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死ぬことにそれほど恐怖感はないが、まだ死にたくはないと改めて思ったこと

  最近読んだ小説で、はっとさせられた一節がありました。

自分が消えていく。死ぬといふのは、何もかもなくなってしまふことなのだ。死なんて怖いと思ったこともないのに、自伝を書き始めたせいか、まだ書かれてゐない部分が書かれないまま消えてしまふといふことが恐ろしかった。

多和田葉子『雪の練習生』(原文は現代仮名遣ひ)

 自分は神代の学びから霊魂の永遠性を確信しているので、死ぬことが何もかもなくなってしまふこととは思ひません。
だから他人よりは幾分死への恐怖は薄いのではないかと勝手に思ってゐます(もちろん死に際に痛いの苦しいのといふのは御免被りたいですが・・・)。

 一方で、死ぬに当たって何か自分の生きた証を残して逝きたいと思ふのは人類共通の欲望の一つのやうです。

 昔の武将たちにとっては名を遺すことが何よりの誇りでした。
頼山陽の詩が有名ですね。

十有三春秋 逝者已如水
(十有三の春秋、逝く者は已に水の如し)
天地無始終 人生有生死
(天地始終無く、人生生死有り)
安得類古人 千載列青史
いづくんぞ古人に類して、千載青史に列するを得ん)

『頼山陽詩抄』(岩波文庫)

 思へばこの漢詩を知ったのは20代の頃に読んだ内村鑑三の『後世への最大遺物』でした。
その著書の中にあった天文学者・ハーシェルの言葉に甚く感動して、爾来この言葉が私の人生の座右の銘となりました。

「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往かうではないか」

内村鑑三『後世への最大遺物』

 内村は後世に遺す価値のあるものとして金、事業、思想を挙げた後、誰もが遺すことができて利益ばかりあって害のない最大遺物として「勇ましい高尚なる生涯」を挙げました。

 自分の人生を振り返って、金も事業もたいしたものは生み出せませんでしたが、思想については神代の学びを長く継続してきましたので、それ相応の知見は得られたと自負してゐます。
また、自分の人生は「勇ましい高尚なる生涯」だと胸を張れるやうなものではないですが、息子たちにそれなりの背中は見せられてきたと思ってゐます。

 さて人生も終盤にさしかかり、長年の学びの中で自分が知り得たことや考へたことを文章として書かずに死んでしまったら、それらの思想はこの世から完全に消え去り何も残りません。
自分の人生の中でなされた努力がまさに水泡に帰してしまひます。
今これらをまとめて数冊の本として出版しようとしてゐますが、それが間に合はず「まだ書かれてゐない部分が書かれないまま消えてしまふといふことが恐ろし」いです。

 死ぬことにそれほどの恐怖感はありませんが、自分の生きた証、後世への遺物として数冊の書籍を世に出すまでは死にたくない、自分の思想が書かれないまま死ぬのが恐ろしいと改めて思ひました。

 神代に関することは数冊の本にまとめて、日々の暮らしの中で考へたことや大事な思い出、折りに触れてつくった詩歌などはこのnoteで発信して遺していかうと思ひます。

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