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プールで感じる、子どもが巣立つまでのカウントダウン

コロナ明けにデビューして以降、ワンシーズンに3~4回はプールに行きます。

先週末、さっそく今季初のプールのために隣県まで車を走らせました。
2年前の記事にも書いた自分的ベストチョイスな水着を引っさげて。

今回遊びにいったのは「流れるプール」や「波のプール」がある屋内型施設。
日焼けの心配がないのと、コンパクトな造りで施設内の移動がラクなのが気に入っています。

大小様々なスライダーや幼児用プールもあって、6月上旬にも関わらずカップルや家族連れでにぎわっていました。とはいえ、そこまで混んでいるわけでもありません。
ハイシーズンだとイモ洗い状態になるので、いい時期に来られました。

プールに来るたびに思うこと、

その① なぜこんなにもトイレが近くなるのか?( 水圧の影響だと分かっていても、毎回のように驚いてしまう)。

その② 子ども用の水泳キャップを家に忘れがちで「あー持ってくればよかった」と後悔するけれど、実際に持ってくると「やっぱりいらなかったかも」となって、未だに答えがでない。


波打ちぎわで、寄せては返す波を肌で感じていると、子どもの頃に連れて行ってもらった海の記憶が蘇ります。
砂浜にぐっと手のひらを押し付けて、その周りの砂を波がさらっていくあの感覚。
最後に残る自分の手形。

海に行くとき、両親は車の後部座席を全て倒して、その上に薄い板とマット敷き「ゴロゴロ横になれる場所」を作ってくれました。
一日遊んで疲れた帰りには、そこに姉弟そろって横になりグーグー寝ていたのが懐かしい。
当時はそれが当たり前だったけれど、わたし達のことを思って前日から用意してくれていたんだって、今になって思います。

海に行かなくなったのは中学生になってから。
その前年、わたしが小学6年生の時に生理と旅行の日がかぶってしまい、海に入れなかったことがきっかけでした。

母が父に向かって、軽くわたしを指差した後に両手で小さなばってんを作り、それを見た父が大きく頷く様子を見て、あー生理が来たことをお父さんにも知られてるんだ、と悟ってしまいました。

気恥ずかしいような、勝手に自分の秘密をバレされたことに抗議したいような、それでいて、せっかく連れてきてくれたのに存分に楽しめなくて申し訳ないような、ごちゃまぜになった気持ちを今でも覚えています。

娘も大きくなったら、きっとそんなこともあるんだろうな……。


最近、旅行に行けば「あと何回、子ども達と旅行に行けるだろう」と思い、娘の髪を切れば「いつまで切らせてくれるかな」と思う……。
いちいち感傷的になってしまう自分がおかしいです。終わりばかり気にしていても仕方ないのに。

でも、「そう遠くない将来に自分の手から離れていく子ども達を思う切なさ」は今しか味わえない感情。
実際に子ども達が巣立てばもっと寂しいだろうけど、その寂しさは今感じるそれとはまた違ったものになるでしょう。
 
今だけの感情をしっかり味わうのは、たとえそれがセンチメンタルなものであっても、悪くはない気がします。

この夏も暑いらしいです。
今年もたくさんプールに連れて行ってあげよう、と心に決めるのでした。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。


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