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【追悼】岸田秀氏 右も左も魅了した「すべては幻想」の思想家

1970年代から90年代にかけて、論壇で大人気だった岸田秀氏が老衰で亡くなった。92歳だった。


「ものぐさ精神分析」などの著作で知られ、独自の「唯幻論」を唱えた思想家で和光大名誉教授の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰のため死去した。92歳。香川県出身。葬儀は近親者で行う。


訃報で「思想家」と呼ばれたことは、名誉なようだが、彼自身がどう感じるかはわからない。


早稲田大学の心理学科卒業だが、「心理学無用論」を唱え、心理学専門の論文はなく、学会にも属さなかった。

だから「心理学者」とは呼べない。


早大卒業後、国費留学でストラスブール大に学び、精神分析論で博士号(ph.D.)を取ったはずだったが、その後の調べで、学位は取得していなかった。

学歴詐称との声も上がったが、岸田に悪意はなかったようだ。


いずれにせよ、そのような事情で、「精神分析学者」とも「哲学者」とも呼びづらい。

彼に何か哲学的主著のようなものがあるわけではない。

といって、「作家」や「エッセイスト」とも違う。


だから、新聞も「思想家」としか呼びようがないのだろう。

岸田氏はあの世で苦笑しているかもしれない。


だが、彼は紛れもなくその時代、「思想家」として遇されたし、ユニークな思考と発言で輝きを放っていた。

私の岸田秀解釈は、以下の記事に書いた。


彼は、山本七平、西部邁、栗本慎一郎、小室直樹らが「思想家」とされていた時代の思想家だった。

伊丹十三、立川談志が彼を思想的な「師」と仰いだことは有名だ。

そして、意外に、茂木誠や浜崎洋介のような若い世代の保守論客に影響を与えたことは、私も以前noteに書いたことがある。


しかし、山本七平、伊丹十三、立川談志、丸山圭三郎など、話が合う仲間が次々と亡くなるうちに、論壇や出版界からフェイドアウトしていった感がある。

そのため、今の若い人には、彼がなぜそれほど影響力を持ったか、わかりにくいかもしれない。


彼は、「現代思想」ーー基本的にフランス左翼の雑誌ーー編集長の三浦雅士が送り出したスターの一人であり、その意味で「ニューアカ」ブームの一端を担っていた。

ただし、浅田彰や上野千鶴子より、かなりとうが立っていたが。


彼は、ラカンではないけれど、「フロイトに還れ」派だった。当時は「フロイトといえば岸田秀、ユングといえば河合隼雄」で、読書界での心理学の人気は、大きく二手に分かれていた。

彼は、自分の思想はフロイトの理論に忠実だと主張していた。


思想史の文脈では、彼の「すべては幻想」という思想の根本に、構造主義と同じ、非本質主義、非実在論がある。

ハラリの「サピエンス全史」も、文明の「幻想性」を強調したので、古い世代ではあの本で岸田秀を連想する人が多かった。

その点で、少なくともリチャード・ローティのような左派と理論的前提を共有していた。


だが、彼の「唯幻論」は、明確に「唯物論」に反対しており、左翼の歴史観を否定していた。

また、アメリカを「精神分裂」だと診断する反米的姿勢は、左翼とともに、右翼にも受けていた。


このように、従来の左翼とも右翼とも違う議論は、イデオロギーに疲れた相対主義の時代、日本の70年代、80年代に、とりわけ需要があったと言えるだろう。

寛容で気取らない人柄もあり、右とも左とも議論できる貴重な論客だった。


すべては幻想、相対主義とは言っても、彼には譲れないいくつかの論点があるように思えた。

反米論や反戦論などとともに、「母親嫌い」が有名だ。


彼を、「思想家」としていっそう際立たせていたのは、その「母親嫌い」だったかもしれない。

『ものぐさ精神分析』の「私の原点」で示された母親への憎しみは、多くの読者に衝撃を与え、多くの反感も買った。


小谷野敦氏のような、小説から「母子密着的」なキャラであることがうかがわれる批評家が、のちに岸田を激しく批判したのには、その要素もあったのではないだろうか(もちろん、それだけではないが)。

だが、その岸田氏の母親嫌いの側面も、いわゆるアダルトチルドレン論や「毒親」論を先取りしたところがあった。


岸田氏は、そのように、まさに時代にマッチした思想家であったことは確かだ。

そうした思想を、「自分の中から」取り出しているように見えるところが、彼をオリジナルな思想家に見せていた。


柄谷行人との対談で、柄谷がマルクスの「価値形態論」を話題にした時、岸田は「価値形態論って何ですか」と無邪気に問い返していた。

それが衝撃的だった、と確か栗本慎一郎が書いていた。


彼は、教養や学識をひけらかすタイプではなく、すべて「自分の言葉」で語っているようだったが、案外、多くの洋書を読んでいた。

早稲田大学時代から、語学の達人として知られていて、若い頃は英・仏・独の訳書がある。

その中には、ミルグラムの『服従の心理』や、シャッツマンの『魂の殺害者』など、当時の心理学や精神医学で重要視された本も含まれる。彼の業績に数えられるべきだろう。

訳業として異色なのは、アルベルト・フジモリの自伝で、これは、岸田氏がフジモリとストラスブール大で留学生仲間だったことによる。


岸田氏の死去で、個人的には、いよいよ「1980年代」が遠くなった、という感が強い。

1980年代は、日本がいろいろな形で輝いた時代で、岸田氏も、その時代に独特の光を発していた。

伊丹十三や立川談志を魅了し、心服させたその「光」をいま説明するのは、やはり難しい。

心からご冥福を祈りたい。



私に「内田樹の時代」があったのと同じように、昔の人には「岸田秀の時代」があったんじゃないかとよく想像する。
(荒木優太 2026/5/28 12:32)


お悔やみ申し上げます。一度韓国にご一緒しましたね。1990年代半前半かな。とっても「肩に力が入らない」不思議な対話能力の持ち主。こだわらずになんでも飜訳しちゃうこれまた不思議な能力。Jean-Michel Palmierというドイツ表現主義の専門家のラカン本も翻訳されていて、その人の話をした思い出があります、何の話だったかは思い出せないのだが。今はあまり見られない、フシギなめずらしい才能の方でした。 分からないけど、道教的だったのかも。合掌。
(石田英敬 2026/5/28 12:09)


<追記 2026/6/1>

<産経抄>精神分析学者、岸田秀さんに聞きたかった転覆事故

25日に亡くなった精神分析学者の岸田秀さんには、昭和52年発表の主著『ものぐさ精神分析』など多数の著書がある。人間は、行動規範である本能が壊れた動物だと主張する岸田さんの論考は個人から集団、国家にまでおよび、その時々の社会現象や国際関係を考えるヒントとなった。
▼例えば東日本大震災とそれに伴う東電福島第1原発事故による混乱期には、評論家の山本七平さんとの対談集『日本人と「日本病」について』を読み返した。評価への賛否はあろうが、岸田さんは先の大戦で補給軽視のインパール作戦を主導した牟田口廉也中将について「どなり散らすしか能がなく、無能で卑劣な将軍」だと語っている。
▼その上で旧日本軍の構造的欠陥をこう指摘する。「商売の世界なら当然脱落する彼のような男を排除するシステムが日本軍にはなかった」。当時、目の前で繰り広げられていた政治の現場のドタバタと、旧軍とが重なり合い、無能なリーダーの排除方法はないものかと考えもした
。(以下略)

(産経新聞 2026/5/30)


<参考>


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