私は時々、自分に意地の悪い質問をすることがある。
お前は文化活動がやりたかったんじゃないのか、と。
文学だの哲学だの芸術だのを語っているけれど、本当は認められたかっただけじゃないのか、と。
答えは簡単である。
はい。そうです。
若い頃は、自分もそういう世界に憧れていた。
しかし東京大学に入って、その考えはあっさり打ち砕かれた。
よく誤解されるのだが、私は自分より知識のある人間や頭のいい人間を見て諦めたのではない。そんなものは受験の段階でいくらでも見ている。東大に入れば自分より試験ができる人間など珍しくもない。
そうではない。
私が圧倒されたのは、本気の大人を見たからである。
当時の東京大学には、表象文化論に蓮實重彦がいて、哲学には廣松渉がいた。彼らが正しかったかどうかは今となってはどうでもいい。しかし、彼らは本気だった。
文学や哲学を趣味として語っているのではない。
知識を披露しているのでもない。
人生そのものとして引き受けていた。
自分の人生を賭けて考えていた。
その迫力があった。
私はそこで初めて理解した。
文化活動というのは女子供の遊びではない。
人生を賭けた人間がやるものなのだ。
もちろん学生として勉強はした。
ドイツ語もやったし、フランス語もやった。
だが、そこで私が思い知らされたのは、東大文学部という場所が世間の学歴観とはまったく違う世界だということだった。
世間では英語ができれば秀才だと思われる。
しかし、あの世界ではそんなものは出発点にすぎない。
文学部の学生ならギリシャ語やラテン語に手を出すのは珍しくもなかった。別に古典学専攻だからではない。研究者の卵として、そのくらいの教養は当然だという空気があったのである。
英語ができる。
それだけでは話にならない。
ドイツ語も読む。
フランス語も読む。
必要ならギリシャ語もラテン語もやる。
そうやって初めて研究者としての土俵に立てる。
そんな世界だった。
私にはそんな余裕はなかった。
ドイツ語とフランス語だけで精一杯だったのである。
後になって趣味としてギリシャ語を勉強することになるが、学生時代にはとてもそこまで手が回らなかった。
もっとも、それは私だけではない。
ドイツ語とフランス語で四苦八苦している文学部生など掃いて捨てるほどいた。
堀越二郎はドイツ語を話した。しかも専門は機械工学である。
それに比べれば、私は語学文学を専攻していながら、ようやくそこに届くかどうかという程度だった。
一方で、ドイツ語を話せないドイツ文学の教授を見ると内心では馬鹿にしていた。若かったのだと思う。語学ができなければ話にならないと思っていた。
だが、今になって振り返ると、本当に重要だったのは語学力ではなかった。
覚悟だった。
蓮實や廣松には、自分の人生を賭ける覚悟があった。
文化活動で生きていく覚悟があった。
私にはなかった。
私は根性が座っていなかったのである。
だから就職した。
逃げたと言われれば、その通りかもしれない。
しかし後悔はしていない。
なぜなら、文化活動を本業にするほどの覚悟が自分にはないことを、その時点で理解していたからだ。
今でも文学や哲学の本は読む。
昔の思想家について語ることもある。
だが、それを文化活動だとは思っていない。
文化活動というのは、あの頃私が見た人たちがやっていたようなものだ。
人生を賭ける人間の仕事である。
私はただの読者だ。
ただの観客だ。
若い頃は、そのことが悔しかった。
しかし今は違う。
本気で戦っている人間を遠くから眺め、その仕事を楽しむだけでも十分に面白い。
文化活動への憧れは残っている。
だが、その憧れがあるからこそ、自分がその一員であるなどとは言えないのである。
