セクシュアリティとわたし〜虹色とかグラデーションとか
今月はプライド月間ということで、私もまたあらためてセクシュアリティについて考えてみる。
私はしばしばnoteの場でセクシュアリティに言及する。
なぜこんなにこだわるのか。
いつも読んでくださる人のなかには理解できない人も多いかもしれない。
性の問題は、日常から少し距離を置かれがちだから。日中、日の当たるところで話されにくいと思われているし、話したら相手も困ってしまう。
苦手な人はここで引き返してくださいね。
世の中に性的なことがらに関心が強い人と弱い人がいるならば、私は少し強い方なのかもしれない。
一方で私の育った家庭は「厳格」だったので、子どものころ、性にかかわるものはないものとしてふるまわなければならなかった。月経でさえも。
このあたりに、自己矛盾が生じていたのかもしれない。
もし小さな頃からセクシュアリティについて考えるのが当たり前の世界だったら。
恥ずかしいとか人前で話すのはみっともないとか隠すべきものだという世界ではなく、もっと性が身近な世界だったら。
もう少し自分は違っていて、もっと自由だったかもしれないと、時々思う。
男性への嫌悪感があって、男性に対してどう振る舞っていいか分からなかったこと(それについてはここに書いた)。
高校生の時に女の子の同級生に「かわいいね」と言われてほおを撫でられたときの、あの胸のざわめき。
女子だけの部活の同級生に、友達以上の思いを抱いたこと。
大学の同級生であり、いまは親友でもある友達が、別の女友達と性的な関係を持ち、私も大事な友達とそうありたいと少し願ったこと。
小学生の時に本屋で女性のヌードを見て、ちょっと、いや、かなり「変な気持ち」になったこと。
あれやこれやを思うと、私の中に、同性を好きになる要素は十分にあることに気づく。
ただ、その決定的な出会いがなかったにすぎないし、異性にも惹かれる部分があったから、いま、自分が産んだ子どもがそばにいるにすぎない。
なにが言いたいかといえば、性指向の対象にグラデーションがあるというのが、自分にも当てはまると、それを最近気づいたのだ。
もちろん同性に対してしか、もしくは異性に対してしか性的・恋愛的関心がない人もいる。
または私がそうであるように、異性への違和感を抱き続けながら、信頼する異性との間に子を授かることだってある。
異性とか同性とか、その間のあいまいなグラデーションのなかにいる人は、考えているよりもたくさんいるかもしれない。
そんな単純なことに、ようやく気づく。
だからこそのレインボーカラーなのか?
色の境目がぼんやりして見えない、虹って、そういうものだから。
であれば。
カテゴライズというものの無意味さを実感できる。
いまはまだ多様性が当たり前にある世の中ではないから、カテゴライズによって守られることもあると思うし、カテゴライズしなければ守られないほどに、長い間の差別とか、存在をなかったことにされてしまっていたひとたちや闘ってきたひとたちがいた、いまもいるということに、向き合わないといけないのだと思う。
ほんの数年前まで、私は同性愛とトランスジェンダーの違いもわかっていなかったし、混同していた。
セクシュアリティのことは関心がありながらも足を踏み入れてはいけない領域だとも思っていた。
自分もグラデーションのなかにいると思わずに。
他人事だったのだ。
テレビでおすぎとピーコが変わった毛色のタレントとして出ていて、とんねるずの番組では保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)が出ていて笑っていた子ども時代。
その同じ時代に、アメリカではマドンナが「同性を愛するのと異性を愛するのに何が違うの」と、いまでいうLGBTQ+のひとびとの側で同性愛とHIV・エイズへの偏見や差別に立ち向かい、以来今に至るまでずっと闘い続けていることを、私はまったく知らなかった。
マドンナを知る人はみんな知っているだろうそのことを、私は昨日、フォローさせてもらっているしろくまさんの記事をきっかけにはじめて知った。
実のところ、noteを始めるまで本当のところでは理解できていなかったし、目の中に丸太があるのに気づかないほど、わかっていなかった。
差別とは、なんだろう。
知らないことからくる違和感、恐怖心や不安、それを(どんな属性であれ)マジョリティの側からぶつけることかもしれず。
知らないということ、知ろうとしないことも、その一端を担っている。
そのことには絶えず敏感でありたいと思う。
思いながらも、たぶんこれからもまた間違う。
でも間違ってもいい、気づくのが大事だ。
実は、いろいろな事象はまったく他人事ではない、自分のことなのだ。
こんないい年になって気づくことがまだたくさんあって恥ずかしいけれど、気づいてよかったのではないか。
私のnoteはうねりながら生きているので、またいろいろな出会いや経験を経て変化したり成長していくのだろうと思う。
また来年、あらたに発見したことを書いているかもしれない。
それもまた、悪くはない。
いまは、レインボーの意味、そこに自分が含まれているということ、そしてLGBTQ+は他人事ではないということに、気づかせてくれたすべての人に感謝。
プライド月間に寄せて。
2026.6.9 ゆる
しろくまさんの記事はこちら(勝手にご紹介、すみません)
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