父と、病と、祈りと、神さま
どうやって書き始めたらよいのか、
こんなに悩んだのは、
noteを書き始めて初めてのことです。
実は、
父が、胆管がんになってしまいました。
ステージ4。手術はできず、抗がん剤治療になるとのことです。
(父の了承を得た上で、記事を書いています)
少し前から、下痢が続き、食欲がなくなり、
もともと通っていた病院の検査の日を待たないほうが良いだろうとの判断で、
急遽転院しての検査と処置。
実は、病理検査がうまくできず、
がんと確定診断ができていないのですが、
病状からおそらく間違いないだろう、とのことでした。
今は、一度退院していて、
お盆明けから抗がん剤治療がはじまります。
私は4人姉弟(私・妹・弟・弟)で、
父と母が住む実家は、
私の今住む場所からは新幹線で4時間ほど。
妹が実家と同じ県内に住んでおり、
上の弟は都内、
一番下の弟は、仕事の関係でブラジル在住。
私たち姉弟にとって、大切な父。
10人(+もうすぐ妹のところにもう1人)の孫にとって、大好きなおじいちゃん。
来週のお盆休みに、家族で会いに行く予定です。
父の病を聞いた時、
「神さま、どうか父をお守りください」と、
何度も、何度も、祈りました。
何度祈っても、足りない気がして、
「神さま、どうか…!」と祈っては、
心配で、悲しくて、
ぼんやりしていることを、子どもから指摘されるほど。
そんな時、父とやりとりしていた弟からLINEがありました。
病状を、医師から説明された父は、
「自分でも驚くほど、平静な気持ちだ」
と、弟を通じて、
母と私たち姉弟にメッセージを伝えてくれました。
「私が生きるか死ぬかは、
宇宙全体を司る大きな存在(それをキリスト教では神と呼ぶ)が決めることで、
私がジタバタしたところで、何も変わらない。
(中略)
もちろん生きるための努力をしますが、
もともと生き死には神に委ねてありましたから、
私はそんなことには煩わされず、
生きている間に何をどうするかに没頭します」
父の言葉を見て、
救われたのは、私のほうでした。
いや、
今一番救われるべきなのは、父なのですが。
神さまに自分の命をゆだねて、
ジタバタせずに、
ただ、生きている間に何をしようかとを考える。
そんな父を、
純粋に「かっこいい」と思い、
尊敬するとともに、
あぁ、キリスト教の信仰を持っていて良かったと思いました。
こういう時のために、宗教があるのかもしれない。
この世界になぜ「宗教」があるのか、
たくさんある理由の中の、一つを、見つけたような気がしました。
信仰を持っていて良かった、と思ったのは、
父本人だけでなく、
周りにいる私たち家族にとっても。
父の病が分かった日の夜から、今日に至るまで、
毎晩、
夫と3人の子どもたちと一緒に、
ロザリオの祈りを1連唱えています。
ロザリオは、
主の祈り 1回
アヴェ・マリアの祈り 10回
詠唱 1回
を1セット(1連)とします。
(通常のロザリオには50の珠があり、5セットして1周(1環)なのですが、寝る前にしているのもあって1連だけにしています)
遠く離れたところにいる父のために、
会いに行くことも、付き添うことも、
もちろん治すことも、
何もできない私。
でも、「祈ること」はできます。
神さまが父を守ってくださるように、
家族5人で声をそろえて祈る。
祈りながら、神さまに委ねる。
神さまを信頼し、神さまに希望を託し、
「祈る」という、
今、私にできることをする。
「今できること」があるということに、
どんなに心が救われたかわかりません。
いつか、私が逆の立場になる日が、
来るかもしれない。
その時に、子どもたちや周りの大切な人たちが、
悲しみや不安に押しつぶされることなく、
「祈る」ことで、心に安らぎが訪れてくれれば…と願います。
子どもたちに、カトリック(キリスト教)の洗礼を受けさせて、
いつかその信仰が子どもたちを力づけてくれたら…。
今の私が、信仰に救われているように。
キリスト教の信仰を伝えてくれた父と母に、
今ほど、感謝したときはありません。
もう一つ、感じたことがあります。
それは、「命は永遠ではない」ということ。
父だけではない。
母も、私自身も、
家族も、親戚も、友人も、職場や教会やいろんな場でつながりのある人たちも。
みんな、
いつ、誰が、どうなってもおかしくない。
そんなこと、知っていたはずなのに、
どこかで、
命が、ずっと続くと勘違いしてしまっていた。
毎日、当たり前のように過ごしている日々は、
神さまによって守られて、生かされている。
生かされていることに、感謝しているか?
生きている時間を、大切にしているか?
会える時間を、一緒に過ごせる時間を、
いつもの日常を、
大切にできているか?
どんどん飛ぶように過ぎていく毎日を、
生かされている大切な1日として、
1つひとつ、噛みしめなくてはと、
改めて思いました。
そんなわけで、
私は、夏休みという日常(非日常?)を、
子どもたちと一緒に、
いっぱい笑いながら、生きています。
父や母、妹弟たちと連絡を取りながら、
毎晩、家族5人でロザリオの祈りをしながら、
悩んだり、ジタバタしたり、泣いたりせずに、
今、私にできることをしながら、
笑って、楽しんで、生きています。
父は俳句が趣味なので、
家族のグループLINEに「近況俳句」を、
姉弟も、その配偶者も、孫たちも、みんなで送り合っています。
(これがけっこうおもしろい🤭)
子どもたちとは、お盆休みに帰省したら、おじいちゃんと何をしようか~と相談中。
新しいカードゲーム、持って行こうか、とか。
ピアノを聴かせてあげたい、とか。
自分たちの日常を、元気に笑って過ごすことが、
今できる一番大切なことだと、信じています。
そして、お盆休みに父と会って、
一緒に過ごせるのを、家族みんなで楽しみにしています。
重い内容になってしまったかもしれませんが、
私も、父と同じく、穏やかな心で過ごしているので、
心配しないでくださいね🍀
「スキ」していいものか…と、私だったらちょっと躊躇してしまう内容かもしれないので、
「スキ」=「父への応援」として、受け取らせていただきます😊
もちろん、状況が変わって、
父自身も、私も、
心の状態が変わることは、あるかもしれません。
そんな時でも、祈ることを、忘れないでいたい。
神さまを、忘れないようにしたいと思います。
神さま、どうか父をお守りください。
今夜も祈り続けます。
みなさま、どうか一緒に、
父のためにお祈りいただけたら嬉しいです。
