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金融業界から40歳で小学校の先生になってみた③~上手くいかなかった初年度

最初のクラスは2クラスで、一緒に組んでいる先生も他の学校から異動してきた方。もうすぐ定年の女性の先生でした。

学年配置をする際に、初任者と新しく赴任する教員を組ませることはあまりないのですが、40過ぎのおっさんの初任者ということで、そういう配置になったのでしょう。

始業式が終わって数日経ってから、離任式というのがありました。昨年度異動された先生達とお別れをする会です。全校生徒が体育館に集まり、異動された先生方がステージに並んだそのとき、

「おう、こらあ!!」

体育館の後ろから3人の男が肩を怒らせて入ってきました。現場作業員の恰好で、ポケットに手を突っ込んでずかずかとステージへ向かって歩いていきます。

あっけにとられていると、先生方の動きは素早く、あっという間にその3人の前へ。男3人はその後校長室に案内され、そこでも校長室のドアを蹴飛ばし、散々怒鳴り散らした上で、1時間後に帰っていきました。

「なんかさあ、帰るときトラックの荷台にちょこんと乗っちゃって、なんか笑えたよね~」と平然と笑顔で話している先生達をみて、「先生ってすごいな・・」と思ったのを覚えています。

次の日。朝から教室でドッジボールで蛍光灯を割るという事件が発生しました。学校現場では「黄金の3日間」といって、年度当初の3日間は子どもたちはみんな教師のことを聞く、というのがあるんですが、そんなの関係ないんだなと学校現場の壮絶さにびっくりしました。

初任者のクラスにはあまり問題がない児童を集めるというのはよくある話で、そのしわ寄せが隣のクラスにいってしまったという状況でした。自分のクラスは初任者にありがちな、崩壊はしていないけど、なんだかメリハリのないクラスだったと思います。

経験を積んだ今なら、当時の自分の学級経営の至らなさ、見過ごしていた、たくさんのサインやその積み重ねが招いた状態だったと分かります。しかし当時は訳も分からず、どんどんクラスは荒れていきました。

私がとった対応策は、力で押さえつける強面教師になり、子ども達を怒鳴りつけることでした。今なら最悪の悪手だなと分かるのですが、当時は必死でした。教卓を蹴っ飛ばして子ども達に冷笑されたこともありました。

あのときの子ども達に、申し訳ないことをしたなと思っています。彼らは結局その次の年も荒れてしまい、その傷は大きかったと思います。

教師という仕事は、力量がないとこうなってしまうんだ。その1年で体感して学んだことが、その後の自分の支えになっています。そこから自分なりに学級経営、授業について学び、なんとか自分を成長させることができました。

しかし、成長したと思ったら、次の高いハードルが現れるのもこの仕事の特徴です。そうやって日々戦っている先生達、もっと社会的に認められてもいいのになと思っています。

①はこちら↓
金融業界から40歳で小学校の先生になってみた①|HIRO

②はこちら↓
金融業界から40歳で小学校の先生になってみた②~初任者として赴任。学校の排他性について考えた|HIRO


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