対する感情が露わになって。バチバチです。

 お遣いというのは、ドミートリイに暴力を振るわれて侮辱された二等大尉へ婚約者のカテリーナからのお詫びのお金を持っていく、というものでした。アレクセイは謝罪に向かいます。

 途中、いじめられていた子供を助けると逆に手を噛まれるという不思議な出来事があったり、その子供が二等大尉の子供だとわかったり、彼らの貧しい様子やお詫びのお金の顛末などやや長めのエピソードが入ります。

 お遣いの帰りにリーザのところに寄って二等大尉を批評するリアリスト振りを発揮したり、恋心を囁いたり、と見習い修道士らしからぬアレクセイも描かれてこの辺りも面白いのですが、やはり長い。

 事件はまだまだ。


 ⑤ プロとコントラ (さくらんぼのジャムと粘っこい若葉と『大審問官』)

 本当はゾシマ長老の病状が心配でなるべく早く僧院に帰りたいアレクセイ。でも「避けられぬ恐ろしい悲劇」(上巻p.557)が起こりかねない、と心配になりドミートリイを探しに行きます。その途中で「ギターを持ったスメルジャコフ」に会うことに。
(これ、「第五編 プロとコントラ」の二の章題ですが、ドストエフスキーって章題の付け方にはとてもユーモアがあって私は好きです。極め付けは「官吏ペルホーチン出世の糸口」。読んでいると何事? となって楽しいです。それは以前の記事に書きましたのでぜひ。)

 イワンがドミートリイを呼び出したとスメルジャコフから聞き、アレクセイは待ち合わせ場所の居酒屋へ。ドミートリイはいなかったのですが、その後、イワンとアレクセイの親しい会話と、イワンがアレクセイに語る有名な『大審問官』のくだりへ。

 若い二人、兄と弟の親しげな会話に心和み(さくらんぼのジャムのエピソードが好きです。)、イワンの《春先に萌え出る粘っこい若葉》(訳註に「プーシキンの詩『まだ冷たい風が吹く』から」とありました)(同上p.577)の情熱が胸を打ち、イワンの作った叙事詩『大審問官』からイワンの興味深い宗教観や情熱や苦しみに心痛める場面ですが、叙事詩が丸々掲載されていたり、とやはり長いです。

 そしてこの後イワンと別れたのち、イワンとの会話の衝撃に震える心を安らげるためにアレクセイは僧院に戻ってしまいます。

 この場面の終わり。
 アレクセイがドミートリイのことをすっかり忘れてしまっていたことを「その後、一生の間に何度か彼は」「実にいぶかしい気持ちで思い起こしたものだった。」(同上p.667)と神視点の語りが入り、不穏な空気を漂わせるのですが・・。
(ここで先ほどお話しした叙述法の効果が出てますね。)

 ⑥ ゾシマ長老の過去話、からの葬儀 (アレクセイの魂の揺らぎと一本のねぎとガラリヤのカナの婚礼)

 物語の半分に至る前、新潮文庫中巻前半にはゾシマ長老の過去のお話が入ります。長老の過去編です。前述しましたがこの部分はアレクセイが長老の話を聞いて書き留めたもの、となっていて構造的に面白いのですが、やはり長い。

 その後ゾシマ長老が亡くなって修道院の心無い騒動やアレクセイの動揺、アグラフェーナの思いも寄らない善良さ(一本のネギの逸話が入ります)、パイーシイ神父の福音書の朗読(ガラリヤのカナの婚礼です)からのアレクセイの夢など、この辺りもとても面白いと思うのですが、ミステリーの先を知りたい場合はやはり大きな壁になりそう。


 でもこうしてたくさんの壁を乗り越えた先にようやく。
 物語が半分ほど過ぎて、ドミートリイがアグラフェーナを追うあたりから物語のスピードが一気に上がり読むスピードもきっと上がって。
 事件の二ヶ月後、アレクセイと子供達のエピソードを乗り越えれば、驚くべき真相と法廷サスペンスが待っています。

 後半はきっと、ミステリファンは一気に読んでしまうのと思います。
 たぶん。


5 再読のススメ

 この物語をもしもミステリとして楽しく読んでいただいたら。
 ぜひ再読をお勧めしたい。

 何度も言ってしまいますが本作はミステリ的側面以外のたくさんの魅力のあって、多分そちらが本筋で、ドストエフスキーの本領が存分に発揮されていて本当に面白いです。
 それを味わうことなく終えるのは勿体無いと思って。

 ですから事件の真相を知りたくて一気に読み、その後、もう一度最初に戻ってみると。

 すでに一読したならばカラマーゾフの面々にすっかり馴染んでいるはずなので冒頭の長い家族史はけっこう面白く感じるかもしれません。
 そういえばドミートリイもイワンもアレクセイも、子供の頃はこんな感じだったんだなあとしみじみしたり、ドミートリイは一人目の女性の子供だけど、イワンとアレクセイは二人目の女性の子供で、その違いが何か象徴するのかな、なんて考えたりするかも?

 場違いな会合では、道化を演じるフョードルの賢さ、悲しさ、それを指摘するゾシマ長老の鋭さ、イワンの思いも寄らない素直さに驚いたり、修道士たちのそれぞれの違いにも気づくことができるかも。

 家族の宗教談義には、スメルジャコフの痛々しさやフョードルの意外な一面を垣間見て。
 哀れな二等大尉の中に崇高な父親像を見つけて。
 アレクセイとイワンが互いを思いやる暖かさとイワンの激しく若い情熱と「大審問官」に隠されたイワンの魂の叫びのような苦しみにさらに深く胸を痛め。
 過去話にあのゾシマ長老が実はこんな、と改めて驚き、彼の葬儀の成り行きの皮肉と、それが象徴するものを『大審問官』に重ねて考察したり。
 そして大地に伏せるアレクセイに心震える。

 のではないかな? と思います。

 そして登場人物たちの、あらすじでは語りきれない相反する複雑で奥深いそれぞれの性格が、再読するごとにさらに詳しく見えてきて。

 何よりも三兄弟の、虐げられた人々を救済したいという強い気持ちに心を動かされます。きっと。

 というか私はそうでした。

 初読でアレクセイの奇妙な性格に興味を惹かれ。
 その後再読してドミートリイの嘆きに、イワンの情熱と苦悩に、スメルジャコフの痛みに胸を打たれ。
 さらに再読して信仰の薄い貴婦人の滑稽さにニヤリとして、二等大尉親子に涙して、官吏ペルホーチンと見習い修道士ラキーチンの対比を興味深く考え、「たまたま居合わせた田舎地主」の意外な結末におどろき、愛すべき小さな脇役たちの物語を楽しみました。
 三人の女性たちの意外な一面もなかなか面白くて。

 その辺りは以前の記事でお話ししているので読んでいただけると嬉しいです。

 私は『カラマーゾフの兄弟』を再読するたび新しい魅力を見つけてしまいます。実は最近また再読して「一人福音書を読み続けるパイーシイ神父」が好きになりました。


6 いずれ語りたい犯人のこと。

 最後にもう一つだけ。
 この物語をミステリーとして読むならば犯人の人物造形が気になるところだと思います。

 なぜその人は罪を犯したのか。
 どんな人間だったのか。
 そこには複雑な生い立ちや境遇、鬱屈した思いと、犯行に至る複雑な経緯があって。意図しない偶然もあって。
 
 もしもその出会いがなかったらきっと・・・。

 と、私は読み返すたびに切なくなります。

 ドストエフスキーが描く、罪を犯す人間の愚かさ恐ろしさと哀れさ。
 いつまでも心に残る切ない犯人。
 いつか詳しくお話ししたいと思っています。

 あ、でもミステリとしてと考えるとネタバレになってしまいますね。
 どうしようかな。


 この物語の終わりは。
 真相が語られ、法廷で判決が下ったのち、さらに最後に長いエピローグが残されています。

 三兄弟のそれぞれの結末とこれから。
 そして小さなお葬式。
 アレクセイが子供たちに向かって語る長い演説。
 それは子供たちの将来を思う、力強く熱い演説です。

 事件の結末が三男アレクセイと彼に関わった子供達に何をもたらしたのか。
 それは書かれなかった13年後の物語でわかったのかもしれませんが、もう今はそれを知る術はありません。

 でも父の死の事件とそこに関わる人たちの顛末は、人々の救済を願う三兄弟それぞれに大きな変化をもたらします。
 長男ドミートリイは到底その重荷を引き受けることはできないと苦しみ、次男イワンは追い詰められ心を病んでしまいます。

 ただ三男アレクセイは事件の起こったちょうどその頃、一つの答えを見つけます。

 それは彼の敬愛するゾシマ長老が亡くなったあとのことでした。その死を悼むどころか修道院の内外で、酷い中傷や不敬な騒ぎが起こります。その悲しみのなか、アレクセイは美しい夢を見ます。それはゾシマ長老からの啓示のような夢。そして目覚めて彼は思います。

彼はすべてに対してあらゆる人を赦したいと思い、自らも赦しを乞いたかった。ああ、だがそれは自分のためにではなく、あらゆる人、すべてのもの、いっさいのことに対して赦しを乞うのだ。『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』

中巻 p.248

 『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』

 自分のことは祈らなくて良い。
 なぜなら他者が祈ってくれるから。
 そこにあるのは見知らぬ他者への強い信頼。

 私はこんなふうに他者を信じる言葉を他に知りません。 
 この言葉を読むたびに私は希望を感じるのです。

 どうかこの言葉がたくさんの人に届きますように。




 今回はここまでです。
 読んでくださってありがとうございました。

 父と三兄弟とスメルジャコフ、脇役たちや宗教談義等、それぞれ独立して記事にしたものをまとめてあります。気になった記事だけでもぜひ、読んでいただけると嬉しいです。


 次回は逆の発想で、クリスティーの推理小説を物語として読む、というお話しをしようと思っています。
 隔週ではなく、8月は毎週火曜日公開予定です。


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