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草間彌生さん死去 あの一期一会がよみがえる

草間彌生さんが亡くなった。

97歳。


私のこのnote、最初の記事が、草間彌生さんと会った話でした。


草間彌生と会ったのは1988年ころだと思う。大学時代の友人が紹介してくれたのだ。

当時、草間は、日本で売れない小説家として不遇をかこっていた。角川の小説新人賞をとったのは、80年代の前半だ。その作品は、前衛と土俗がいりまじった内容で、私はつげ義春の世界を連想した。かの見城徹氏が売り出しにかかわっていたはずだが、なぜか苦戦していた。

その理由は、会って5分でわかった。80年代のはやり言葉でいえば「ほとんどビョーキ」なのである。聞けば精神病棟に入っているということで、本物のビョーキであった。私に口をはさむ余地をあたえず、憑かれたように一方的に1時間近くしゃべった。


彼女が売れない小説家だったことは、もうほとんどの人が知らないだろう。

彼女は60歳に近かったが、世間的にはほぼ無名だった。

その後、彼女は美術家として世界的に有名になった。それは、平成時代になってのこと、わりあい最近だ。


それ自体はおめでたいと思ったが、私は彼女のアートはわからなかった。私には気持ち悪いだけであった。

もし彼女の芸術が理解できていたら、彼女とコネを作って、一儲けできたかもしれない、とか時々考えた。


その記事で、草間さんがニューヨークにいた1960年代、同時にいた可能性がある有名日本人を3人挙げていた。

・小澤征爾

・江戸京子

・小野洋子


そして、2020年のその記事では、こう書いていた。


草間彌生(1929年生まれ) 1957年に渡米し、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動。

オノ・ヨーコ(1933年生まれ) 1956年に作曲家の一柳慧と結婚して、1959年に渡米。ニューヨークを拠点に前衛芸術活動を始める。

小沢征爾(1935年生まれ) 1959年にブザンソン指揮コンクールで優勝し、1961年からレナード・バーンスタインの下でニューヨーク・フィルの副指揮者になる。

草間は、ニューヨークのアートシーンで、オノの先輩にあたる。草間の目に、オノはどう映ったのか。2人はどのように出会ったのか(または、出会わなかったのか)。(中略)

いずれにせよ60年前の話である。江戸京子を含めてみな在命だが、いちばん年長の草間は90歳を超え、ほかの方々もそう長いと思えない。取材をするならいまのうちである。誰か、優れたノンフィクション作家が、60年前の「ニューヨークの日本人たち」を作品にしてくれないだろうか。


だが、江戸さんと小澤さんは2024年に亡くなり、草間さんも亡くなってしまった。

生き残っているのはヨーコ・オノさんだけ。93歳。

しかし、もう取材は無理だろう。


私が会った時、草間さんは、後輩の前衛芸術家、小野洋子さんの名声に嫉妬しているように見えたが、アーティストとしての評価では、60歳代から大逆転したと言える。

しかしヨーコ・オノさんは、草間彌生さんを意識していなかったと思う・・そのあたりを知りたかった。


いずれにせよ、あの世代は、日本人の天才が多かったのかもしれない。

お会いできたのは一度だけだったが、強烈な記憶をありがとう。

ご冥福をお祈りします。


<追加>

本多勝一による草間彌生の批判が笑ってしまうような面白さなのでここに置いておきます。欧米でちやほやされて、反戦・反権力・天皇批判をしていた前衛芸術家の草間彌生はどこへ?という感じの内容。
(風間優助 2026/8/27 12:40)


Yayoi Kusama (March 22, 1929 - August 14, 2026) with@yokoono and @seanonolennon
(Jody Denberg 2026/8/29 16:44)


<参考>



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