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メンタル不調は誰にでも



本当に理不尽なハラスメントで苦しむ人が守られるべきなのは、言うまでもありません

ここを大前提としてのお話なのですが…。


ハラスメントの定義を調べてみると、多くは「相手の望まない言動によって不利益や苦痛を与えること」とあります。しかし、この「相手の望まない」という【主観的な要素】こそが、現場を最も悩ませるものになってしまっているのではないでしょうか。


​環境や人間関係の捉え方は、人によって驚くほど変わるものだと思います。ある人にとっては「成長のための熱心な指導」であっても、別の人にとっては「過度なプレッシャー」になり得ます。


もちろん、暴言や嫌味、荒々しい態度や威圧、無視などは論外だと思います。誰もが安心して働ける、あるいは過ごせる環境が理想であることは言うまでもありません。


​しかし、だからといって「受け取る側の言いぶん」だけが100%正しくなってしまう社会には、少しの危うさを感じます。なぜなら、大部分の人たちは、傷つけないように気を使い、言葉を選び、細心の注意を払いながら日々の対応をしているはずだと思うから。


​明確な判断基準がない中で、ひとたび「メンタルがやられた」という言葉が出ると、それが一切の反論を許さない免罪符のようになってしまいます。
周囲がどれだけ配慮していても、その努力が一瞬で否定されかねない現状に、息苦しさを覚える人も少なくないでしょう。
かくいう私もその一人です。


​さらに言えば、相談を受ける医療機関にとっても、非常に難しい問題なのではないでしょうか。目に見えない心の傷に対して、どこまでが個人の受け止め方の問題(感受性や相性)で、どこからが客観的なハラスメントなのか、病院側も明確な線引きなどできないのが本音ではないでしょうか。


​被害者を守る優しさは不可欠です。しかし同時に、関わる全員が萎縮せず、健全なコミュニケーションを保つための「客観的なバランス」もまた、今の社会には必要とされている気がしてなりません。


本当に心が折れてしまって、どうしても動けなくなる病気があるのは理解できます。重篤な状態になり、連絡することすら困難なケースもあるかと思います。

一方で、誰かのせいにし、報告も挨拶もすることなく、いわゆる筋を通さずに辞めてしまい、『メンタルがやられている状態だから仕方ない』で片付けられてしまう現状には、どうしても違和感を覚えてしまうのです。


当人だけが辛い思いをしたのでしょうか?
その人に関わってきた相手のメンタルの状態は不安定になってはいないのでしょうか?


一人前になってもらいたいと配慮をしながら指導にあたってきたその人達への配慮は、どこへ行ってしまうのだろうかと、どこか釈然としない気持ちが残るのです。


私個人の思いとしては、「お互いの背景や意図を想像し合う姿勢」が双方にあれば、もう少しスムーズなコミュニケーションが可能になるのではないのかな、と思えるのですが、いかがでしょうか?



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