俺が俺たちがちいかわだ

 あまり言わないけど、ちいかわ大好き。「こういう風になってくらしたい」というイメージイラストの時代から更新を日々チェックし、公開中の『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』もすでに2回鑑賞した。

 SNS上では、「原作をそのまま映像化してくれた」という感想をよく目にするが、むしろ自分としては、映画というメディアに最適化するための細やかなチューニングに好感を持った。

 シンプルな作風の原作漫画と異なり、映画では海や植物などの背景がしっかり描かれている。それによって雄大な自然との対比が生まれ、ちいかわたちが「ちっぽけな命」であることが一層強調されていた。音楽や効果音なども印象的で、特にセイレーンが動くときにいかにも重そうな音がするのが、やはりちいかわとの圧倒的なサイズの差を感じられてよかった。

 人気コンテンツを映画化する際、美しい作画によって原作の内容を逐一なぞるようなアプローチが取られることもあるが、「ゴージャスな冗長さ」とでも呼ぶべきものを感じて鼻白らむことも多い。その点、『映画ちいかわ』は映画ならではの見せ方にこだわっている印象だった。

 ちいかわたちが怪しげな高報酬の仕事に飛びついて大変な目にあうという『映画ちいかわ』のストーリーは、ファンの間でしばしば「闇バイト」とネタにされる。

 ちょうど最近、藤原良『闇バイトの歴史 「名前のない犯罪」 の系譜』(太田出版)を読んだ。テクノロジーの発達によって新たな犯罪が生まれ、現在の闇バイトにたどり着くまでをまとめたルポルタージュで、ある種のインターネット史とも言える1冊だ。元暴力団幹部らにも取材しており、その証言からは、闇バイトを仕掛ける側が実行役を完全に使い捨てのコマ扱いしていることがわかる。当該箇所を引用する。

「バカがいる限り続きますよ。バカって理屈がわからない奴が多いじゃないですか。だから、闇バイトに応募してきたほとんどの奴が、最初に問い合わせてくるのが『捕まりませんか?』なんですよ。

 それって理屈で考えたら捕まるに決まってんでしょ、ってこっちは思うんですけど、バカだから理屈じゃなくて“怖いか? 怖くないか?”なんです」

藤原良『闇バイトの歴史 「名前のない犯罪」 の系譜』96ページより

 現代日本は、教育や家庭環境などによる格差の固定化・再生産が進んでいる一方で、自己責任論が跋扈してもいる。そのような社会で、たとえ法に反する手段だとしても「一発逆転」の誘惑が強くなるのは不思議ではない。

 しかし、なぜ悪事に手を染めてはいけないかというと、たぶん「もっと悪い人間の食い物にされるから」だ。当然、闇バイトの実行役も悪人ではあるが、より狡猾な悪人にリスクをすべて押し付けられたうえに嘲笑される構図を見ると、さすがに暗澹たる気持ちになる。

 再びちいかわの話に戻る。ドストエフスキーなどの古典と比較して語られることも多い『映画ちいかわ』だが、自分としてはカミュの『シーシュポスの神話』を思い出した。神の怒りを買ったシーシュポスが、巨岩を山の頂きまで押し上げては転がり落ち、再び岩を押し上げることを永遠に繰り返す罰を受けたというギリシャ神話をもとにしたエッセイだ。カミュは、「不条理な世界を直視したうえで引き受ける在り方」に人間の尊厳を見出そうとしている。

「リスクを取って一発逆転を狙え」という発想がすぐそばにある社会で、ちいかわがこれほど熱く支持されている背景に、「今日1日をどうにか生き延びることはきっと尊いはずだ」という人々の健気な祈りを感じる……というのは考えすぎだろうか。

 ちっぽけな命のまま不条理な世界を引き受けて、懸命に日々を繋いでいく姿勢を「ちいかわ」と呼ぶのであれば、我々はすでにちいかわなのかもしれない。ちいかわかわいいとキャッキャしているあなたも私も、もうとっくに「なんか小さくてかわいいやつ」なのだ。

 涙目で「ワァ…」「エト…」とか言いながら、それでも我々は、「なんとかなれーッ!!」と山頂まで岩を押し上げる。たとえ転がり落ちる運命だとしても。

……などという話をネットラジオでした直後、こんな匿名ブログがバズっていた。

 な~にがカミュじゃ! 健気な祈りじゃ! 「普通」の感想を言え! 貴様は~~~!! だから2ちゃんねるで馬鹿にされるというのだ~~~!! この~~~!

 あ、セイレーンちゃんが大変かわいかったです。

★★★
 ネットラジオを始めました。今回の内容は、第3回『映画ちいかわと闇バイト』の文字起こしをもとに加筆修正したものです。

 月に一度のペースで配信予定なので、ネットラジオもよろしくお願いします!

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