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人生を背負いやすくする岸田秀の唯幻論 「何事もムキになるな」

数日前、岸田秀氏の訃報に接して、自分なりに追悼文を書きましたが。


どうも言い足りてないので、付け加えておきたいです。

追悼文は、緊急のものだったので、なるべく客観的に書きました。

でも、「実存的」な部分、つまり彼の本や主張が、なぜ多くの人の実人生を「救った」のか、その部分が書けていない。


彼の信奉者だった伊丹十三を筆頭に、多くの人が彼の本に現に救われ、解放感を与えられ、「治療効果」が得られた。

なぜそういう効果があったのかだけ、説明を加えたい。

もっとも、残念ながら岸田の本ふくめて、蔵書はほとんど処分しているので、記憶に頼るしかない点はご容赦ください。



彼の「思想」によって、救われた最初の人が、彼自身であったことは、『ものぐさ精神分析』の「私の原点」に書いてあった。

彼は若い頃から、強迫を中心としたさまざまな神経症に悩み、借りてないものを「返し」たり、本に書いてあることが古いのではないかと気になって本が読めなくなったり、太平洋戦争の戦記を読んでいると急に兵士が可哀想になって感情失禁状態になったりした。


それが、ある時、母親の愛情を疑うことで解決する。自分の母親は、自分のことを愛して大事にしてくれていると思っていたが、「母の愛」を恩着せがましく売り込み、自分を支配しようとしていただけだった、と。

そうわかった途端に、彼の症状は解消する。

借りてないものを返したくなる、という症状で象徴的なように、彼は、「親に恩を返さなければならない(だけど返せない、あるいは、返したくない)」という内心の矛盾に苦しみ、それが症状に出ていたのでした。


今の親は、子供にそれほど恩着せがましくは接しないでしょう。

自分の老後の世話も含めて、子供に負担はかけたくない、子供には自由に生きてほしい、と思う人が多いと思う。


しかし、少なくとも岸田の親の世代、たぶん戦後1950年代くらいまでの親にとっては、子供に自分の生活や老後を支えてもらうのは倫理的に当然と考えられていたのではないでしょうか。

そういう「親の恩」は、子供の人生に重くのしかかった。

親が病気になれば、その看護や介護のために、自分の人生を喜んで差し出さねばならなかった。


先日見た台湾映画の「大濛」は、1950年代の話だけど、

「あそこの家は、母親が台北の大学に行かせたから、息子が親不孝になった」

と言う人の話が出てくる。


私の子供時代だった1960年代にも、年寄りの中には、そんな言い方をする人はいました。

「子供を大学に行かせたら、生意気になって親の恩を忘れるから、行かせない方がいい」というような。


岸田は、子供の頃から頭がよく、四国の田舎から世界に飛び出そうと思っていたのに、自分を実家(映画館主だった)に縛りつけようとする「親の恩」が重荷で邪魔だった。

でも、岸田自身、その時代の倫理観や価値観を受け入れており、そこに葛藤が生じていたわけですね。


こういうのは、私の世代にはよくわかるし、岸田がデビューした1970年代にも、よく伝わる話だったと思います。

それで、岸田のエピソードから解放感を覚える人が多かった。

一方、保守雑誌とかでは、「母親の愛を疑うとは、気味が悪い奴」みたいにも評されていましたね。


彼は、この体験から、社会的な自我は、主体の実感と矛盾する価値観、つまり「幻想」で構築される、ということを内在的に理解します。

そして、それこそがフロイトが説いたことだ、と精神分析理論をよりどころにするようになります。


だが、彼は自分の考えが、フロイトの著作のこの部分から出ている、といった説明をほとんどしなかった。「ものぐさ」を自称したゆえんです。


本人に代わって、専門家ではない私に、岸田の「唯幻論」と、フロイトの精神分析理論の正確な照合ができるわけではないですが、あとでフロイトの「性欲論三篇」を読んだ時、たしかに岸田の「性的唯幻論」みたいなことが書いてありましたね。

つまり、女性性器のような、「うんことしっこの間にある」、本来は魅力薄であるはずのものが、なぜ男の性的幻想の中で「過大評価」されるのか、という疑問はフロイトによって提起され、そこから「愛」や「文化」一般の幻想性を示唆しています。

そして、そうした文明という名の「幻想」が、実は人間そのものを抑圧しているのではないかという着想は、有名な「文化における不満」で述べられます。


ただ、フロイトがどちらかというとサラッと、あるいは遠回しに言っていたことを、岸田はより明快に、あけすけに語っています。

そして、とりわけ「性」の問題には、こだわっているように見えました。


これも、岸田がどこかで言っていましたが、「親の恩」とともに、「性の抑圧」も、彼の世代固有のものがあったようですね。

つまり、現代とは違い、彼の世代までは、性の抑圧が強かった。フロイトが生きたビクトリア朝と同じように。

だから、1950年代に青春時代を送った岸田においては、かえって性全般の過大評価が現れているような気がします。

一般に、1960年代以降は、性の解放が進みました。

死の間際に、看護婦さんに「おまんこを見せてくれ」と懇願する病者の話を、岸田は書いていましたが(同じ話は「寝ずの番」だったか映画で見ましたが)、今だったらネットで画像を拾えるんじゃないですかね。

そういうところにも、今の読者と時代感覚のズレがあるのではないでしょうか。



ただ、岸田が強調したことで、私が重要だと思うのは、

「人の価値観は、意外に通俗的な起源を持つ」

ということですね。


つまり、人は一般に、なにか哲学者の体系的な書物を読んで、たとえばカントを読んで、自分の価値観を作るのではない。

また、学校で学んだことや、家庭で教わったことが、必ずしも最重要ではない。

ふと見た映画とか、テレビアニメとか、漫画とか、そういうものに意外に影響される。

そういう通俗的な価値観のほうが、身近で繰り返し「注入」されるから、人の日常的な言動を大きく左右している。


この意味では、現代は、かつての時代よりも多くの「幻想」を浴びていて、自我の幻想性を肥大化させているのではないか、という気がします。

その点では、「すべては幻想だ」という岸田の主張は、現代的意味を新たに持つのではないでしょうか。


たとえば岸田は、自殺を、自我の幻想が肥大化し、生物体をも圧倒する事態だと説明していました。

現代の日本は、自殺が多いと言われるけど、そういう自我の肥大化もあるかもしれません。

そういう時は、自分の価値観が「幻想」であることを思い起こすのはいいことです。


ただこの点は、岸田の理論上の論敵だったユング派の河合隼雄の言葉のほうが、私にはしっくり来ます。

河合は、

「自我の支えが、魂の重荷になる」

とたしか言ってました。


自我の支えーー自分のプライドや業績や人生の軌跡のようなものが、かえって生きる重荷になっている。

それは、つねに覚えておく必要があると思います。

そういうものを「守る」ために自殺する人もいますからね。

そういうものはすべて「幻想」だと気づくことは重要です。

宗教の教えでもよくありますが、それは岸田と河合が、共通に言いたいことだったと思うんですね。



ただ、岸田の場合は、「世のすべてを唯幻論で説明する」と豪語したせいで、社会的なコメントでは、アドホック性というか、恣意的な感じがつきまといました。

すべては幻想、というわりには、アメリカへの憎悪とか、あるいは大日本帝国への敵意とか、彼なりのこだわりが多かった。

すべては幻想と言っているのに、そういう価値偏向的な言説はおかしい、というツッコミは、つねにありました。


彼は、どこかで、

「自分が言いたいのは、すべては幻想だから、あんまりムキになるな、ということだ。人間、ムキになるとろくなことはないから、自分はつねに少数派を味方して、ムキになる人たちの熱を冷ましたい」

といったようなことを言っていた。


しかし、内在的な価値ではなく、「つねに少数派を味方する」だけでは、完全な相対主義で、知的な信頼性がなくなってしまう。それはソフィストの論法になってしまいます。


たとえば5月30日の産経新聞は、追悼の意味か「産経抄」で岸田を取り上げ、以下のように書いています。

▼著書『二十世紀を精神分析する』では「世間に何となく、最左翼が認められやすい雰囲気がある。そのためわたしは最左翼のほうを力を入れて批判した」と明かしている。法曹界、教育界、マスコミ…と左派には甘く同情的な風潮への反骨精神か。


というか、そう書いているそうです。有料部分なので、私は読めてませんが、この部分を引用している方がnoteを書いていました。


そして、このnote記事を書いた方は、「最左翼が認められやすい雰囲気があった」という岸田の認知に、疑問符をつけています。

たしかに論壇やマスコミでは「最左翼」(マルクス主義者)が強かったかもしれませんが(今でもそうですが)、世間一般では必ずしもそうではなく、自民党の保守政権が基本的に選挙で選ばれてきました。

このように、何を「少数派」と見るかは、見方によります。人ぞれぞれです。だから、それが多数派に対する「反骨」と見られるかどうかもわかりません。


彼は左派も右派も魅了した、と前の記事に書きましたが、私はその点で、彼の社会的・政治的な姿勢については、同感することが多かったとはいえ、いつも疑問符をつけていました。

彼は思想家とされたけど、すべては幻想ということは、思想の軸がないのだから、社会的・政治的な「強い」意見、「強い」思想を持つのは、おかしいではないか。


たまたま、私の書棚に残っている彼の唯一の本に、そのあたりの彼自身の考えが述べられていたので、それを引用して終わります。



わたしは「唯幻論」と称して、すべては幻想であり、何の根拠もなく、幻想としての理念は不可避的にそのめざす目的を裏切ると言いつづけてきている。

わたしの理解に間違いがなければ、おそらくそれは柄谷(行人)氏の言う「ゲーデル的問題」、丸山(圭三郎)氏が言う「言語の無根拠性」、笠井(潔)氏の言う「観念の倒錯」などと同じようなことである。

そして、竹田(青嗣)氏が言うように、そのようなことを説くのは現代ではむしろ容易なことであり、一部のガチガチの実体論者を除いて、多くの人にはわかり切ったことであって、前記の三氏も、そういうことを説いてそれで事足れりとすましているわけではないであろう。

問題はそのあとなのである。ここで唯幻論は困ってしまい、あれも幻想、これも幻想とまくし立てているときのようにすっきりとはゆかない。(中略)

自我は幻想であり、自我が依拠する価値体系も幻想である。しかし、本能の壊れた動物である人間は何らかのかたちの自我をもち、何らかの価値体系に依拠せざるを得ない。このわたしも例外ではない。(中略)

おまえは何を信じているかと問われても、わたし自身、自分が何を信じているかをはっきりとは知らない。

もちろん、自分はこう考えているということを論理的に組み立てて述べることはできる。それは人びとに対して説得力があるかもしれない。

しかし、それはたしかに自分の考えではあるが、わたしという人間がその考えで統一されているわけではない。

そのことがよくわかるのは、わたしがある場面で自分としては意外なことを言ったり、したり、感じたりするときである。

それらの言葉、行動、感情を生み出した何らかの思想がわたしのうちにあるはずであり、それがわたしの意識的な思想と矛盾する。

しかしわたしはまだそのいわば無意識的思想を知らない。


「わたしは何を信じているか」岸田秀・竹田青嗣『物語論批判』(作品社、1985)より



<参考>


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