中島板による多様性講座・実践編:嫌いな『みいちゃんと山田さん』のアニメ化にも私は反対しない【ショートひとりごと】
前回、『FINAL FANTASY X-2』を題材に「多様性のあり方」について書いた。
そこで私が主張したのは主に以下。
多様性とは「自分と違うものを好きになる能力」ではない。「嫌いな棚を容認できる余地を残せるかどうか」だ。
私はFF10-2を蛇足だと思っている。
『FF10』はティーダが消えて終わるから美しいんでしょうがー!
しかしFF10-2が好きな人もいる。だったら私はFF10の棚に戻る。FF10-2が好きな人はそっちの棚で楽しめばいい。嫌いだからといって、向こうの棚まで撤去する必要はない。
我ながらなかなか寛容だ。
ただ、よく考えるとFF10-2では教材として簡単すぎる。何しろゲームの続編が気に入らないだけのこと。しかもリュックがいっぱい出てくる。これでは多様性の試験としてはヌルい。
もっと「いや、私本当にそれ嫌いなんだけど」という物事に対しても同じことが言えるのか。
とか考えてたら、ちょうどいい題材があった。『みいちゃんと山田さん』である。
――――――
先に言っておく。私は『みいちゃんと山田さん』が苦手だ。かなり嫌いな部類に入る。
理由はいくつかあるが、特に引っかかるのが、みいちゃんというキャラクターの描かれ方。
あの作品を読んでいると、知的障碍や発達障碍を想起させる特徴が「危うくて、社会に適応できず、悲惨な目に遭う人物」の全体記号として娯楽的に消費されやしないか、という怖さを感じる。
もちろん、これは私個人が作品から受けた印象であって、その読み方が絶対ではない。
作者が何を意図しているのかとは別の話だし、まったく違う読み方をする人もいるだろう。それでも「私個人は」好きになれない。
そして最近、この作品のアニメ化をめぐって、反対する声が上がっている。なかなか過熱気味。
で、こう問いたくなる方もいらっしゃるだろう。
「じゃあ、お前はアニメ化に反対するのか?」
いや。しない。
――――――
これは、まさに前回の「棚」の話だと思う。
私は『みい山』を好きになる必要はない。
作品の描き方に問題を感じてもいい。
「こういう表現は現実の障碍者に対する偏見を補強する可能性があるんじゃないか」と批判する自由だって当然ある。
しかし、
「私はこの作品を有害だと思う」
と
「だから、この作品は世に出してはいけない」
の間には、かなり大きな川が流れている。一気に飛び越えてはいけない。作品を批判することと、作品の存在そのものを阻止することは違う。
嫌いなら見なくていい。ならば、見たくない人が不用意に踏まないよう、必要なら注意書きや年齢区分などを考える。
つまり、棚を分ける。ゾーニング。そして、棚を分けることと、棚を燃やすことは違う。
私はここの区別を残しておきたい。
――――――
もうひとつ、言っておかなければいけないこと。
先に述べた「みい山の娯楽的な消費」の一例として、知的障碍や発達障碍っぽく見える(と個人が断定した)誰かに対して、「頭みいちゃんw」みたいな嘲笑を投げる人がSNS上で散見される。
私は、その行為は普通に駄目だと思う。ただし、その時にまず問われるべきは『みい山』という作品の是非ではなく、「その言葉を侮蔑のための材料として現実の人間へ投げた、その人自体の倫理観の是非」ではなかろうか。
『みい山』という作品が存在する。それを読んだ誰かが、作品中のキャラクターを現実の人間への侮蔑に使う。だから
作品が悪い
↓
アニメ化してはいけない
↓
作品そのものを遠ざけよう
と進むのは話が飛んでいると考える。
包丁で人を傷つける人間がいたとして、まず問題なのは包丁の存在ではなく、それを他者に向けた人間のほうだ。
……まあ、作品は包丁と違って社会に「意味」や「イデオロギー的なもの」を流通させるので、完全に同じではない。それでも「使った人間の責任まで作品に全額請求するのは違う」という話。
作品が社会に与える影響について議論することと、作品を使って誰かを傷つけた個人の責任を問うことは、両立する。
どちらか一方に全部押し付ける必要はない。
――――――
前回(FF10-2)よりも、今回の記事のほうが「多様性講座」としては本番なのかもしれない。
FF10-2の棚を残すのは簡単だ。私はあの作品を完全な蛇足だと考えているが、別に社会的な害悪だとまでは思っていない。
しかもリュックがいる。
だが『みいちゃんと山田さん』にはその逃げ道がない。私はこの作品が嫌いだ。たぶんアニメも見ない。作品の表現についても批判するかも。
それでも
アニメ化するな
とは言わない。絶対に。
見たい人は見ればいい。私は向こうの棚には行かない。ただ、向こうの棚が存在する余地までは残しておきたい。
――――――
多様性とは、好きなものがたくさん並んでいる世界のことではないのだ。
好きな棚。どうでもいい棚。理解できない棚。
そして、視界にも入れたくないくらい嫌いな棚。
それらが同じ図書館の中に存在していて、それでも互いの棚を燃やさずにいられるか。多様性が本当に試されるのは、最後の棚に出会った時だ。
だから私は『みいちゃんと山田さん』の棚には行かない。嫌いだから。
でも、その棚は残しておく。
FF10-2の時よりだいぶ難易度は上がったが、今のところ私の答えは同じである。
嫌いな棚ほど、焼かない。
――――――
ただし『みい山』には、私にとってのFF10-2のリュックに相当する救済措置がない。
やはり実践編は難しい。
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