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正統ずは䜕かず思い出す事などアメリカはどうなっおしたうのでしょう

以䞋の文章をなぜ曞いたのか、ずいうこずに぀いお、別のずころで説明させおいただきたした。「トワむラむト」ず「むントゥ・ザ・ワむルド」のMVを聎いおみよう。をぜひご芧ください。


『正統ずは䜕か』Orthodoxy, 1908は、チェスタトンG. K . Chesterton 1874-1936が自身の知的・粟神的探求の末に、なぜキリスト教、そしお最終的にはカトリックの信仰ぞず蟿り着いたのかを、鮮やかなパラドックスず比喩を甚いお論じた自䌝的・匁蚌論的著䜜です。圌は、珟代の「進歩䞻矩」や「無神論」、様々な「哲孊的朮流」などが実は䞍合理であり、他方、最も「正統」的なキリスト教的芋解こそが、最も「理性的」で、最も「垞識的」であるず䞻匵したす。

1 狂気の定矩――理性の過剰ず固執
本曞の最も印象的なテヌマの䞀぀は、「理性」ず「狂気」の区別に関するチェスタトンの逆説的な掞察です。圌は、狂人ずは、必ずしも「非理性的」なのではなく、むしろ「過床に理性的」であるがゆえに狂気に陥るず䞻匵したした。 チェスタトンにずっお狂人ずは、䞖界の䞀぀の偎面、あるいは䞀぀の「論理的呜題」に固執し、それを培底的に掚し進める者のこずです。
䟋えば、フランス革呜期のロベスピ゚ヌルのような「極床の理想䞻矩者」を考えるず分かりやすいかもしれたせん。埌述する、アドルノやホルクハむマヌたちも、圌を容赊なく批刀したした。ロベスピ゚ヌルの堎合、極床の理想䞻矩者は「狂信者」ぞず倉質したした。䌌たような構造はブルゞョア革呜のみならず、共産䞻矩革呜にも、芋られたす。

チェスタトンは、狂人は「非論理的」なのではなく、「あたりにも論理的」であるゆえに、他の党おの芖点や、珟実の倚様性を芋倱うず指摘したす。

狂人ずは、ただ䞀぀の考えからしか結論を導かない者である。

圌は、狂人の思考を「たっすぐな線」盎線に䟋えたす。䞀぀の論理的垰結にひたすら突き進み、他の偎面を䞀切顧みない。この盎線的な思考は、究極的には、珟実党䜓の「耇雑性や矛盟」を無芖し、自己砎滅的な結論に至りたす。

2 健党な理性バランスず党䜓性抱擁
これに察し、健党な理性は、䞖界を「円呚」ずしお捉えたす。それは、倚様な芖点、矛盟する真理、そしお無限の可胜性を抱擁する胜力です。

健党な理性は、䞀぀の真理に固執するのではなく、察立する真理の間に「バランス」を芋出し、珟実の「党䜓像」を捉えようずしたす。

圌は、キリスト教の教矩の䞭には、この「円呚」的な真理、すなわち、䞀芋矛盟する芁玠

䟋神の愛ず神の厳しさ、神の超越性父なる神ず受肉む゚ス

が共存し、「党䜓ずしお豊かな意味」䟋䞉䜍䞀䜓をなすこずを芋出したした。

この芖点から、チェスタトンは、珟代の「進歩䞻矩」や「革新䞻矩」が、埀々にしお狂人の盎線的な思考に陥る危険があるず、指摘したす。

圌らは、過去の「知恵」や「䌝統」を顧みず、䞀぀の「理念」䟋科孊的合理性、経枈的効率性を絶察芖し、それにひたすら突き進むこずで、党䜓的なバランスを倱い、かえっお砎滅ぞず向かうのではないか、ず譊告したす。ここでは「䌝統」に぀いお説明したせんが、この抂念がないず最終的には党䜓の説明が぀かなくなるずいうこずは䞀応念頭に眮いおおいおください。

3 「神秘」ず「驚き」の重芁性
チェスタトンは、「神秘」を排陀しようずする「近代理性」科孊的合理䞻矩や無神論を匷く批刀したす。

圌にずっお、「神秘」は単なる「未解明な事柄」ではなく、人間が䞖界に察しお抱くべき「根源的な驚きず感謝」の源泉です。

圌は、無神論や唯物論が䞖界を「単なる事実の集合」ずしお捉え、䞖界の存圚自䜓を圓然のこずずしおしたうこずを批刀したす䜙談ですが、ハむデガヌも䌌たような考えです。有名な「存圚忘华」Seinsvergessenheit批刀。。

これに察し、真に理性的な態床ずは、「䞖界が存圚するこず」、「私たちが存圚するこず」がいったい「なぜ」なのか、ずいう問いを導く「根源的な神秘」に察しお、子䟛のような「驚きWonderず感謝」を抱くこずにあるず説きたす。

4 神秘物語ずパラドックス
キリスト教の信仰は、䞖界が神によっお創造されたずいう「神秘的物語」の䞊に立ちたす。この物語があるからこそ、䞖界のあらゆるものが「目的ず意味」を持っおいるず感じられるのです。この宗教的立堎には異論があるかもしれたせんが、埌で説明したす。ちなみに、ニヌチェのいわゆる「神の死」ずは、この皮の「物語の喪倱」のこずを意味したす。

チェスタトンは、この「䞖界が存圚するこずのたさにその理由がないこず」こそが最倧の「神秘」であり、それを受け入れるこずが「真の理性」であるず考えたした。

科孊が䞖界を分析し、法則を芋぀けようずする䞀方で、「詩や宗教」は䞖界そのものの神秘を䜓隓し、それを称える圹割を果たすずチェスタトンは考えたす。

圌は、神秘を排陀しようずする「近代理性」が、人間存圚から「喜びや詩情」を奪い去り、䞖界を「無味也燥なもの」にしおしたうず危惧したした。

チェスタトンは、様々な哲孊的・宗教的立堎を怜蚎した結果、キリスト教の「正統」な教矩こそが぀たり「異端」ではない、しかし圌はこの「異端」ずいう語をかなり広い意味で甚いおいたす、最も「理にかなっお」おり、最も「垞識的」であるずいう結論に至りたす。ここではチェスタトンが「ベスト」ではなく「ベタヌ」を求めおいるこずが重芁です。

キリスト教の教矩は、䞀芋するず矛盟するような様々な真理䟋神の絶察性ず人間の自由、神の超越性ず受肉、善ず悪の珟実性を、芋事なたでに「バランス良く」抱擁しおいるず圌は䞻匵したす。ここにも異論がありそうですが、これはもはや「キリスト教神孊」の問題です。珟代的に蚀えば「䞖界芳」の問題。

この「バランス」こそが、前述の「健党な理性の円呚」に他なりたせん。

圌は、キリスト教的䞖界芳が、人間の経隓する「喜び、苊しみ、悪、垌望」ずいった珟実の倚様性ず最もよく敎合するあるいは、それらを「説明できる」ず考えたした。぀たり「物語」ずしおよくできおいる。

その他の思想䜓系が、珟実の䞀偎面のみを匷調するのに察し、キリスト教は人間の「党䜓的な経隓」を説明し尜くすず捉えたした。

真の信仰は、人々を盲目的に埓属させるのではなく、むしろ䞖界ず自分自身の存圚の「神秘」を認識させるこずであり、真の「自由ず感謝の粟神」をもたらすずチェスタトンは考えたした。これは、もちろん珟実のカトリック教䌚がこの粟神を裏切っおきたずいう歎史異端審問、怍民地政策などに察する反省に基づく「目暙」です。

『正統ずは䜕か』は、チェスタトンが自己の知的探求の果おに、

「最も狂っおいるず思われる珟代瀟䌚」においお、「最も狂気じみおいるず批刀されるキリスト教の教矩」こそが、実は「最も健党な理性ず垞識」に基づいおいる、ずいう、「究極のパラドックス」を提瀺した䜜品ず蚀えるでしょう。

圌の文章は、珟代の私たちも、自らの「理性」や「垞識」の前提を深く問い盎すように促したす。

5 珟代瀟䌚の「盎線的な狂気」――巊右のアクティビズムぞの譊鐘
アメリカの硬盎した、巊右の掻動家たちに、この著䜜をぜひずも読んでもらいたいず思いたす。デリダやフヌコヌは、珟代哲孊の諞抂念を駆䜿しお、硬盎した政治的二項察立を乗り越えようずしおきたしたが「脱構築」、「ディスクヌル」などの抂念によっお、そしお圌らはどちらかずいえば「巊掟」に芪和的でしたが、「右掟」のチェスタトンも圌の「逆説」ずいう方法を甚いお垞識的二項察立を無効化しおいたす。

チェスタトンの「狂気の定矩」はたた、ホルクハむマヌずアドルノの「近代理性批刀」「啓蒙の匁蚌法」1947を想起させたす。そしおそれだけではなく、過激なアクティノィストたちの硬盎した姿勢を圷圿ずさせたす。圌らはたさに、「狂気じみお」いたすが、それは「巊右いずれであろうず」、圌らが埌生倧事に抱え蟌んでいる、各々の「ただ䞀぀の考え」に固執しお、「䞀぀の論理的垰結にひたすら突き進み」、「他の偎面を䞀切顧みない」。「この盎線的な思考は、究極的には珟実党䜓の耇雑性や矛盟を無芖し、自己砎滅的な結論に至る」。

「右からの理性批刀チェスタトン」ず「巊からの理性批刀アドルノホルクハむマヌ」が、珟代の極端な分断瀟䌚に぀いお同じ「解決の糞口党䜓性の回埩」を指し瀺しおいるずいうこずは、興味深い珟象だず蚀えたす。

ずりわけチェスタトンの堎合は、圌の生きた時代を考えるず、たさに驚くべき先芋性です。珟圚の事態最近のアメリカの状況をご芧くださいはたさに、過激な政治的アクティノストたち巊右問わずが匕き起こした悲劇ではないでしょうか
 
6 キリスト教を超えお――プラトンず挱石における普遍的な「驚き」
チェスタトンは、キリスト教カトリックを垰結させたしたが、それは圌にずっおはそれが自然だったずいうだけで、必ずしも必然的だずいうわけではないず思いたす。

䞖界の存圚ずいう「神秘」や、それに察する「驚き」や神々ずいう芁玠は、䟋えば、プラトンやアリストテレスの哲孊においおも、哲孊的問いの根源ずしおの「タりマれむン驚くこず」が重芁芖されたり、哲孊的思考の極臎においお、究極的な知の察象ずしお、神的なるものもちろんキリスト教の神ではなく、ギリシア的な神ですがが求められたりするこずから、䞡者は䌌おいるず蚀えるでしょう。

7 「感謝Gratitude」
この蚀葉だけは、キリスト教的な「人栌神」ず「創造」ずいう芳念を前提ずするように思われたすがしかし、日本人も、自然存圚に察しお「感謝」するず蚀えるずも思いたすが、いずれにせよ、䟋えば、倏目挱石は、修善寺の倧患の埌、入院䞭に、䞀床死んだ身ずしお、この䞖に生きおいるこずに驚き、感謝の念ず䌌たような気持ちの倉化を衚明しおいたす「思い出す事など」1910-1911。

仰向あおむけに寝た䜙は、倩井を芋぀めながら、䞖の人は皆自分より芪切なものだず思った。䜏すみ悪にくいずのみ芳じた䞖界にたちたち暖かな颚が吹いた。四十を越した男、自然に淘汰せられんずした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい䞖が、これほどの手間ず時間ず芪切を掛おくれようずは倢にも埅蚭けなかった䜙は、病に生き還るず共に、心に生き還った。䜙は病に謝した。たた䜙のためにこれほどの手間ず時間ず芪切を惜したざる人々に謝した。そうしお願わくは善良な人間になりたいず考えた。そうしおこの幞犏な考えをわれに打壊す者を、氞久の敵ずすべく誓った。

挱石のこの態床には、欧米的な存圚論ずいうよりは、日本的な倫理の響きが濃厚に感じられたすが挱石特有の「孀独」ず「厭䞖芳」にもずづく倫理、存圚䞍胜、぀たり死の可胜性ず感謝ずが結び぀くずころは、欧米ず類比するのかもしれたせん。

たた、ここでは詳述したせんが、ハむデガヌも、存圚論的な「驚きStaunen, Erstaunen」ずいうこずを非垞に重芁芖しおいたす。

いずれにせよ、チェスタトンのカトリック信仰は、より広範囲の宗教的感性や、ディスクヌルの䜓系に拡匵可胜だず考えられるのではないでしょうか


いかがでしたかぜひ皆さんの埡意芋をお聞かせください。
 


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