ジョン・レノンに決定的影響を与えたバンド「B-52's」が日本で理解されなかった理由
日本で理解されなかった、といっても、もちろん理解してた人は、たくさんいたでしょう。
私が理解できなかった、というだけかもしれない。
B-52's(ビーフィフティツーズ)と同時代で、NYのライブ仲間でもあったブロンディやトーキング・ヘッズは、私もよく聴いていましたが、B-52'sはよくわからなかった。
80年代に青春を過ごした人で、同じような人は多いと思います。
その証拠として、日本語版wikiの「B-52's」の記述量は、英語版などにくらべてきわめて少ない。
彼らは、オリジナルアルバム数は少ないとはいえ、非常に多くのヒット曲、有名曲を持っていますが、日本では、最大のヒット曲「ラブ・シャック」や「ローム」ですら、それほど知られていないと思います。
また、LGBTQバンドであったことや、ジョン・レノンとの関係など、重要なポイントも書かれていません。
ただ、アメリカでも、事情はそれほど違わなかったかもしれない。
もともと同時代には、アメリカより、オーストラリアやカナダなどでもっと人気がありました。
B-52'sは、いまアメリカでも再評価され、その重要性が日増しに再認識されている感があります。
そんな評価の盛り上がりを見ながら、私も、なるほどなあ、と80年代当時はわからなかったことがいろいろわかって、面白いです。
そもそもは、山田五郎さんの死をきっかけに、彼の事績は「80年代サブカル」の遺産を抜きに語れない、というところから、私もB-52'sについて改めて調べ始めたのですが。
その副産物として、B-52'sについて、「80年代」について、私にとって発見となったいくつかのことを書いておきます。
なぜB-52'sは日本でそこまで流行らなかったか

まず、日本でそこまで流行らなかった理由、日本人にわかりにくかった理由を、ざっと列挙しておきましょう。
・B-52'sというバンド名が日本人に読みにくく、わかりにくかった
・ボーカルのシュナイダーの声を聴いただけで、「ゲイが歌っている」と、わかる人にはわかった。アメリカでは「ゲイが歌う歌がラジオから流れているのを初めて聴いた」と衝撃を受けた人もいたとか。でも、わからない人にはわからなかった。このバンドの個性と新しさが伝わらなかった
・LGBTQコミュニティの独特の世界観。たとえばブロンディは、普通の男女の色恋を歌ってたからわかりやすかった。B-52'sの歌詞は、より複雑、一見ナンセンスで、普通ではないのでわかりにくい
・それでも、実際のライブの圧倒的高揚感で人気を誇ったが、ライブを知らない日本人には魅力がわかりにくかった(一応デビュー時に来日しているが)
・ジョン・レノンは、彼らのデビュー曲「ロック・ロブスター」に衝撃を受け、アルバム「ダブル・ファンタジー」を構想する。ジョンが生きていれば、B-52'sを引き立てて、日本でも有名になっただろうが、残念ながら80年に殺される
・これは日本に限らないが、1985年にメンバーのリッキー・ウィルソンがエイズで亡くなり、活動休止を余儀なくされた
・しかしB-52'sは、残りのメンバーで1989年に力強く復活する。「ラブ・シャック」「ローム」などが世界で大ヒットして、真のビッグネームになったのはこの時である。しかし、ちょうど日本の昭和天皇死去にともなう自粛、またバブル崩壊とも重なり、彼らの絶頂期が日本に同時代に伝わらなかった(←これはたぶんすごく大きかった)
ジョン・レノンに衝撃を与えたデビュー曲「ロック・ロブスター」
ジョン・レノンへの影響については、英語版wikiに、以下のような記述があります。
1980年、ジョン・レノンはB-52'sをお気に入りのバンドに挙げ、特に「ロック・ロブスター(Rock Lobster)」を自身のアルバム『ダブル・ファンタジー』(1980年)のインスピレーション源として挙げた。
(英語版wiki「B-52's」)
この曲はバンドのキャリアの出発点となり、彼らの代表曲の一つとなった。「ロック・ロブスター」は批評家から高く評価され、2004年12月には『ローリング・ストーン』誌が選ぶ「史上最高の500曲」リストで147位にランクインした。ジョン・レノンは、5年間の活動休止を経て1980年にレコーディングを再開しようと決意したのは、「ロック・ロブスター」を耳にしたことがきっかけだったと語っている。
(英語版wiki「Rock Lobster」)
なぜ彼らのデビュー曲「ロック・ロブスター」は、ジョンにそれほどの衝撃を与えたのか。
実際に聴いてみると、意外に単純な理由なのがわかります。
The B-52's - "Rock Lobster" (1978)
ギターのリッキー・ウィルソンが思いついた「史上最低のリフ」を、みんなで面白がっているうちにできたようなこの曲は、いま聴いても非常にカッコいいですね。
ダサいリフを、60年代サーフロック風のサウンドで繰り返しながら、唯一無比の不気味な緊張感を作り出しています。
フレッド・シュナイダーは、「海辺のレストランでパーティしてると、海鮮料理がどんどん出てきた」みたいな意味の歌詞を書いています。
「ロック・ロブスター」というタイトルで、われわれの世代では、シーフードレストラン「レッド・ロブスター」を連想するでしょう。70〜80年代に最も栄えたチェーン店の一つで、日本にも多数出店していました。明示的ではありませんが、歌の発想の下敷きにはなっているでしょう。
歌詞について、ベジタリアンでアニマルライツ派(つまり超リベラル)のシュナイダーは、人間に食い殺される動物の悲惨さを描いた、とのちに語っています。
その海洋生物の悲鳴のような奇声を、二人の女性ボーカルが曲の後半(動画では4分以降)に上げます。
ジョン・レノンにアピールしたのは、この部分でしょう。
GoogleのAIは、以下のように解説します。
ジョン・レノンは、B-52'sの楽曲「ロック・ロブスター(Rock Lobster)」に影響を受けました。この曲が、妻であるオノ・ヨーコの実験的な音楽を彷彿とさせたからです。
1980年にこの曲を耳にした際、彼は世間がついにそのアヴァンギャルドなスタイルを受け入れる準備ができていると確信し、5年間の隠遁生活を終えてレコーディング・スタジオへ復帰する決意を固めました。
クラブでの発見:
レノンが「ロック・ロブスター」を耳にしたのは、1980年にバミューダのダンスクラブを訪れた時のことでした。
そのクラブでは、上の階で主流のディスコ・ミュージックが流れる一方、下の階では大胆かつ風変わりなニュー・ウェイヴ・ナンバーが流れていました。
その奔放なボーカルや動物のような叫び声は、ヨーコの芸術的なスタイルを彼に強く想起させたのです。
音楽活動への復帰:
オルタナティブなアート・ロックがダンスフロアで支持を集めているのを目の当たりにし、彼は自身の音楽性が間違っていなかったと確信しました。
彼は「古いギターを引っ張り出して、妻を起こす時が来た」という有名な言葉を残しています。
こうした創作意欲の再燃が、彼の最後のアルバム『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』の制作へと直結しました。
つまり、「ロック・ロブスター」を聴いて、ジョンは小野洋子の実験音楽との類似性を感じ、
「ついにヨーコが理解される時代が来た」
と確信して、小野洋子をくどき、「ダブル・ファンタジー」の共同制作に向かわせたのでした。
1980年の8月から10月にわたって制作された「ダブル・ファンタジー」は、11月に発売され、最初は酷評を受けました。
しかし、発売から3週間後、ジョン・レノンが射殺されたことで売り上げが急上昇し、81年のグラミー賞を受賞します。
「ヨーコの時代が来た」というジョンの直感は、勘違いだったとしても、「ダブル・ファンタジー」のジョンの楽曲は、今では高く評価されています。
結果としてB-52'sの「ロック・ロブスター」は、ジョンに最後の最良の仕事をさせたと言えるでしょう。
そして、B-52'sのその後を見れば、デビュー時にその価値を見抜いたジョンは、さすがだと思います。
のちにB-52'sは、オノ・ヨーコと共演していますが、ジョンとの共演が見たかったですね。
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このジョンとのエピソードは、B-52'sがスタートしたばかりの時の話で、彼らの本番はこれからなのですが、今朝は疲れたので、続きはまたいずれ。
バンド結成34年を記念した2011年の地元ジョージア州での「ロック・ロブスター」ライブ。観客の盛り上がりがすごい↓
B-52s - Rock Lobster (from With The Wild Crowd! Live In Athens, GA)
*なお、このバンドは、「The B-52's」が正式な表記でしたが、現在はアポストロフィ「'」を省略して「The B-52s」となっているようです。
<以下の動画を参照しました>
<参考>
