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No.6 中原中也と三好達治 そして漢詩

現代国語の教科書

高校生の時、確か2年生でした。
現代国語の教科書に中原中也の「一つのメルヘン」、三好達治の「春の岬」「雪」が掲載されていました。
三好達治の詩はこの2編のほかに「乳母車」と「甃のうへ」も掲載されていたと思いますが、特にこの3編の詩との出会いが、のちの私を形づくるうえで大きな役割を果たしてくれました。

小学生になり、文字を覚え、文章を書き始めた頃から、私は読書と創作が好きな、空想の中で遊んでいる子どもでした。
五七調の定型詩や自由詩、物語などを気ままに書き始めたのは中学生の頃だったと思いますが、はっきりと「詩を書きたい」と思ったのは、高校時代に出会った中原中也と三好達治に依るところが大きいと思います。

「一つのメルヘン」「春の岬」「雪」
どれも短い詩です。
高校生の頃は直感的でした。
「一つのメルヘン」は、なんて美しい詩なのだろう、まさにメルヘン!
そして、なんて淡く、淋しいんだろう、純粋とはこのことなんだろうか、と感じました。
「春の岬」は、野の花が咲く春の岬で、ひとり、膝を抱え、海の上をゆっくりと舞うように飛ぶ白い鷗を見ている青年が画像として浮かび上がりました。春という明るい季節でありながら、詩に漂う寂しさ、得体のしれないやるせなさに不思議な感情を抱きました。
「雪」は逆に、モノトーンの静けさの中、穏やかに眠る二人の男の子が思い浮かび、安らぎと温かさを感じました。

この3編から、詩は説明ではない。
詩は、多くを語らず、語る以上に豊かな情景や心情をイメージさせなければならない。
そして、詩にはそれができる。
そのことを学びました。

漢文の魅力

高校時代は、現代国語の他にも古典・漢文を学びます。
古典、特に源氏物語では文法や敬語、主語の省略など、内容の前に覚えなければならない文法でつまづいてしまいましたが、漢文は覚えなければならない文法のルールが少ない上に、音読したときの漢文ならではのリズムや誇張表現、緊張感が楽しく、好きな教材でした。

「鴻門の会」 と 「四面楚歌」

特に項羽と劉邦が登場する史記で、「鴻門の会」と「四面楚歌」の場面には心を強く惹かれました。
 
頭髪上指目眥尽裂
これは「鴻門の会」に出てくる一文で、
「とうはつじょうしし もくしことごとくさけ」と読みます。
(怒りで)髪の毛は逆立ち、まなじりはことごとく裂けている という意味ですが、この表現から当該人物の怒りが尋常ではないことが手に取るように読み取れます。

「四面楚歌」では、項羽が死を覚悟し、愛姫である虞美人を歌う悲哀に溢れた場面に心を打たれ、何度も音読し、暗記しました。

力 抜 山 兮 気 蓋 世
時 不 利 兮 騅 不 逝
騅 不 逝 兮 可 奈 何
虞 兮 虞 兮 奈 若 何

力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う
時に利あらず 騅(すい)逝(ゆ)かず
騅 逝かざるを奈何(いかん)すべき
虞(ぐ)や虞や若(なんぢ)を奈何せん

雄大な惜別の詩

また、漢詩では李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」に一目惚れしました。
スケールの雄大さ、もう二度と会うことが叶わないかもしれない友を見送る心情を、雄大な景色に投影して美しく歌い上げたこの詩は、出会ってから50年以上を経た現在も諳んじることができます。

黄鶴楼送孟浩然之広陵
故 人 西 辞 黄 鶴 楼
煙 花 三 月 下 揚 州
孤 帆 遠 影 碧 空 尽
惟 見 長 江 天 際 流

黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然(もうこうねん)の
広陵(こうりょう)に之(ゆ)くを送る

故人(こじん)西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し
煙花(えんか)三月 揚州に 下る
孤帆(こはん)の遠影(えんえい)碧空(へきくう)に尽(つ

惟(ただ)見る長江(ちょうこう)の天際(てんさい)に流るるを

視覚と聴覚で味わう

このnoteを書くにあたり、取り上げた詩や漢文を読み直し、気づいたことがありました。
それは、印刷された文字のまとまりが美しいと感たことでした。

心に残る詩は、声に出して読んだときに違和感なく、響きが美しいのはもちろんですが、吟味された漢字や仮名が使われ、バランスよく並び、まとまりになっているから見た目にも美しい。
視覚と聴覚の両方で味わえる。
これはきっと詩に限らず、どんな文章表現でも同じだと思います。

長年携わってきた仕事の中で、人が書いた文章を校正し書き直したり、自分でも文章を書いたりしてきましたが、言葉を選び、語順を考えて人に伝える工夫は、詩や俳句・短歌の創作にを少しでもかかわってきたことが役に立っているのかもしれない、そんなことも思います。

もちろん、仕事に役立てるために創作をしてきたわけではありませんが……

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