〜ペアの絆〜 陸軍高校へ転校してしまう親友のためにとった陽菜の決断
今回のお話は、こちら作品で登場した、娘を主人公とした番外編です。
読んだことない方も楽しめる作品ですが、まだご購読されてない方は、是非一度ご購読をオススメします。
第1章:最高のペア
あの日、母・麻里奈が戦場から帰還して、はや五年が過ぎた。
大島家の庭にある桜は、今年も見事な花を咲かせている。
玄関の鏡に映る母の姿は、あの痛々しいほどに青白かった坊主頭が嘘のように、今は艶やかな黒髪が肩を優しく覆っている。
平日の朝。キッチンからは、圭介が手際よく焼くベーコンの小気味よい音と、炊きたてのご飯の香りが漂っていた。
「陽菜、しっかり食べなさい。今日は朝練があるんだろ?」
「わかってるって、パパ!」
制服に袖を通した陽菜は、少し急ぎ足で椅子に座り、熱々の汁物を口に運んだ。
その横では、麻里奈が仕事へ行く準備を整えながら、娘のラケットバッグの中身をチェックしている。
「陽菜、グリップテープの予備は持った? 昨日の夜、少し剥がれかけてたわよ」
「あ、忘れてた! ママ、ありがとう。……ねえ、昨日の夜に話したバックハンドのコツ、もう一回だけ教えて」
「もう、朝から熱心ね。いい? 肘を支点にするんじゃなくて、肩からの連動を意識するの。……はい、これ予備のテープ」
麻里奈は微笑みながら、娘の短いボブヘアを優しく撫でた。
かつて自分が戦場へ行く前に見た、あの泣きじゃくっていた幼い陽菜。
今、目の前にいるのは、目標に向かって真っ直ぐな瞳を輝かせる一人の部活少女だ。

「よし、完食! パパ、ごちそうさま。ママ、行ってくるね!」
「ああ、車に気をつけるんだぞ。美来ちゃんによろしくな」
「忘れ物はない? 頑張ってきなさい」
陽菜は大きなラケットバッグを背負うと、玄関へ駆け出した。
「行ってきまーす!」
勢いよく開けられたドアから、春の爽やかな風が入り込む。
麻里奈と圭介は、朝の光の中を駆けていく娘の背中を、眩しそうに見送った。
失われた五年間を埋めるように、この何気ない平日の朝が、今の大島家には一番の宝物だった。
そんな彼女がいま、寝食を忘れるほどに打ち込んでいるもの――それがバドミントンだ。

「ナイスショット、陽菜!」
体育館に鋭い快音が響き渡る。
シャトルを鮮やかに打ち抜いた陽菜は、流れる汗を拭い、ペアを組む親友・加藤美来とハイタッチを交わした。
陽菜は、麻里奈が学生時代バトミントンをしていたことも影響して、中学の部活動で始めた。
以来、陽菜の才能は一気に開花した。
地道な練習を厭わないその性格は、かつて逆境を生き抜いた母譲りなのかもしれない。
メキメキと頭角を現した彼女は、中学三年の時には県大会出場を果たすまでになっていた。
高校は、県内でも屈指の強豪校へ進学。
そこで運命的な出会いを果たしたのが美来だった。
二人の相性は抜群だった。
陽菜の正確なコントロールと、美来の爆発的なスマッシュ。
コート上での阿吽の呼吸は、練習量だけでなく、私生活でも常に一緒に過ごす深い信頼関係から生まれていた。

「ねえ陽菜、放課後、新作のクレープ食べに行かない?」
「いいね、賛成! でもその前に、居残り練習もう少し付き合ってよ」
「もう、ストイックなんだから!」
学校生活でも二人は常に一緒だった。
お揃いのストラップをスクールバッグにつけ、将来の夢を語り合う。
いつしか県内のバドミントン界では、彼女たちは敬意と期待を込めて「みくひなペア」と呼ばれるようになっていた。
二年生の秋には県大会で堂々の入賞を果たし、二人の名は一躍知れ渡る。
地元では「次期インターハイ出場の最有力候補」と囁かれていた。
季節は巡り、二月。
凍てつく空気の中に、微かな春の予感が混じり始める。
進級すれば、いよいよ三年生。
泣いても笑っても、数ヶ月後には高校生活最後の大舞台、インターハイ予選が幕を開ける。
「私たちなら、絶対に全国へ行ける。そうでしょ、美来」
「当たり前じゃない。陽菜と私、最強のペアなんだから」
夕暮れの体育館、窓から差し込むオレンジ色の光の中で、二人は固く誓い合った。
全国の舞台で、あの高い天井に向かってシャトルを打ち上げる自分たちの姿を。
希望という名の熱い炎が、二人の胸の中で激しく、そして美しく燃え上がっていた。
しかし、運命は、そんな二人の輝かしい未来を試すかのように、静かに、そして残酷に忍び寄っていたのである。
第2章:突然の転校命令
二月の凍てつく風が、放課後の校庭を吹き抜けていた。
陽菜と美来は、いつものようにラケットバッグを背負い、部活動の練習に向かおうとしていた。
「陽菜、今日の練習が終わったら、駅前のコンビニで限定のスイーツ買っていこうよ!」
「あはは、美来はそればっかり。でも、いいよ。一本集中して終わらせよう」
笑い合う二人の背後から、不意に声がかかった。
「加藤。ちょっといいか」
担任の教師が、どこか沈んだ、重苦しい表情で立っていた。
「職員室に来なさい。……大事な話がある」
「えっ、私ですか? なんだろう……陽菜、先に行ってて! すぐ追いつくから」
美来は小走りに去っていった。
陽菜は、その背中を嫌な予感とともに見送った。
なぜだろう、胸の奥を冷たい指でなぞられたような、落ち着かない感覚が消えなかった。
一時間が経過した。
陽菜は他のバトミントン部員と体育館でシャトルを打ち続けていた。
しかし、いくら体を動かしても、美来が戻ってこない不安は増すばかりだった。
そこへ、体育館の重い扉がゆっくりと開いた。
「美来……?」
入ってきた美来の姿を見て、陽菜は絶句した。
美来の目は真っ赤に腫れ、頬には涙の跡が幾筋もついていた。
彼女は足元もおぼつかない様子で、陽菜の元へふらふらと歩み寄る。
「どうしたの、美来!? 何があったの!?」
駆け寄る陽菜の肩を、美来の震える手が掴んだ。

「ごめん……陽菜。私……転校することになっちゃった。もう、バドミントン……できない……」
「えっ……!?」
陽菜は耳を疑った。
転校? 卒業まであと一年のこの時期に?
「なんで!? どういうこと!?意味わからない!」
「先生が……軍から、私に『陸軍高校』への転校辞令が来たって……四月から、もうあっちに行かなきゃいけないの……」
その言葉が、陽菜の心臓を射抜いた。
陸軍高校。
二十歳からの徴兵を待たず、十五歳から未来の幹部候補として英才教育を施す、鉄の規律に支配された全寮制の学校だ。
基本は志願制だが、国家が「適性あり」と認めた生徒には、このように強制的な転校辞令が下ることがある。
この国では、国の命令は絶対だった。
「もう陽菜とバドミントンできない! それに、あそこに行ったら……坊主にされちゃう! 嫌だよ、陽菜、怖いよぉ……!」
美来は陽菜の胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。
陽菜はかける言葉が見つからなかった。
親友との夢が、国家という巨大な壁に一瞬で粉砕された。
それと同時に、脳裏に古い記憶がフラッシュバックする。
――母・麻里奈に召集令状が届いた、あの日の冷たい絶望。
自分を置いて、髪を失い、戦場へ消えていった母。あの時の孤独と恐怖が、形を変えて再び陽菜を襲っていた。
陽菜は居ても立ってもいられず、体育教官室のドアを叩いた。
「監督! 美来の転校、どうにかならないんですか!? 国の命令なら、夢を捨てなきゃいけないんですか!」
バドミントン部監督は、苦渋に満ちた顔で首を振った。
「……転校は避けられない。それは国の決定だ。だが、陽菜。美来がバドミントンを諦める必要はない」
「えっ……?」
「陸軍高校にも部活動はある。あそこは軍事訓練だけでなく、スポーツにも力を入れているんだ。彼女はあちらでもインターハイを目指せる。……だが、」
監督は言葉を切った。
「ペアは解消だ。インターハイの規定では、同じ高校の生徒同士でなければ出場できない。大島……残念だが、お前たちのペアはここまでだ」
目の前が真っ暗になった。
美来が続けられるのは良かった。
けれど、「みくひな」でなければ意味がないのだ。
その日から、陽菜と、美来には暗い影が落ちた。
美来はショックで登校すらできなくなり、陽菜もまた、魂が抜けたようにリビングのソファでぼーっと過ごす時間が増えた。
その様子を、麻里奈は静かに、けれど痛いくらいの共感を持って見守っていた。
彼女もまた、美来の辞令についての噂を聞いていた。
「陽菜……。お茶、入れたわよ」
麻里奈が隣に座り、優しく背中を撫でたその瞬間、陽菜の感情が溢れ出した。
「……もう、どうすればいいの? 美来と全国に行くって、それだけを支えにしてきたのに。どうして国は、勝手に私たちを引き裂くの? お母さんの時と同じだよ!」
陽菜は泣きながら、溜め込んでいた想いを吐き出した。
麻里奈は娘を強く抱きしめた。
彼女には分かる。
愛する人と引き離される痛み、自分の人生を自分のものでなくされる感覚。
「……陽菜。もし、あなたに本当の勇気があるなら、美来ちゃんとずっとバドミントンを続けられる方法が一つだけあるわ」
麻里奈が、陽菜の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「え……?」
「それは……陽菜、あなたも志願して、陸軍高校へ転校することよ」
陽菜の鼓動が跳ねた。
「陸軍高校は編入試験があるわ。あなたはこれまでの実績がある。スポーツ推薦枠で受ければ、合格する。……でも、それは簡単な道じゃないわ」
陽菜は混乱した。
あんなに憎んでいた「軍」の門を、自ら叩くというのか。
あの日、お母さんを奪った組織に。
何より、自分が陸軍高校へ行けば、全寮制の生活になり、家族と離れ離れになる。
ようやく取り戻した、この温かな日常を。
「ママ……私が、兵士になっても嫌じゃないの? ママは、私に同じ苦労をさせたくなかったんじゃないの?」
麻里奈は、かつての兵士としての厳しさと、母としての慈愛が混ざったような不思議な笑顔を浮かべた。

「もちろん、あなたと離れるのは寂しい。あんな辛い思いもさせたくない。……でもね、それ以上に、私が誇りに思うのは、陽菜が自分の信念で道を選ぶことよ。美来ちゃんと夢を叶えたいのなら、私は全力で応援する。軍人になることが地獄なら、二人でその地獄を楽園に変えてきなさい」
陽菜は自室に戻っても、一睡もできなかった。
デスクの上の、美来と笑い合っている写真を見つめる。
家族との温かな食卓、お風呂上がりの談笑、ふかふかのベッド。
それらすべてを捨てて、自ら規律の檻に飛び込むというのか。
夜が明ける頃、陽菜の瞳には迷いの代わりに、鋭い光が宿っていた。
ーーー
翌朝。リビングには、心配そうな顔をした父・圭介と、穏やかに娘を待っていた麻里奈が座っていた。
陽菜は二人の正面に立ち、深く息を吸い込んだ。
「パパ、ママ……私、決めたよ。美来と一緒に、陸軍高校へ転校する」
圭介はショックを受けた。
「陽菜……本気か? 今みたいに毎日顔を合わせることも、一緒にご飯を食べることもできなくなるんだぞ。……それに、お前、あんなに軍隊を嫌っていたじゃないか」
「……うん。今でも怖いよ。軍隊なんて、大嫌い」
陽菜は声を震わせながらも、真っ直ぐに父を見つめた。
「でも、もっと嫌なのは、国の命令で夢を諦めること。美来を一人にすること。……私、ママが帰ってきた時、すごくかっこいいと思ったの。大切なものを守るために強くなったママみたいに、私も自分の夢を、自分の手で守りたいんだ」

圭介は絶句した。
娘の瞳の中に、あの五年間の抑留を生き抜いた妻・麻里奈と同じ、折れない鋼のような輝きを見たからだ。
「……分かった。お前がそこまで言うなら、俺は止めない。……がんばれよ!陽菜」
圭介は目元を拭い、力強く頷いた。
麻里奈は何も言わず、ただ優しい表情で陽菜の決意に目を細めていた。
その日の放課後。
陽菜は、休んでいる美来の家へと走った。
インターホンを押すと、しばらくして、疲れ切った顔の美来がドアを開けた。
「陽菜……? ごめん、まだ学校に行く勇気がなくて……」
「美来、聞いて」
陽菜は美来の手をぎゅっと握りしめた。
「私、陸軍高校の編入試験を受けることにした。私も、美来と同じ学校に行くよ」
「え……っ? なんで……陽菜も兵士にならなきゃいけないんだよ!?それに陽菜は、お母さんのことがあったから、あんなに軍隊を……」
美来が驚きで目を見開く。
「一人で行かせるわけないじゃん。私たちはペアでしょ? 片方が欠けたら、全国になんて行けないんだよ」
陽菜は笑いながら、でも涙を浮かべて続けた。
「あっちに行ったら、二人とも坊主にされちゃうね。でも、二人一緒なら怖くないよ。コートに立ったら、髪の毛なんて関係ない。私たちが一番強いって、証明してやろうよ」
「陽菜……っ!」
美来はその場に泣き崩れ、陽菜の首にしがみついた。
「ありがとう……ありがとう、陽菜! また、また一緒にバドミントンができるんだね……!」

二人は夕暮れの玄関先で、抱き合って泣き続けた。
それは絶望の涙ではなく、再び燃え上がった希望の涙だった。
数日後、陽菜は見事に編入試験に合格した。
陽菜と美来は、同じ色の制服を纏い、新たな戦場へと足を踏み入れることになる。
第3章:転校前の儀式
三月末。
桜の蕾が今にも弾けそうな春の午後、陽菜と美来は、駅前にある理容室の前に立っていた。
「陽菜……怖い?」
美来が、震える声で尋ねる。彼女の右手は、まだ自分の豊かな黒髪を名残惜しそうに弄んでいた。
「……うん。でも、美来と一緒なら大丈夫。行こう」
陽菜は、自分に言い聞かせるように力強く頷いた。

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