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休んだはずなのに疲れている正体は「決断疲れ」かもしれない

ちゃんと休んだはずなのに残る違和感

「ちゃんと休んだはずなのに、なぜか疲れている」。
そんな違和感を覚えたことはないだろうか。

休日に、しっかり寝た。予定も入れなかった。スマホもあまり触らなかった。それなのに疲れが抜けない。月曜を前にすると、気持ちが重くなる。

この感覚に覚えがあるなら、それは意志や体力の問題ではない可能性が高い。

疲れの正体は体力ではなく「判断」

多くの人は、疲れを体の消耗だと考える。
だから、横になる。止まる。何もしない。

いわゆる消極的休養だ。もちろん、それで回復する人もいる。
ただし、身体は止まっているのに、思考が止まっていない状態では回復は起きにくい。

何をするか決めていない。
でも、何もしないことに落ち着かない。
結局、頭の中で仕事や予定を反芻している。

このとき脳は、常に小さな判断を強いられている。
回復を妨げているのは、この宙に浮いた判断の連続だ。


回復に必要なのは「止まること」ではなく構造

私が提案したいのは、体を完全に止めることではない。
あらかじめ決めた流れに身を置くことで回復する、という考え方だ。

そのために必要なのが、判断しなくていい構造を持つこと。

例えば私の場合は極端だが、「朝起きたら、季節に関係なく外に出て走り始める」と決めている。今日は寒いからやめようか、何時から走ろうか。そうした判断の余地を、自分に与えない。

やることが決まっていて、流れが見えている。
この構造に入ると、頭の中のノイズが静かに消えていく。

「敢えて歯車になる」という回復の形

これは、自分自身を、自分が設計したシステムの歯車にする感覚に近い。

歯車というと窮屈に聞こえるかもしれない。
だが一度回り始めれば、次に何をすべきかを考えなくていい。
その没入感は、一種のマインドフルネスでもある。

止まるか、動くかは本質ではない。
判断という重荷を一度下ろし、ただ回る時間を持てるかどうかだ。


休み方に正解はない。ただし設計は必要だ

一日中寝て回復する人もいる。動いているほうが整う人もいる。
どちらも正解である。

問題は、自分のタイプを考えずに、世間的に正しそうな休み方を無意識に選んでしまうこと。
もし今「休んでいるのに疲れている」と感じているなら、頑張り方を変える前に休み方の構造を一度疑ってみてほしい。

回復できないのは、あなたが弱いからではない。
回復するための設計図が、まだ描かれていないだけかもしれない。



書いている人(和泉澤 裕)について

東京のIT企業で管理職として働きながら、「テック×ライフ」をテーマに、忙しさの中でも人生の時間を取り戻すための設計を考えています。
思考・判断・生活をどう削るかを、実体験ベースで書いています。

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